私の物語の下書き6

意図せずに知った母の記事のはなし

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https://storys.jp/story/31927




結婚した母はそのまま父の勤める関東地方へ転居し同居生活を始めました。


【直接誰かに聞いた話ではなくふとした契機で知ることになった話】ですが、
母は子を作る事や母に成ることに強い執着があったようで、
結婚後にしばらく子が授からない事、不妊症ではなかったのかもしれませんが不妊ぎみであったことにひどく悩み落ち込んでいたそうです。

その当時 既に父が入会し通っていたとある宗教団体の道場にも、父の勧めから母は打算的に通い始めたそうです。不妊について精神的に病み始めた母を気遣ってか、或いは自身では彼女の悩みを受け止める余裕が無くてか、今となってはわかりませんが悩みに耳を傾けてくれる場を父は提供しました。そこでは「信仰に励み徳を積めば子が授かる」というような事を言われ彼女はその時点では半信半疑な部分も多少はあったそうですが、朝から夕までその活動に勤しみ通い詰めていたそうです。その助言は好意的に捉えれば「折り目正しく生活を営み精神と身体を整え律し安定すれば、自ずと妊娠もできるでしょう」というようなニュアンスをその宗教式の言葉に置き換えたものだったのかもしれません。年数にしてみるとそれほどでもなかったようですが、その後ついに彼女に第一子が授かります。長男です。

彼女は「信仰に勤めたからこそ授かった!」と驚喜します。
“その宗教のおかげで” 子を得た。そう確信した。確信してしまったようです。
そして出産の翌年にもまた妊娠をします。
「これも信仰に励んだおかげだ」と宗教活動にますますのめり込んで行きました。

しかし第二子の次男は産まれた時点で当時としてはかなり重い病気を抱えており、死線を彷徨っていました。宗教に熱心になってしまっている彼女の周囲の眼は厳しかったそうです。母は第一子と第二子が産まれた頃には父とその宗教団体の代表者に対して崇拝か盲信と言って良いほどに心酔しており、その後の生涯を通じてその二人を否定したり悪く言う事はありませんでした。依存していたと言っても決して過言ではないものです。私の記憶の限りでは一切喧嘩をしなかったかというと微妙な所はあるものの、通常の夫婦喧嘩のような状況を見た記憶は一切ありません。父は当時としてはエリートとも言える国立大教授職へ勤め収入面も安定し、心酔する宗教にも導いてくれた人物ですからある意味自然かもしれません。


   ※画像はイメージ演出です

父は最初に自分が勧めたとはいえ、家事を疎かにしがちなまま宗教活動に没入してゆく母に対して内心では快くは思っていない側面がありました。彼女の家庭における働きぶりについて目に余る時は厳しく叱責し注意喚起していた様子を彼女自身がとある場で告白していましたが、決して頻繁なものではないにせよそれは私の幼少時の印象と合致するものでした。

父は基本的には寡黙な人物でしたが、癇癪持ちでせっかちな側面もあり頭に血がのぼりカッとなる事が稀にありました。父が運転をする車は母の運転と比べ非常に粗々しくその片鱗が出ているように思えました。また、あまり人が好きではないような対人恐怖症的な傾向もあり、自分の子供にさえそのようにおっかなびっくりに接する側面もありました。自分の子供を怖がっているようにも受け取れる場面は幾度もあったと思います。

だからといって彼は誰彼構わず拒絶し人間関係を断つような事はしていなかったと思います。それは宗教的影響も相当にあったでしょう。他の家庭の親のように物事や価値観を強要強制するような事は大概の事柄に於いて滅多になく大筋で寛容な様相でありましたが、逆に云って放置 無関心 無視ぎみだったとも見れます。

彼がその宗教に通い出したのは大学生の頃からと書いてありました。
母に対しては結婚後しばらくは宗教の事は伏せていたようです。
また時期や期間や対象は不明瞭ですが、虐めに遭っていた事があったような話も晩年の母から零れ聞きました。大学生の頃なのかその前からなのか、または講師や助教授の研究室でなのか、それらの複数なのか。コミュニケーション能力が乏しく友人関係を構築するのが不得手でおとなしい 勉学に打ち込む男が、虐めの対象になるのは当時としても珍しい事ではなかったでしょう。私の推察ですが、そういう事もあって思い悩み当時流行りはじめた新宗教(新興宗教)に繋がった…というのはそれほど不自然でもない気はします。


母は心酔する宗教活動に没頭(或いは逃避)しつつ、
家事や日常生活も含めて自身なりに信仰をまもり学び実践し『良い母』になろうと出来る範囲で励んでいたようです。あくまで彼女にとっては信仰と父がベースであり基軸でした。

次男は生後まもなく大きな手術を幾度か経たのち一命をとりとめました。
時折部分的にではありますが体調の悪く出る事があるようですが概ね健康体として育っていきました。普段においてはむしろ目立った疾病の見当たらなかった他の兄弟らよりもよほど活発で生命力に溢れていたと思います。


 (2018-10-03記)

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