私の物語の下書き5

母方の家について
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※画像はイメージ演出です



母は地元の温泉地からさらに外れの小さな集落の家で生まれ育ちました。

山間の石材の産地として細々と営まれていたその村で、
代々石工・石の彫刻や彫像師としてその地域で一目置かれていた父(私の母方の祖父)とそれを支える戦時中を生きた母(母方の祖母)との大勢の兄弟姉妹の内の1人でした。


小さな山々が並び出す麓にあるその家のすぐ裏手には、かつて神社があり
そのまた少し上に小さな小さなお城(陣屋?)が江戸時代以前に建っていたそうです。
母方の何代か前の祖先が居た頃は、そこの主が馬で外出する際にその麓の屋敷に立ち寄り談笑してから出かけたりしていたとかなんとか…本当かどうかは現在では容易に確かめる術はありませんが、少なくとも神社跡は確認しました。なにぶん母が人から聞いた記憶の話でしょうし、過分に強いデフォルメや勘違いが混じっている可能性もあるので私は話半分に聞いています。

私が小さい頃はまだその家の建物は健在で、夏には母の帰省も兼ねて兄弟そろって暫く泊まる習慣がありました。私にとっては稀なイベント事で種々の物珍しさや新鮮さがありそれなりにその都度楽しみにしていたと思います。母と兄弟だけの夏季田舎体験みたいなものでしょうか。GoogleMAPで確認してみると今にして思えば実家から大した距離はありませんが、最終的に世間で言うような家族旅行というものは一切したことがなかったですし、遠出をする機会が極めて乏しい子供時代の私にとってはそのような印象でした。


   ※画像はイメージ演出です

その家屋はすごく大きいとまでは言えなくても軽い屋敷といった様相ではあったと記憶しています。家の一番奥の座敷の床の間の掛け軸を吊るす位置の壁が縦回転の回転戸口になっており、すぐに裏庭に抜け出せる仕掛けが付いていました。まるで漫画のようだと驚きました。その戸口は元々あったものか戦中のある時期に付いたものなのかすら定かではなく、建物そのものもいつの時代からあったものかはわかりませんが、つくりとしては古民家と呼んでも左程差し支えはないもののように思えます。ところどころ現代風(といっても大正・昭和的なレベルでのですが)に改められている部分もありました。洗濯についても洗濯機もあったでしょうが、家の前を流れる用水を使って洗いモノを手洗いをする場所がありました。スイカなどもそこで冷やしていたり。

風呂は薪で外から焚く方式で、小さい頃にそこで入浴した記憶もあります。
そして家の前は軽い庭園のようになっており、彫刻された様々な石像があちこちに置かれていました。その屋敷の脇には石を工作するための広くない背の高い工場が付随していて、母の兄にあたる叔父が家業を引き継いで作業場としていました。


   ※画像はイメージ演出です


母方の祖父は様々な仕事を遺したそうですが、祖父については私が就学する前くらいの時期に亡くなりその屋敷で多くの人が集まった葬儀をした記憶がおぼろげながらあります。父方の祖父よりは母方の祖父の記憶は多少ありますが、人となりを感じ知るほどの時期ではなかったのでしょう。
故に私には家族肉親としてのお爺さんの記憶がほとんどありません。

その祖父が亡くなってからはその大きな家に母方の祖母が1人で暮らし、長男である叔父が近くの街からその家の傍らの仕事場に通うという状態が暫く続いていたようです。
他の母の兄弟姉妹については断片的にしか知りませんが10人前後居たようで幼くして亡くなった方も数名いたそうです。母は長男の兄の叔父以外の兄弟姉妹とはそれほど繋がりが無かったように見え、私が訊いてもあまり話をしたくないのか他人事のように話が続かない感じでした。稀に接触があった際に話す機会があっても、母の話は論理性や順序性に極めて乏しく誰についての話しているのか文脈がまったくもってあやふやで私があまり良く理解できなかったせいもあります。



   ※画像はイメージ演出です

母方の祖父とその祖先の仕事の一部はおそらく今でも残っていると思われますが、
その集落の(一応現代に合わせて町となっています)石橋や
その集落のひっそりとした墓地にそびえ立つその地域の日露戦争戦没者の合同墓碑や
多くの方や家のお墓に刻まれた文字など(書体に特徴がある)もそうですし
散らばった様々な彫刻彫像もまだどこかにあるのではないかと思います。
しかし手がかりは現在となってはほとんどありません。

合同墓碑については、母方の家の墓と並ぶように建立されており
傍らにある小さい墓が母方の家の墓だということに割と後年まで知らずにいました。
地元の報道関係者がこのひときわ大きな合同碑を見つけ、母の存在をつきとめ取材を申し込みに来た事があったらしいのですが母はアポイントをとってきた報道関係者を不審がり、次男を使って体よく断ったそうです。母の年齢等からして母方の先祖を含んだ日露戦争戦没者の合同墓碑を彫ったのは、母方の祖父の一代か二代前かと思われます。囲いの石の門柱には昭和二年と刻まれていましたので日露戦争が終って二十年以上経過した時期です。うろ覚えですが墓石自体の高さは三メートル以上五メートル以内程度かと記憶しています。数年前に訪れた時には台となる石と土で造られた囲いがだいぶ歪んでいました。


時代はよくわかりませんが、その地に移る前の先祖は隣県の地で栄えた家系から派生したそうで確かにそこの地名に片鱗が窺えました。

また、父方の家系は元々母方の家系から派生しているので
実は父母は割と近い いとこ婚なのでした。


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