【慶二郎】祖父の話を残そうと思う
プロローグ
休み時間に電話が震えた。
着信は「英雄」
父親だ。鼓動が少しだけ速くなった。
父親は僕にはめったに電話をかけてこない。
その彼がかけてくるという事は、間違いなく緊急の要件だ。
大抵は人の生き死にが関わっている。
小さく深呼吸して電話に出た。
「もしもし」
「まさしか?」
「あぁ。どうした?」
「うーん、爺さんなんだけどな…」
妙な間があった。鼓動が一拍強くなった。
「今回はもうダメなんだ。お迎えだ。すぐに帰って来れるか?」
祖父と僕
僕は三世代家族で幼い頃を過ごしました。母親の両親との同居で、父はいわゆるマスオさん状態というやつです。平日の夕方、僕が小学校から帰って一緒に夕食を食べる相手はもっぱら祖父の慶二郎でした。父親はいつも帰りが遅かった事もあり、食卓を一緒にした頻度は圧倒的に祖父の方が多かったです。
祖父はたいそう酒飲みでした。夕食は酒を飲む事に始まり、ある程度飲んで満足したらご飯を食べるというのがお決まりの流れです。時間はかかるので一時間以上はテーブルを占有する人でした。台所に立ちっぱなしで次のおかずを用意する祖母との会話は全く無く、大抵祖父は黙って新聞を読んでいました。そんな所に僕が一緒にいる、という構図です。
年を取った人と長く過ごした事がある人ならご存知かと思いますが、一旦話を始めると長いです。お酒が入っている事も手伝って、同じ事を繰り返し話したりします。そして、一度話した事を暫くすると忘れてしまっていて、同じ話をまた話す事は何度もありました。と言っても祖父は惚けてしまっている訳では無かったので、本当に物忘れという感覚です。
正直言って小学生の頃の僕にはかなりの苦痛を伴う時間でした。とは言え、その話を遮って席を立ってしまうような要領の良さも持ち合わせていなかったのです。必然的に僕は祖父が満腹になって席を立つか、言いたい事を発信し終わって満足するまで聞きながら耐える、という事になります。何年もそれを続けていると慣れて来て、それに合わせる相づちを適切に打てるようになったり、気にせず話を促せるようにもなりました。社会に出てからは人の話を聞ける事が武器にもなったので、今思えばある種の訓練になっていたのですから世の中わかりませんね。
今の僕の会話のスタイルが基本的に人の話を聞く形であるのも、祖父の影響である事は間違いありません。もともと積極的に自分の事を発信する子供だったようですが、小学生から中学生の間に聞く方が圧倒的に多くなった記憶があります。
祖父の戦争体験
祖父は第二次大戦で実際に戦争に行った経験を有している世代です。僕が何度も聞かされた話に兵隊としての体験は頻繁に登場していました。彼にとっての青春時代というのはビルマ(今のミャンマー)の密林の中で逃げ回る(彼はそう言っていました。「攻めるとか守るではなく、逃げ回る」なのだ。と)記憶ばかりだったようです。
他界
病院へ到着すると、両親、母の妹夫婦、母の従兄弟(このおじさんの事を祖父は一番かわいがっていたそうだ)が一緒にいた。僕の姉夫婦も子連れで駆けつけた。
いつも人が集まると楽しくなってはしゃいでしまう祖父だったが、ベッドの上で目を開けず、ただ静かに横たわっていた。酸素吸入の音だけが聞こえる。
「はやく元気になってお酒飲もうぜ」
そう話しかけた僕たち家族に両手を挙げて応えようとしていた時間もあったので、意識のある時間とそうでない時間が交互にあったのだろう。後で聞いた話だが、既に痛み止めのモルヒネを打っていて、少し意識が戻っても、もう回復する見込みは無いという事だったらしい。
母は一番辛かったと思われる時間を見ていたらしく
「あの人が顔を歪めて悶えるなんて、相当痛かったんだよ。」
そう言っていた。戦争を体験した為か、痛いとか辛いとかそういうことを発したのを一度も見た事が無かった。
風邪で熱があっても「気」でどこかへやってしまうような人だった。
いつも無駄に格好つけている人だった。
「今日だって恋に落ちるかも知れない(奥さんの前で言うなよ)」
「私は気が小さいから(どの口が言うか)」
そんな冗談や軽口も好きな人だった。
センスが良いかどうかは知らないけれど。
でも、その時ばかりは流石の祖父も格好つける余裕も無かったんだろう。
おじさんも帰り、父以外の人は一旦家で
食事と風呂を済ませようという事になった。
食事して家に着いた途端に電話が鳴った。
玄関先で受けた母が靴を脱ぎかけた僕に言った。
「…今、亡くなったって」
そうしてまた格好付けて死に際を見せる事無く、あっけなく逝ってしまった。
前日まで大好きなお酒を飲んで、夜中に「おなかが痛い」ということで早朝に病院へ行き、その日の晩に亡なった。九十年生きた祖父を弔いに来た方は口々に大往生だと仰っていた。
残したい彼の話
以前から祖父の話をどこかに残したい(できれば生前に学校等で話して欲しかった)と思っていたので、Storysを使って試みようと思います。カッコいい話はあまりありません。どちらかと言うと失敗した話「きまり悪い」と本人が称する話が多いでしょう。
もし調子良く書ければ続けて、うまく出来なかったらやめようと思います。何度も聞かされた内容を記憶を頼りに掘り起こすので間違いや誇張があったりするかもしれません。
誰かに伝える事くらいなら出来るかなと思うのです。記憶が風化してしまう前に。
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