大嫌いで顔も見たくなかった父にどうしても今伝えたいこと。

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私は出かけていたのですが、午後すぎに母から一本の着信がありました。
折り返してみると、
「今すぐに病院にきて!お父さんが大変なの!!」
と言われ、
「え?どういう事?どうしたの?」
と聞いても、「いいから、早くきて!!」と今にも泣き出しそうな声で私に言い、
電話は切れました。

私の頭の中は、不安でいっぱいになり、混乱し、何も考えられなくなりました。
その時一緒にいた彼に、「何かあった?」と言われ、
状況を説明すると、「今すぐ来てって言ってるんだったらいかないと。」と言ってくれて、
彼に連れられ地元の病院へ。

向っている途中、また母からの電話。
今まで聞いたことのない母が号泣しながらの、途切れ途切れになる声。
「真紀ー・・・どうしよう・・・お父さん死んじゃったよー・・・・」

不安でいっぱいだった私の頭は、真っ白になり、
そのあとは泣き崩れることしかできませんでした。

父の最期

2012年8月4日。
いつもと変わらない休日。母は買い物にでかけました。

そして、母が買い物から帰宅すると、父が倒れていました。
その時すでに心臓は止まっていて、
急いで救急車を呼びましたが、そのまま息を引き取りました。

父は、誰にも見届けられず、誰の助けもしてもらえず逝きました。
もがき苦しみ逝ったのかどうか、誰もわかりません。
もしかしたら救えたのかもしれないと思うと、悔やんでも悔やみきれません。
後からいろんなことを思うのです。

私がお酒なんかあげたから・・・・。

母が買い物にいく前日に、かき氷が食べたいと言ったそうです。
半身不随で両手が使えないため、電動式かき氷機も買いに出かけました。
母は、【買い物から帰ってきたら、かき氷ね!】と父に言ったのが最後です。
「かき氷、つくってあげられなかった。」と話す母をみて、
父への愛情がすごく伝わってきた。


お葬式には思っていた以上に、
たくさんの方々が、父のために足を運んでくださいました。
母や私たち姉妹に励ましの言葉をかけてくださったり、
父のために涙を流してくださる方がたくさん、たくさんいらっしゃいました。

私と姉に、「あなたたちが、お母さんを支えてあげるんだよ。」と、
覚悟と強い気持ちをもたせて下さいました。

私は式中、ずっと自分が父にしてきたことを思い返していました。
「後悔」しか頭の中にはありません。

父の顔に触れれる最後の時間。
ほかの家族が1人ずつ父と最後の別れを告げます。
私はこわくて、現実を受け入れることができなくて、
足がすくんでしまい、その場に座り込み泣きじゃくりました。

「お父さん・・・、なんでー・・・やだよ・・!!」

大嫌いだった父との距離をやっと縮められてこれたのに。
孫が早くみたいって言ってたじゃん。


私は、この21年間の後悔をぬぐい去ることはしないと思います。
一生、忘れることはないと思います。


どうしても伝えたいこと


父の最後の言葉は「かっぱえびせん買ってきて〜」だったそうです。
なんだか、お父さんらしい最後だったわけです。

今もちゃんと、当日に母が買ってきた「かっぱえびせん」は、
ずっと父と一緒です。

そして、今日、この父の日に新しい「かっぱえびせん」を、
私が父に贈る2回目のプレゼントをしてきました。

最後に、父へ。

お父さん、
最期まで親不孝な娘でごめなさい。
お父さんとお母さんの子で私は本当に幸せです。
私のためにたくさん涙を流してくれたこと知っています。

21年間、たくさんの愛情をありがとう。







もうすぐ父の1回忌です。




最後に

ここまで読んでくださった方、完全に個人的文章なのにありがとうございました。

この文章を書いている途中、
何度も何度も思い出しては泣いて、書き始めてはまた泣いての繰り返しでした笑
正直、途中で投稿するのをやめようかとも思いました。
でも私と同じような思いを他の誰かにもしてほしくなくて、
誰か一人でも、気持ちの変化になってくれていればなと思います。

一度きりの人生。

両親あっての自分の人生を大切にしてください。


私は、今一番大切な人を生活習慣病にさせないよう、日々闘っています笑


すべてに、ありがとう。


2013/6/16 Maki Tsubota


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