インドの山奥で修行してきた話-14 【ディボリ祭りとパライヤライ村】
調査開始して程なく、ある日の帰りがけに寺の坊主から「明日は村に来るな。明日はヒンディーのお祭りで村中興奮状態になってて危険だ」と言われた。
なるほど。。。。。その日の調査中、いつもより子供の数が多かったのは学校が休みやったからか。。。。
通りを歩いていると各家庭から「これ食ってけ」となんかわからんお菓子もらったり、ガキどもに爆竹投げつけられて乱闘になりそうになってた。
ちなみにこの時のお菓子。各家庭で独自につくったものらしく、色とりどりに着色しデコレーションした砂糖を固めただけもの。
味は角砂糖そのものである。それを各家庭から渡されて毎回ありがたそうに食べるのは甘いモノが好きではない私にはかなりの苦行であった。
つーか急性糖尿病とかって病気があるなら真っ先に病気になるくらいの量を食わされた。蟻ってすごいなと思った。
という訳でその祭りの日はオートリキシャのオジサンにお願いしてどこか祭りをやっていない村に案内してもらうことにして、その晩は危険を承知で街に繰り出してみた。坊主からは「今夜も前夜祭で激しいからホテルでじっとしてろよ」と言われていたが浮かれている街の様子を見たら出掛けたくなりますわなぁ
さてさて、インドの街のお祭りってどんなのだろう???とワクワクしながら出かけてみたものの、ステージで延々インド舞踊やってるのをしばらく見物して、爆竹を投げつけられつつのすれ違う若者たちから「ハッピー・ディボリ!!」と叫びながらバシバシ叩かれて帰っただけでした。
という訳でその祭りの日はオートリキシャのオジサンにお願いしてどこか祭りをやっていない村に案内してもらうことにして、その晩は危険を承知で街に繰り出してみた。坊主からは「今夜も前夜祭で激しいからホテルでじっとしてろよ」と言われていたが浮かれている街の様子を見たら出掛けたくなりますわなぁ
さてさて、インドの街のお祭りってどんなのだろう???とワクワクしながら出かけてみたものの、ステージで延々インド舞踊やってるのをしばらく見物して、爆竹を投げつけられつつのすれ違う若者たちから「ハッピー・ディボリ!!」と叫びながらバシバシ叩かれて帰っただけでした。
ヒンディーは基本酒NGですし肉もダメ。この祭り、何が楽しいのかさっぱりわからないけど、インド人たちはみんなめっちゃテンション高かったから楽しいんだろうなぁ。。。。
翌日は新規開拓の為、夜の準備作業はお休み。ダラダラとテレビでインド舞踊観ながら酒のんで午前1時に就寝。
1997年11月6日(木) この日の朝はのんびり過ごして、いつものように11:00にホテル出発。
ここまでアイラバテシュバラ村で6軒の住宅に調査交渉が成立していたが既にこれ以上の交渉は限界を感じていたので別の村を探すべく。
リキシャーのオヤジにもその目的を話していたのだがとなりのパライヤライ村の寺院に連れて行かれた。
翌日は新規開拓の為、夜の準備作業はお休み。ダラダラとテレビでインド舞踊観ながら酒のんで午前1時に就寝。
1997年11月6日(木) この日の朝はのんびり過ごして、いつものように11:00にホテル出発。
ここまでアイラバテシュバラ村で6軒の住宅に調査交渉が成立していたが既にこれ以上の交渉は限界を感じていたので別の村を探すべく。
リキシャーのオヤジにもその目的を話していたのだがとなりのパライヤライ村の寺院に連れて行かれた。
「あ。まずは村に入るにはボスキャラ的存在の寺の坊主に挨拶が必要ってことかな?」とも思い付いて行く。
寺の門は閉ざされている。リキシャオヤジが叫んでる。程なくして坊主が現れる。
お互い現地語で何かモメている。何言ってるかはわからない。
寺の門は閉ざされている。リキシャオヤジが叫んでる。程なくして坊主が現れる。
お互い現地語で何かモメている。何言ってるかはわからない。
リキシャオヤジが私に金を要求する。なんかわからんがとりあえず50ルピーを渡す。
坊主が50ルピーを受け取り仏頂面で門を開け始めた。そして仏頂面で「入れ入れ」とゼスチャー。
なんとなく理解した。今日寺はクローズ。或いは一般の外国人は入れないようにしてるのかもしれない。
リキシャオヤジは「こいつはこの寺が見たくて遥々日本からやってきたんだ!」とか交渉してくれてたのだろう。
つまりリキシャオヤジ、私の調査目的を全く理解せずにここまで連れてきたと思われる。
そらそうだわなー。外人が一人でこんな山奥の村に来て「見ず知らずの他人の家に入らせてくれ」とか理解を超えてるよなぁ。。。。。
ここまで段取りしてもらって「いや。。。別にこんな寺見たくない(実際大した寺ではなかった)んだけど。。。。」とか言えるはずもなく、渡辺篤史バリに「ほほ~~」というポーズを取りながら見て回る。
ひと通り見て回ると「おい!次の寺に行くぞ!」とリキシャオヤジ。
もう英語でいくら話しても通じないと理解した私は「この辺りを散策したい」と主張してリキシャを置いて徒歩で調査対象探し。
リキシャオヤジ、ハリウッド映画ばりに両手を広げ理解できない様をアピール。全身で WHY!!!???ってな感じ まぁそれは置いておいて。。。。。
