インドの山奥で修行してきた話-15 【インド奥地で一人ぼっちは結構きつい】

前編: インドの山奥で修行してきた話-14 【ディボリ祭りとパライヤライ村】
後編: インドの山奥で修行してきた話-16 【一回くらいは真面目な研究のお話】

インドに行く前は調査方法や現地の衛生面の心配ばかりしていたが、いざ滞在してみて一番しんどかったのは孤独感だった。
村人はじめ、寺の坊主やインド考古学研究所の職員、ホテルの人、リキシャオヤジ達と顔見知りにはなれても言葉がほとんど通じない為、交流というレベルには到底至らない。英語で色々話しかけてもほとんど一方通行。こちらの意志をゼスチャー交えなんとか伝えるのがやっとかっと。
そして日々の生活はホテルと調査地をひたすら往復。異国の地にひとりぼっちでも色んな場所を見て回ったりという刺激も何もない。あるのは研究成果をあげるという使命感のみ。

日本人が、日本語が、とてつもなく恋しかった。あの時日本語でも英語でも会話が成立する人が現れてたら、それが怪しい宗教への勧誘でも乗ってしまってたかもしれないくらい飢えていた。

滞在中の唯一の娯楽であったテレビもインドの番組ばかり。
ただ一局だけインドで大人気の球技クリケットを流し続ける衛星スポーツチャンネルが有りそれには救われた。

クリケットは英国発祥の野球に似たスポーツ。一試合がとてつもなく長い。インドは英国の植民地だった時代があるので盛んだったんでしょうなぁ

クリケットのルールなんて全然わかんないけど、インド人以外がテレビに映し出されるだけで嬉しかった。
国際試合の放送時には解説が英語なのも嬉しかった。
そんなある日のこと、日本人がそのチャンネルで映しだされて食いついた。青いユニフォームでサッカーをする日本人達。
どうやらワールドカップアジア最終予選放送の予告の様であった。
日記の日付をみると1997年11月8日(土) 日本VSカザフスタン
日本が初めてワールドカップ(フランス開催)出場を決めたあの予選がこの時行われていて、この試合に勝てば逆転でBグループ2位確定→更にAグループ2位とのプレーオフに勝てば出場が決まるという正念場(当時のアジア出場枠はわずか3?)
もうその日はずっとわくわくしてました。放送開始の22:30をひたすら待ちわびて。
そして待望の放送開始。めっちゃ写り悪くて音も流れなかったけどTV箱のなかの日本人みてテレビに抱きつくほどテンション上がってました。
試合中は空のペットボトルを両手に持ち一人で大騒ぎ。試合展開にはしゃぐのではなく日本人を見るだけで大はしゃぎ。「日本人がいっぱい!!」って
ホテルの人が「どうした!!?」とドアをノックしに来るくらい騒ぎまくって試合終了。




あの終わった時の虚しさったら無かったですねぇ。。。。テレビに抱きついて「行かないで!!」と泣きそうになるほどツライ別れでしたわ〜
まぁ変な話に聞こえるかもしれんがそのくらい追い詰められてたって話で。





ちなみに1回目の調査の時は研究室の仲間と2人部屋でした。
この相方ってのがちょっと変わったヤツで研究のことしか頭に無い様な人でした。

研究に没頭し、風呂に1週間入らないでもなんともないような・・・
そんな研究命の男だったから部屋にいる間もずっと横で文献を読んだり、電卓叩いて分析してたり。
その横で俺はずっと酒かっくらって彼のその様子見てんの。
自分は結構寂しがり屋だから話し相手が欲しいんだけど全然相手してもらえなかった。
そんなある日、文献を食い入るように見ていたT君が突然大笑いし始めた。



私は、おっ。会話のチャンスだ。と思い、笑顔で「なに?なに??どうした?」と語りかけた。
彼は読んでいた文献を指さしながら興奮気味に語り出した。
「ちょっと!ガンちゃん!聞いてよ!ぷぷっ。この論文書いた人、ここに書いてある資料だけでこの様式は○○とか断言しちゃってるんだよ?ぷぷっ。おかしいよね?ね?絶対。それ有り得ねーよ。ぷぷっ。これはね、、○○年の既往研究で・・・・・ぷぷっ。」


ドコガ・オモシロイノカ・サッパリ・ワカラナイズラ・・・・

T君は大笑いしながら楽しそうにその研究の矛盾について語りつづけた。
・・・・・・
「やっぱ俺、研究者になるの無理だわ。普通に働こう・・・」と思うに至った瞬間であった。

そしてその2年後、同じホテルの同じ部屋で「あんな研究命の男でもあの時は仲間がいて良かったなぁ」とインドで一人物思いにふけるのであった。
しんみり。。。。。

(つづく)


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インドの山奥で修行してきた話-16 【一回くらいは真面目な研究のお話】

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