亡き父の戦友の眠るガダルカナル島への散骨の旅

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私は、建物の内部と丘を見つめ直し、思った。

「ここに間違いなく親父はいた」

 

この教会で仏教徒であった二郎を含む多くの日本兵が助けられた。

敵国の宗教であろうと、現地のカソリックのシスターたちは、日本兵にとっては命の恩人だ。

シスターがマリア様に見えたことであろう。

米軍は間もなく来ることはわかっていたはずだ。

なのに、なぜ、日本兵の命を救ってくれたのか、知りたかったのであろう。

だからプロテスタントではなく、カソリックの教会に通ったのだろう。

帰国後、多くの日本兵の命を救ってくれたことに感謝し、恩返しをしたかったのだろう。

しかし、神父さんには裏切られた。

どんな宗教でも、結局は、人間次第なのだ。

釣部家は、仏壇とマリア様が並んでいるが、イエスでなくマリアである理由もわかった。

 

二郎は、最期は自ら食事を絶った。

思い返せば、最期の夜は、ガ島の夜と同じように、雷が鳴り大雨であった。

未明には上がり、息を引きった午前五時五〇分直後、カーテンの隙間から太陽の光が二郎に射した。

戦友が迎えに来ていたのだろう。


お正月に、マリア様にもお雑煮やお神酒を上げることを不思議に思って、

その理由を二郎に聞いたことがあった。

二郎は「神様はケンカしないから、いいんだ」と答えた。

そう答えた意味がわかった。


戦争の原因は、宗教や民族じゃない、差別だ。

神様はケンカしないけど、人間は差別して戦争する。

愚かな生き物だ。

二郎は、次世代にそれを伝えたかったのだろう。

だから、現地を見ればわかる。息子に散骨して欲しいと言ったのだと私は思った。

 

最終日の朝、部屋で出発準備をしていると、ベランダに一羽の鳥がやってきた。

ベランダに出ても逃げない。


お別れに来てくれたのか? 、


私はガ島に来て、二郎と初めてつながった気がした。


無論、二郎の生還なくして、今の自分は存在しない。

パートナーは

「まるで、TV番組のフミリーヒストリーを自分でやったみたいね

と感慨深気に言った。

 

成田空港は気温九度体が縮む寒さで、ガ島とは真逆の冬だった。

何千人もの無念の死を遂げた戦友の思いが詰まっているであろうアリゲータクリークの海岸のサンゴの石とともに帰国した。

二人は家に着くと、笑顔で笑う二郎の遺影に帰国の報告をした。

 

改めて今、父二郎は私にとって、どんな存在だったのだろうか?

 

正直、何もしなかった。

つまり、私の成長の邪魔をせず、ひたすら、見守りサポートをしてくれていた。

大学に受かっても、国体選手になっても、ほめてくれることはなかった。


親父!俺を今日北海道で一番になったんだけど、なんか言うことのないの?」

と一度訊いたとがある。

「あー、そうらしいなー、おめでとう、よかったな」

とそっけない。この時、私は悟った。

「親父は、俺が成功しても喜んでくれないんだ」と。


それはすごくいいことだった。試合は負ける時もある。

試合で一回戦で負けたとき、「今日は一回戦で負けたよ」というと、

「あおーそうか、残念だったね」とまたそっけない。


どれだけ救われたことか・・・。


でも、後で聴くと外では、私のことを自慢していたらしい、相当と喜んでいたらしい。

二〇年後くらいに母親から聞いた。


冤罪被害をうけた時もだった。

「大変だなー、それでお前らはやったんか?」

と訊かれた。

「違うよ、俺は犯罪はしないよ、親父の子だよ」

と答えると、

「そうだよな、俺の子だ、わかった。誠実に生きるんだぞ!」

と言い、それ以上は事件について、一切何も言わなかった。死ぬまで。

 

その親父が大好きだったのが母、私からすれば祖母。

祖母は、私は小学生の時に他界したが、私をかわいがってくれた。

私には 死んだおじいちゃんの面影あるとかで・・・。

 

親父と同居した時、親父の部屋には二枚の写真があった。

祖母の写真と一人の女性の写真。この女性は母親ではない。

でも、釣部の姓である。私の母親と結婚する前に親父が結婚した女性であろう。


この女性について、親父は私に話したことがないし、私も聞いたことがない。

彼女を看取るために結婚したのだろう。

 

5月1日私が、自分の体験生かして、「被疑者家族支援活動」を始める日の朝、

これまでも、一度も夢に出てきたことはなかったお婆ちゃんが夢に出てきた。

そして、「おめでとう!」と言ってくれた。


今まで、親父一人だけ写真を飾っていたが、その日から、三人そろって飾った。


三人に線香をあげることにした。


親父はこの女性のことが好きだったのだろう。

でも、母と結婚していなければ、私は生まれていない。

 

親父の最期、手を握りながら、見送ることができた。

最後の最後に、親孝行できたのかもしれない。

私は、二郎の子どもあることを誇りに思っている。

                     <おわり>

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