子どもを亡くして社畜をやめた話⑤嗚咽の家と恫喝の職場

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前話: 子どもを亡くして社畜をやめた話④妻からのメール
このまま自然に任せ出産に向かった場合の
母体への影響とその危険性
また
もし無事出生したとして
生命維持を図った場合における
経済的な負担の重度について説明をした


そして
次の子に向けて動き出した方が良い
と言った


おれたちはその女医を信頼していたし
そのときの彼女の言葉は無責任に放り投げられたものではなく
おれたち2人に対して真剣に発せられたものだったから
むすこの症状の深刻さを十分に理解させられた

決断までの時間は少なく
それを過ぎると選択の余地は無くなり
突発的な死産により
妻の生命にも危険が及ぶ可能性を女医は示唆していた


それから数日後
おれはむすこを殺すことに決め
女医は海沿いの町にある医院を紹介した


月齢8ヶ月の胎児の人工出産を
延命しない前提で受け入れる病院は少ない
グレーゾーンの医療を引き受けるということになるからだ


むすこの命日はそれから10日後に決まったが
相変わらず胎動は続いており
妻やおれの呼びかけに答えているようだった


この胎動は機能不全からくるただの痙攣で
おれたちの言葉は届いていない
そう割り切れるほどには
共に過ごした時間は短くなかった


妻は表情を消し
それが戻ってくるときには嗚咽した
おれが好きになった笑顔は
不幸な事実を認識する前触れとして表れるのみで
その後は一気にバランスを失い
苦悶をさらけ出した


その表情の落差は凄まじく
感情の崩壊に飲み込まれそうで
おれは自宅に帰ることが恐怖だった



恫喝の職場

むすこの症状を知ってから
おれの仕事は少しずつクオリティを落としていった


状況判断が上手く出来ず
考えをまとめるまでに時間が掛かるようになり
何度も頭の中を整理しなければならなかった


当然ミスが増え
そのミスを挽回する為の時間が余計に掛かる
ただでさえ長い労働時間はさらに増えていく一方だった


そして


診断への付き添いや人工出産の為に取った休暇について
部長代理から陰口を叩かれていると
同僚が注意喚起のメールを送ってきていた


この頃はまだ体裁を保つことが出来ていた為に
部長代理に目を付けられることも無いと思っていたが
着実にロックオンされる方向へと向かっており
それまではあくまで他人事だった
日々恫喝される同僚の姿が
段々と未来の自分と重なって見える様になっていった


おれは日中は外回りに専念し
新規案件を求めて営業に出た
部長代理と顔を合わせる時間を極力減らしたかった


夕方過ぎにオフィスへ戻った時に
彼が既に帰宅していると安堵したし
逆に
まだデスクにいる姿が見えると恐怖感を覚え
それを悟られないように
わざと明るく振舞うようになった


あの頃は電車に揺られている一人の時間が
とにかく安心できる唯一の場所で
通勤時にしろ
外回りの営業に出掛けるにしろ
目的地に到着してはガッカリとしていた


テーマパークで

むすこの命日まであと数日に迫ったある日
おれと妻はテーマパークへと向かうことにした
死ぬと決まったむすこと共に
何か思い出を作りたいという妻の願いだった


当然だが妊娠中の妻が乗れるアトラクションは少ない
それでもテーマパークのファンタジックな世界の中にいるだけで
明るい気分になれたし
そうなる様に無理やりにでも楽しもうとした
この時ばかりは妻にも涙を伴わない自然な笑顔が戻った


日も暮れてきてそろそろ帰ろうという頃
新しく出来たという
熊のキャラクターの乗り物の列にならんだ
まだむすこの症状が発覚する前に
むすこのためにその熊のキャラクターの
ぬいぐるみを買っていたのだった


パンフレットやガイドには
妊娠中の搭乗について注意書きが無かった為
駄目で元々と思いその列を進んでいったのだが
案の定
上下の動きがあるアトラクションだった様で
安全バーを降ろさねばならないことが搭乗間近で分かった

あきらめたおれと妻は楽しみそうに並んでいる人々の列を離れ
通常は通行出来ない用になっている通路から
そのアトラクションを出た

突然ファンタジーから
数日後に迫っている現実に引き戻されたようで
おれはあの列に並んだことを後悔した


こうして


おれのむすこである「はじめ」との
最初で最後のテーマパークが終わった


数日後彼は生まれ
そして亡くなった

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