7月の5話 フランスに来た理由3
このような経緯を、ざっくりと話して、
「My Japanese supervisors don't.......」
と、その後に続く言葉を探して詰まっていると、ボスが先に、
「supervise you.」
と続けてくれた。そう、まさにその通り。私は、日本で、スーパーバイザー(指導教官)に、スーパーバイズド(アドバイスのレベル高い版、日本語だと指導)してもらったような気がしたことが無いのだ。フランスにいる間、事あるごとに、ボスは、「日本の指導教官は何て言っているんだ」と聞いてくれた。だけど、指導教官の答えは、いつも、私の判断で良い、というもの。そういう私の答えを聞いてきて、ボスも、この状況を薄々感じ取ってくれていたのだろう。
どうやら私は、先生に対しての依存度がすごく大きい。自分の能力の伸びる伸びないは、指導者に掛かっていると思っている、と言っても過言じゃない。実際、それが真理だと思うところもある。自分の能力の伸びは、情報ソース次第。これまで、自分の実力を引き上げてくれたのは先生だったり親だったりという、指導してくれた人たちだった。
高校までは、教師は自分の世界観を拡げてくれる存在だった。教師が見せてくれる新しい知識、世界観を、キラキラとした驚きと共に吸収するのが楽しかった。それなのに、大学では、教授が難しそうな、わけのわからないことを延々と喋るだけの授業が珍しくない。学生の理解度などちっとも念頭にないように見える先生もいる。内容理解以前に、版書された文字の解読に頭を悩ませなくてはならない授業もあった。しかも、私は当初学びたいと思った科目ではなかったこともあったのだろう、自分から図書館に行って書物に当たろうという考え方はまるで出てこなかった。大学では自分で勉強しないといけない、と世間は言うが、私にとって勉強とは、「これを理解しましょう、覚えましょう」というものが先にありきで、そのミッションをこなすために努力する、ということに他ならなかった。だって高校まではそうだったのだから。そんなわけで、そもそも勉強する、とはどういうことであるのかも分からない。漠然と憧れている研究、とはこんなものなのか、こんな素人の自分が自分なりに切磋琢磨したところでたかだ知れているではないか、こんな教え方しかしてもらえないのだろうか。本当にそうなのだろうか・・・・・・。これも、私がわざわざフランスに来た大きな理由であった。他の国ではどうなのか、見たかったのだ。
・・・
でも、こちらのボスは、私が求める上司像に非常に近い。
毎日、コンニチワと挨拶に来てくれるし
元気か、困ったことは無いか、研究のことのみならず、生活のことまでも全部心配してくれる。
私が自分の疑問点が何なのかも分からず沈黙を保っていれば、ボスから、元気か、問題は無いかと促しに来てくれる。
フランスでは、皆、スーパーバイザーっていうのは、あなたみたいな人なのか、と聞いたら
それはどういう意味だと聞かれたので、上記のようなことを言って
日本では、私が質問に行かなければ、先生から私の様子を見に来ることは無い、質問を促しに来ることも無い、と言ったら、
「有り得ない」
と言ってくれた。
(これは私にとっては、泣きそうになるほど嬉しい言葉。)
「まず一番大切なのは、学生が心地良くいることだ。ハッピーでいることだ。学生がハッピーでなければ、その学生は、決していい仕事をしない。だから、自分は、学生が気分良くいるかどうかを常に気にしていたいと思っている。」
私もそう思う。
私が最初に勤めていた会社も、そんな空気を感じて、それが私にはすごくまっとうなことに思えたものだ。
「日本では、皆スーパーバイザーはそんななのか」
と聞いてくれたので、分からないけど、私のスーパーバイザー達はそうだった、と伝えることができた。
私は、このとき、多分はじめて、私が持っていた不満に対して、共感してくれる人を得た形だ。
このことが、どんなに私を勇気づけたか、何千字でも説明できるほどの思いがある。
私は、日本の大学で受けてきた教育に、いつも失望してた。
だから、他はどんななのか、見てみたい、確かめてみたい、という思いがあった。
今フランスにいるのも、それは、本当に、大きな大きな理由の一つだったのだ。実は。
この話を聞いてくれたボスが、私のこの先の進路について色々とアドバイスをくれた。「実際、君の人生だから僕は知らないけどね、」と何度も前置きをしながらも、色々とアドバイスをくれた。
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