インドの山奥で修行してきた話-7 【格式高い州立博物館へ単身アポなし突撃】

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1997年10月26日(日)第三日目 晴れ後雨

AM10:30 州立博物館
ホテルから懲りずに徒歩で移動。
なんつーか・・・危険人物に絡まれそうになる緊張感がたまらない。
んで。
いきなり博物館にありましたよ。伝統住居の模型が。
お。もしかしたらここで調査の軸が出来てしまうかも。という淡い期待を持ってしまうほど精巧なモデル。
ひたすら写真を撮りまくる。そして目測で図面を描く。
ひたすらひたすら・・・・必要以上に・・・



そんな姿をみて「インド伝統住居に興味がおありで?」と学芸員が声を掛けてくれる・・・そんな好都合を期待しながら・・・
が。全く私のことを無視していますよ学芸員。つーか遠くから隠れるようにして不審者を監視するようにじっと見てます。。。
30分が経った頃あきらめて自分でアタック。
「私は建築マンダラ研究をしていて遥々日本からやってきたんだけど、お話聞かせてもらえません?」とやわらかく
が、学芸員らしき人は相変わらず不審者を警戒するような態度で「政府の許可証を出せ」と。
自分はすっとぼけてパスポート出しました。
向こうが言う許可証ってーのがパスポートでは無いと言うこと分かっていながら。(前回調査の時にはちゃーんと取ってたんですよね。日本国政府のお墨付き証。ビザも研究調査ビザで取ってたし。)
パスポートを見せられて戸惑いつつ中を開く学芸員。
そこにあったハンコはモノの見事に観光ビザ。
私は間髪入れず今まで研究してきた資料を次々に鞄から取り出す。そして床に並べながら「私が思うにこのモデル住居はparamasain mandalaによりこの区画がBrahmaであることは容易に想像出来るのだが、そうするとここはasura、ここはmruga・・・・・」と自分の仮説をしゃべりまくる。さほど得意ではない英語で。
あきらめた様な表情で学芸員も話し出す。




「この模型は17世紀のイギリス人富豪の家だよ。」と。

「いや。イギリス人富豪の家かもしれないが、この構成は中世建築書に記述されている様式に酷似している。おそらくこの部屋は台所、ここは寝室・・・だったのでは?」

「うーん。それは分からないな・・・インドではね。柱が木だったりコンクリートだったり・・木で建てる場合の材種は・・・・」

「はーそうですか・・・で。自分の研究はどちらかっつーと計画方法に関することで・・・マンダラが・・・」

「そのイギリス人はね。すごいお金持ちだったらしいんだよね。そうそう。柱の木材は主に○○地方で・・・・・」

話しが噛み合ってねーーーー!!!!!

「ごめんなさい。もういいです。有難う御座いました。」というと、その学芸員すごく安堵の表情を浮かべて元立っていた場所へ戻るのではなく、遙か彼方遠くに去って行きました。

スケッチの続き。別の学芸員が通りかかる事を期待して。

1時間後。誰もいねーーーー!!!!
あきらめて管理事務所に突撃。みんな私を避けている。
それでもしつこく質問。

「頼むからそんな話しは南インド考古学研究所かマドラス大学かタンジャブール大学で聞いてくれ。」とインド人。

「すまないが、紹介状みたいなの書いてもらえないか?」と依頼。

「無理。」と一言。
限界を感じる私。ここでの聞き取り調査をあきらめる。





PM14:30 州立博物館を出る。
博物館での話し。かいつまんで書いたけど計4時間ですぜ。まむしの岩野。

外に出ると雨。ホテルに向け雨の中歩き出す。雨に濡れた服がとてつもなく冷たい。
雨の中傘もささずに歩いているとリキシャー(自転車の後に駕籠を付けたインド式人力タクシー。バイクの場合はオートリキシャーと呼ばれる。)のおやじが声を掛けてきた。
「乗れ!」と。

(つづく)



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インドの山奥で修行してきた話-8 【振り返るとこれがこの旅唯一の観光シーンであった】

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