実は私には既に目当ての住居があったのである。寺の近くの超豪邸。見るからに伝統住居が。
その目的の住居に到着する頃には外人が珍しくて集まってきた子供たちがゾロゾロと。
坊主が50ルピーを受け取り仏頂面で門を開け始めた。そして仏頂面で「入れ入れ」とゼスチャー。
なんとなく理解した。今日寺はクローズ。或いは一般の外国人は入れないようにしてるのかもしれない。
リキシャオヤジは「こいつはこの寺が見たくて遥々日本からやってきたんだ!」とか交渉してくれてたのだろう。
つまりリキシャオヤジ、私の調査目的を全く理解せずにここまで連れてきたと思われる。
そらそうだわなー。外人が一人でこんな山奥の村に来て「見ず知らずの他人の家に入らせてくれ」とか理解を超えてるよなぁ。。。。。
ここまで段取りしてもらって「いや。。。別にこんな寺見たくない(実際大した寺ではなかった)んだけど。。。。」とか言えるはずもなく、渡辺篤史バリに「ほほ~~」というポーズを取りながら見て回る。
ひと通り見て回ると「おい!次の寺に行くぞ!」とリキシャオヤジ。
もう英語でいくら話しても通じないと理解した私は「この辺りを散策したい」と主張してリキシャを置いて徒歩で調査対象探し。
リキシャオヤジ、ハリウッド映画ばりに両手を広げ理解できない様をアピール。全身で WHY!!!???ってな感じ まぁそれは置いておいて。。。。。
実は私には既に目当ての住居があったのである。寺の近くの超豪邸。見るからに伝統住居が。
その目的の住居に到着する頃には外人が珍しくて集まってきた子供たちがゾロゾロと。
シメシメとばかりにその住宅の前で前回同様空手のデモンストレーション開始。子供たちから拍手喝采。目的住居の住人も出てきた。
すかさず調査交渉。のつもりが家に招き入れてくれて「飯食ってけ」のゼスチャー。毎度のことだがなんでこうなる???
時間も勿体なかったのでお腹いっぱいのゼスチャーして身振り手振りで「家を測らせてくれ」とアピール。
何しろこの住宅、今まで調査してきた住居の3〜4倍のボリュームがある。しかも建築書に記してあったマンダラ建築に近い正方形。
家人も何が何だか分からない風であったがなんとなくOKの感じ。
モクモクとスケッチ開始。途中家人がなんとなく目的を察してくれたみたいで隣の家の屋上や寺の門の上に案内してくれた。
調査対象を上から眺めることが出来たのは有りがたかった。
17:00にとりあえずスケッチ終了。後日また実測しに来る旨を英語で伝えるがたぶん伝わってない。まぁなんとかなるだろう。
リキシャオヤジにはその間ずっと待ちぼうけさせてしまったので約束した報酬とは別に100ルピーをボーナスで渡してホテルへ。
18:00 ホテル着
この日はディボリ祭で祭日なのかホテルの食堂は休み。営業しているレストランを探して夕食。
夜はまたスケッチした資料の清書作業。
10月24日(金)に日本を発ったのでこの日でちょうど2週間が経過。
すかさず調査交渉。のつもりが家に招き入れてくれて「飯食ってけ」のゼスチャー。毎度のことだがなんでこうなる???
時間も勿体なかったのでお腹いっぱいのゼスチャーして身振り手振りで「家を測らせてくれ」とアピール。
何しろこの住宅、今まで調査してきた住居の3〜4倍のボリュームがある。しかも建築書に記してあったマンダラ建築に近い正方形。
家人も何が何だか分からない風であったがなんとなくOKの感じ。
モクモクとスケッチ開始。途中家人がなんとなく目的を察してくれたみたいで隣の家の屋上や寺の門の上に案内してくれた。
調査対象を上から眺めることが出来たのは有りがたかった。
17:00にとりあえずスケッチ終了。後日また実測しに来る旨を英語で伝えるがたぶん伝わってない。まぁなんとかなるだろう。
リキシャオヤジにはその間ずっと待ちぼうけさせてしまったので約束した報酬とは別に100ルピーをボーナスで渡してホテルへ。
18:00 ホテル着
この日はディボリ祭で祭日なのかホテルの食堂は休み。営業しているレストランを探して夕食。
夜はまたスケッチした資料の清書作業。
10月24日(金)に日本を発ったのでこの日でちょうど2週間が経過。
日本語は全く通じない、英語もほとんど通じない、インドの方々には申し訳ないが日本に比べて極めて不衛生かつ不便な環境での単独調査生活は想像以上のストレスでこの時には既に精神的にやばかった。
一刻も早く日本に帰りたかった。日本語話したかった。カレー以外のモノを食いたかった。
ちなみにこの時の事がトラウマで未だにカレーは唯一苦手な食べ物だったりする。
しかしこの旅はまだまだ終わらないのである。
(つづく)
一刻も早く日本に帰りたかった。日本語話したかった。カレー以外のモノを食いたかった。
ちなみにこの時の事がトラウマで未だにカレーは唯一苦手な食べ物だったりする。
しかしこの旅はまだまだ終わらないのである。
(つづく)
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