40代半ばで会社役員を辞任し、起業を決意! その背景にある亡き娘へとの闘いとその思いをつづります

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「もう止めますね!」

最後にそう言って医師が処置を止めたことで、もう私たちの元から娘は旅立ってしまいました。

医師が娘の亡くなった時間を告げ、記録を行った後、私たちに話しかけました。

「これから体に入れた管をすべて取り外します。娘さんを抱っこしてあげてください。」

約2か月間、ベットに固定され抱っこすることもできなかった愛娘。
変わり果てた娘を妻と交互に抱きしめました。

もう娘はピクリとも動いてくれません。
抱きながら私はただただ呆然としていました。

その後、すぐに別室で医師からの説明がなされました。心臓手術については問題はなかったが、併発した病気から娘が大きなダメージを受けた的な話をされたと思います。

しかし私たちにとって、もうそれはどうでもいい事でした。

説明が終わってから、別室に移された娘のもとへ行くと、看護師が娘の体をタオルで拭いていました。娘が退院したら一緒に遊ぼうと持ち込んでいた、音のなるアンパンマンのおもちゃの音楽を流しながら。

「お父さん、お母さんも拭いてあげてください。」

促されて娘の体をタオルできれいにしてあげている時、自分自身からポロリと言葉がでてきました。

「なんで・・・。」

静かな室内におもちゃの音楽だけが流れる中、私の感情は切れ、涙が堰切ったようにボロボロと流れ落ちてきました。

今まで生きてきた中で味わったことのない、とてつもない悲哀、そして絶望の涙でした。

数時間後に小さな体で立派に戦い抜いた娘を車に乗せ、病院関係者に見送られながら家路に着きました。私の父母も駆け付けていましたが、車内は終始無言でした。

葬儀場の予約がすぐに取れなかったので、2日間は娘の遺体を自宅で安置していました。

入院時にはしたくてもできなかった娘と家族3人だけの時間。
そこには魂の抜けてしまった娘の体が横たわっているだけです。

けれども、私たちにとってはかけがえのない最後の残された時間。

娘はもう返事をしてくれません。
でもそんなことは構わず妻と娘に声を掛け合っていました。
どんな言葉をかけたのか、今となってはほとんど覚えていません。

2日間、昼間は妻と交代交代で付き添い、夜は同じ部屋で布団を並べて川の字で寝ました。

一方で、まだ現実を受け止めきれず、これは夢じゃないかと信じたい気持ちが交差している。
言葉では言い表せない色々な感情が湧き出る中、最後の瞬間までただただ娘に寄り添い過ごしました。

そして3日後、関わり合いのあった方々とともに、娘を天国へ送り出しました。
娘への寄せ書きを葬儀の参列者にしてもらったのですが、私の父からの寄せ書きにこう記してありました。

「楽しいときより苦しいときの方が多くて大変だったね。よく頑張ったね。」

この言葉を見た時、親として娘には本当につらい思いばかりさせてしまったと改めて感じていました。


―――

~ 今、そして未来にむけて ~

あれから10年経った今、

妻は亡くなった方向けに、通販で手作りのガラス仏具(https://bee-s.net/)を提供しています。
ときに亡くなった方の親族の気持ちに寄り添いながら、ときに一緒に涙を流しながら、遺族の方を癒すために日々、過去の体験を踏まえ向き合っています。

私も妻と一緒にその活動を行っている時期もありましたが、一方でこんな考えも湧いてきました。

「もし娘がまだ生きていたら、娘と私たちはどんな人生を歩んでいたんだろうか?」

後で分かったことですが、娘は生前、別の病気を患わっていた可能性があり、この病気が娘の命を奪った可能性が高いとの説明を医師から受けました。

病名は「ミトコンドリア病」。難病の一種であり、現在もまだ治療方法が見つかっていません。
入院前に出ていた、娘の首のすわりが見られなかったり、視点が左右に細かく揺れるのもその症状と考えられます。

娘を亡くしたことは私たちにとって悲劇以外の何物でもありません。
今でもふと当時を思い出し、時には人目をはばからず涙にくれることがあります。

しかし、仮に彼女が生き続けてくれたとしたら、今はまだ不治の病を抱えながら不自由と一生付き合わなければならない大変な日々だったと思います。私たち親としても娘をサポートし続けなければならない日々だったでしょう。そして先に衰えていく自分たちの健康状態を考えながら、娘の自立を願いつつ将来を案じていたのではないかと思うのです。

私たちのような悲劇はなかったけれど、今まさにその悩める境遇におかれている人たちがいるー
そのことに対して何かできる事がないかを考える時間が日々増えていきました。
障害を持っている事で、一般社会で活動する選択肢を狭められている方々の話も耳に入ってきました。

そしてそこから、そもそも障害を持っている、持っていないにかかわらず、あるいは置かれている環境がどうであるかに関わらず、

「世の中のみんなが自分の個性を社会で発揮でき、個々が自立できる世界をつくりたい」

との思いを持つようになっていきました。

幸い近年はインターネット等の情報網や人の考え・行動をサポートできるテクノロジー発展のお陰で、様々な形で社会とかかわれる選択肢が増えており、色んな形や場所で個性を生かす環境が整いつつあると感じています。

そういった環境でより多くの人が活躍できるよう橋渡ししてあげるのが、自分の使命であり、残された人生をそれにかけていくことを決意し、起業することにしました。

最後に、新しい事業に対する私の根っこにある、もうひとつの思いがあります。

それは・・・

ー この世界でお父さんが経験した色々なことを、天国で再会する娘にお話ししてあげること -

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