28歳で投資銀行を辞めてアメリカ留学予定だったのに、フィリピンに語学学校を設立してしまった経緯の話(第三話)

前話: 28歳で投資銀行を辞めてアメリカ留学予定だったのに、フィリピンに語学学校を設立してしまった経緯の話(第二話)
次話: 28歳で投資銀行を辞めてアメリカ留学予定だったのに、フィリピンに語学学校を設立してしまった経緯の話(第四話)

転換点

「机上の空論を並べるコンサルタントにはなりたくない!」

第二話の事件をきっかけに、僕の人生は大きく舵を切ることになる。

色々と考えを巡らせた末に、僕が選んだ結論として、
「アジアで起業もしくは就職をし、泥臭い経験を積み重ねる!」
これこそ、今の僕に足りない経験であり、必要な経験であると定義。

さて、決めたからには行動はなるべく早くがモットー。
まず、そもそも海外経験がほとんどなく、英語も喋れない僕にとっての第一関門は、
もちろん「英語」である。英語も喋れない人間が、海外で働こうなんて、素っ裸で戦場に飛び込んでいくようなもの。

当時の僕の頭の中では、英語を学ぶ=アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア。
それしか選択肢は無かった。この中で、もっとも刺激的な経験が出来そうな国
と言えば、「アメリカでしょ!」ということで、何の疑いもなく、アメリカのシカゴに
ある語学学校に6か月間留学することを、なんとなく決めてしまった。
※「シカゴ」に決めた理由は、単に西海岸と東海岸のちょうど中間に位置しているので、どちらにも行きやすいだろうという、極めて浅はかな理由であったことは内緒にしておく。

確かに金額的にもなかなかで、現地の生活費や航空券代なども考慮すると、
200万円以上掛かるようだったが、留学市場の相場なんて知らない
当時の僕からすると、「高いけど、その位はするんだろうな。留学だもの」
と思う程度であった。


順調に留学準備を進める中で、かねてより良き相談相手であった
同僚の鈴木光貴(現ユナイテッド・リグロース CFO)も同じく「アジア」「経営者」
といったキーワードではような考え方を持っていたので、
「こういうビジネスがしたい」などといった話題で深夜まで語りあった。

この時は、彼と一緒に創業することになるとは夢想だにしていなかった。

そんなある日のことである。

カズ、俺の知り合いでめちゃめちゃ熱くて、さらにアジア進出を考えている友人がいるんだけど、お互いアジアを目指す人間として会ってみては?
それは面白いね!ぜひ一度皆で飲みながら、熱い将来の話でもしようよ!
この時の彼の提案こそ、現在のユナイテッド・リグロース株式会社が生まれる
初めのきっかけとなったのである。

その提案からしばらくもしないうちに、初めて3人が顔を合わせる席が
東京浅草にて設けられた。

秋風が吹く2011年11月頃だった。


First Contact


鈴木から事前に仕入れた情報としてはかなりざっくりで、
「不動産会社でトップセールスだった男」、
「テコンドーで世界大会に出た男」、
「とにかくアツい男」。。

事前情報を総合すると、どう考えてもガタイのいい、イカツイ顔した男
想像してしまっていたが、

現れた彼は、驚くほど予想通りだった。


一通り挨拶を済ませた後、話題は僕が予定しているアメリカ留学の話に。

ざっと、「なぜアメリカ留学を決めたのか?」について理由を説明していると、、


呉 宗樹
アメリカに留学したい理由は分かったけど、それと同等もしくはそれ以上の英語学習がアジアで実現出来るとしたら、すごくない?
最終的な目的地はアジアだから、それが出来たら最高だけど、アジアで英語学べるところなんてないでしょう?英語圏じゃないし。
呉 宗樹
ふふふっ。やはりまだ知らないよね。お隣の韓国がアジア通貨危機で国が潰れそうになって以降、急速にグローバル化していってる事実は有名な話だけど、そのグローバル化の裏には、アジアのある国が一躍を担っているだよね。これは、俺が韓国に留学した時に知った衝撃の事実。
・・・そろそろ教えて下さい。。
呉 宗樹
さらに、カズは英語初心者だよね。初心者のカズがアメリカの語学学校に行って、10人~20人位のグループクラスで6か月英語勉強して、喋れるようになると思う?それよりも、先生とマンツーマン形式で自分のレベルに合わせて勉強した方が効果的だと思わない?
・・・それはもちろんマンツーマンで勉強出来れば最高ですけど、それだとめちゃくちゃ授業料が高くなるのは明らかでしょう?
呉 宗樹
そのマンツーマンレッスンが、アジアの「ある国」に行ったら、欧米の2~3分の1程度の費用で出来るとなったら、どうよ?
それが本当の話なら、その「ある国」に行って勉強しますよ!頼みます、教えてください。。
呉 宗樹
答えは、アジアの英語大国『フィリピン』だよ。
ふ、ふ、フィリピンですと!?

この出会いが、僕の人生の大きな転換点となることに、
この時点の僕には知る由も無かった。

(第四話に続く)

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