40代半ばで会社役員を辞任し、起業を決意! その背景にある亡き娘へとの闘いとその思いをつづります

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経管チューブは直径数mm、長さが30cm程度の管です。
その管を娘の鼻から入れ、胃まで通し、体外に出ている管の先端にミルク注入器を取り付けます。
そしてそこから胃までミルクを送り届けるという対応をとることになりました。

病院内であれば、看護師さんが慣れた手つきで対応してくれます。
しかし娘が退院すれば、当然、私たちでその対応をしなければならない。
娘が退院するまでの間、自分たちの対応を看護師さんにチェック、レクチャーし続けてもらいました。

娘の退院を見据え、私たちは必死でした。


~ 退院そして家族一緒の生活、つかの間の幸せ ~

入院してから1ヶ月程度、担当医師の許可がおり、ようやく待ちに待った娘の退院が決まりました。
これで毎日の病院通いから解放され、いままで限られた時間でしか触れることができなかった娘にいつでも触れることができます。

やっと娘と普通の生活を送れる―――。

たったそれだけのことが、私たちにとって何にも代えがたい幸せでした。
きっと妻の方が私より何倍、何十倍もその気持ちが強かったと思います。

ただその自由と引き換えに私たちがしなければならない事、それは娘にチアノーゼを発生させないための日々のケア、必要な栄養が十分摂れるよう経管チューブを常に娘の体に装備することでした。

経管チューブはそもそも胃まで入れることがとても難しい。
人の体は構造上、鼻から胃までの通り道が極端にカーブしているので、いくら管が柔らかいといえども、体内のどこかで引っかかる確率が高く、一度ですんなり入るのはまれです。

娘からすれば、都度異物を入れられる訳なので、不快極まりない。
器官のどこかでつっかかれば苦しいので、泣きわめくし、必死に動いて抵抗をします。
泣いて体に力が入ると、娘の体にすぐチアノーゼが発生してしまう。
そうするとただでさえ難易度の高い管の注入作業はほぼ不可能になります。

そして経管チューブが一度入れば抜けないように鼻の脇をテープで固定しなければならない。
このテープは粘着が強いので皮膚がかぶれやすく、肌も非常に弱かった娘にとっては、耐え難いかゆみだったのでしょう。娘はその部分を何度も何度も手で触ってしまいます。

するとその手でテープを剥がしてしまったり、経管チューブをひっかけたりして、管が抜いてしまう事が日常茶飯事でした。苦労してクリアした作業がいっぺんに振り出しに戻ってしまいます。

また衛生面でも、経管チューブは数日に一回取り換える必要があります。
まさに親子して苦痛の作業です。
娘が苦しくて大声で泣いているのに、私たちは彼女のためにその作業を完了するまでやめてはいけない。

「なんでこんな苦しいことを続けなければならないのか・・・」

この感情は手術前までの数か月間、ほぼ毎日私たちを悩ませ、妻はこの作業でよく涙を流していました。

ただ、それ以外でも、娘の体について異常を感じていたことがあります。

一般的には生後3~4ヶ月で首が座ると言いますが、生後半年以上経過してもその気配が一向にありません。また時折、娘の視点が左右に小刻みに揺れていました。

しかし、私たちにとっては初めての育児。

娘は娘なりに「ウー」とか「アー」などの言葉を発したり、寝返りを打とうとするなど成長もみせてくれていました。一般的にどうだという基準もあくまで基準なので、これはこの子の個性なんだと割り切って日々を過ごしていました。

今振り返ると、この時が我が家で一番、穏やかな時間が流れていたように思います。


~ 手術の決断 ~

娘の心臓病(ファロー四徴症)を完治させるためには手術を行うしかありません。
今後の彼女の生活を考えるといつかは対応が必要になります。
早く行うに越したことはないのですが、問題は娘の体力が手術に耐えられるかどうかでした。

通院先の千葉の病院の主治医にその点を相談すると、こう回答されました。

「体重がもう少し増えるまでは手術を待ちましょう。場合によっては3歳くらいまで待っても良いと思います。」

ただこちらとしては、日々娘の体調とにらめっこの生活に疲弊していたため、素直にその言葉を受け取ることができませんでした。娘の体調もそうなのですが、私たちもこの苦しい状況から早く解放されたかったんだと思います。

「本当にまだ待つ必要があるのか・・・?」

ネットなどの情報なども色々と収集し始めました。

「早く手術をさせたい」

いつも間にか、私たちは都合の良い思考にどんどんはまっていきました。

結果として、病院の主治医に依頼し、小児の心臓外科で症例の多い都内の有名病院への紹介状を書いてもらい、そちらでの診察を受けることを決意しました。

紹介先の病院で2人の診察医に診てもらったところ、2人の診察結果は手術OKとNOの真っ二つに分かれてしまいました。

これには困りました。

専門家の目から見ても、娘に手術に耐えうる体力の見方が分かれるのに、素人の私たちにその判断がつくわけがありません。ただ当時は、手術OK派の診察医の意見に妙に説得力を感じてしまいました。

心の中でもう一人の自分がささやきます。

「手術さえすれば平穏な日々が手に入るのに、何を迷う?」

私が出した決断は「手術をこのタイミングで行う」ことでした。

その決断をしてからは、あれよあれよと手術日までの段取りが決まります。
そして、あっという間に執刀前日の血液検査の日を迎えました。

私たちとしては初めての経験で、

「これで娘が普通の子と同じように生活ができる!」という希望と
「名医が執刀してくれるけど、本当に大丈夫だろうか?」という不安が

交錯した複雑な心境でした。

この血液検査について不安な面を助長させる出来事が起きました。
血液検査要の部屋へ運ばれた娘から血液を採取しようとした際に、想定以上の時間を要し、娘の体に相当の負担をかけたのです。娘の血管がなかなか浮き出なかったためとのことでした。

正確な時間を覚えていませんが、通常数分で済む作業が1時間近くかかっていたのではないかと思います。私たちは廊下で待機していましたが、娘の大きな泣き声が廊下まで響き渡っていました。

あとで説明は受けましたが、私の内心は怒りに震えていました。

「なんでプロなのにこんなことに手間取るんだ!チアノーゼが出るじゃないか!」

採血立ち合いには看護師含め4~5人関わっていたからです。

なんとか採血が終わった娘は、目をつぶり紅潮した顔や体で移動用ベット上でぐったりしていました。あの背中を向けた状態での娘の姿は今でも鮮明に目に焼き付いています。

「本当にこのまま手術を進めていいんだろうか?」

何かの前触れのようにも思え、当時の私の心は強烈な不安にとらわれました。
今思えば、この時が手術中止を決意できることができたチャンスだったのです。

しかし様々な葛藤の中、私は自分に言い聞かせ手術を決行しました。

「いつか手術は行わなければならないし、名医が執刀するのだから今しかない!」
「手術さえクリアできれば、その先には家族3人の穏やかな生活が待っている!」

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