インドの山奥で修行してきた話-17 【徐々にウェルカム感を失っていき難航する】

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1997年11月のはじめ頃、調査開始から1週間ほど経つと村人達の対応が途端によそよそしいものになっていった。
調査初日は大歓迎、二日目は歓迎、三日目は「あれ???また来てるよ」って感じで、四日目には「ん???まだいるの???」・・・・ってな空気の違いをヒシヒシと日々感じていた。
13話で書いたお昼ごはんをごちそうになるってパターンは4日目まででそれ以降はぱったり。
それどころか調査交渉自体難航しまくり。そもそも5日目まで計5軒もこんな唐突な依頼に成功したのが奇跡なんだけどね。
それぞれの住宅と住人について記すと、、、、、一軒目については11話で書いたので省略

二軒目は一軒目の道路向かいの直ぐ近くの住宅。
一軒目の一次調査が終わりウロウロしてたら向こうから手招きしてくれた。
ここではまだ友好的で昼飯の他お菓子出してくれたり、家族のアルバム持ってきて色々と家での思い出を語ってくれたり。


結構若い夫婦と小さな娘がひとり。今はひとりってだけでこれから他の家同様量産体制に入るものと思われる。
この若夫婦は他の家の住民のように床でゴロゴロ寝ずに家の中でサリーを織って働いている。その作業部屋の採寸が大変だった。

三軒目も二軒目同様ウロウロしていたら子供たちが「ウチにおいで」みたいな感じでスムーズ。
15人家族で住んでて規模も今までよりかなりデカイ。幼児から高校生くらいまでの10人程の子供たちが作業を手伝ってくれた。
ただ本音いうと邪魔なだけ。。。。ここの住人は全く英語が通じない。

上の子が邪魔になってそうな子供に「ウッティラ!」と盛んに言っているのを聞き、「邪魔だどけ!」って意味の現地語を学ぶ。



というか長い滞在中に覚えた現地語はこれだけ。この後何度も「ウッティラ!」使わせて頂きました。

この家は大人と老人も5人程いていつも家の中でゴロゴロ。皆私には無関心で助かった。

四軒目を探す頃から様子が変わった。私が通りを歩くと皆逃げるように家の奥に入り込んでしまうことが度々。
たまにアイコンタクトが成立してもきっぱり断られること数回。
そんな時にたまに遊んであげていた子供が「ハーイ!」とやってきた。
「すまん!お前の家を測らせてくれ!!」とゼスチャーで懇願し「ウチは小さくて汚いから。。。」
(言葉が通じないのでニュアンスだけ)みたいな事で一度は拒否されたものの最後は押し入り強盗のように侵入。お母ちゃんのびっくりした顔が忘れられない。


五軒目。勢いに乗って四軒目の隣家に突撃。家のおじいさんに交渉しOKが出たようだったので測り始めたら、なんかずっと話しかけてくる。現地語で言われてもわからんがな。。。。分からないのでモクモクと作業してたらなんか怒り始めた。身の危険を感じスゴスゴと退出。

その後通りを何往復もしたり隣の通りにターゲット移したりしたが何処も取り合ってくれない。
これはもう限界か?と思い始めた頃に一軒目のオバサンが通りかかって「どうした?」ってな感じ。こちらも困ってるアピールを全力でしてたら「付いて来い」みたいな感じで友人の家を紹介してくれた模様。大家世帯と画家若夫婦世帯の2世帯住宅だった。
この画家はタミル大学の哲学科で学んだという経歴の持ち主で英語が通じて非常に助かった。建築マンダラについても知っていた。
色々話をして「そういうことだったらタミル大学の考古学研究室に僕の友人がいるから訪ねてみろよ」と紹介状まで書いてくれた。

六軒目も極めて難航。いくらチャレンジしても次から次に断られる。二軒目と五軒目の人が途中から交渉の助けに入ってくれてやっとの思いで六軒目成功。

今までで最大規模の住宅。人が何人住んでるのかわからないほどウジャウジャ。荷物もめちゃくちゃ散らかってる。
家の奥行きが長すぎてほとんどの部屋が窓のない暗室状態。全体に湿っぽく床はヌルヌル。なんか変な匂いもする。
最後の方でわかったのだがここは親戚関係でもない5世帯で住んでいるそう。目が青くて顔つき的に西洋人の血が入ってるっぽい子供も数名。
なんか色々と闇がありそうな関係だったが言葉も通じないので想像だけで楽しんだ。

尚この家の年頃の娘さんは私にコーヒーを持ってきてくれたり必死にコミュニケーションとろうとしてくれたりした唯一の若い女性だった。

七軒目。。。。。
ダラシュラム村ではもう限界!!! ってな状況に。家の中に入れてもらった途端「金を出せ」という事件もあり(そそくさと逃げたけど)、寺の門から真っ直ぐ伸びるマンダラ上重要な通り沿いで六軒もサンプル取れたからこれくらいでって事で七軒目は場所を移動して14話で下調査していたパライヤライ村の巨大住宅をみっちり採寸。
ダラシュラム村でも最初はこんな風に歓迎されてたなぁ。。。と懐かしくなるほどの歓待を受ける。
ご飯ごちそうになったりインド独自の遊びを教えてもらったりして親交を深めた後に穏やかムードの中モクモクと作業。
ダラシュラム村の住宅は通りに面してひしめき合う長屋状態のつくりだったが、この住居は通りや寺院との街区上の関係が無い様でしっかりとした正方形を保っていた。ダラシュラム村で街・寺院・住居のマンダラ入れ子構造の分析に失敗した際には(実際この時点で分析はかなり難航していた)、論文でこの住居をモデルにマンダラを語るしか無いかなぁとも考えていた。

また村人との関係が悪くなる前にと、パライヤライ村では丸2日間この一軒だけをしっかり手早く調査し、翌日からは再びダラシュラム村に戻り仕上げの調査に入る事となる

(つづく)




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