今でも私の支え。犬のピピの物語(2)第一章 魔法のはじまり 宇宙耳と傷がついた子犬

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第一章 魔法のはじまり

ピ。はじめて会った時、ピピは、おろしたてのゼロ歳で、わたしは、つかれはてた28歳で、ふたたび、ものを書きはじめていました。
 19歳からの8年間、わたしは、ながいながい薄闇(うすやみ)のなかを泳いでいました。びみょうな大さわぎ、あいまいな誤解。きみょうな言葉、5回鳴る電話、双眼鏡(そうがんきょう)と、顔をかくした男。
 はじまりは、むじゃきで単純でした。それが、ねじれを重ねて、ふくざつかいきな化けものになる。そして、最後にわらわれました。わたしは、ぼさぼさに消耗したけれど、自分自身への、信頼のようなものを手に入れました。
 自分を信じられると、ものをつくれます。
 毎晩、いすに座って、ワープロのキーをたたくうち、わたしのひざに、小さな生きものがあらわれました。丸い、あたたかい、みじかい毛の、ふわふわした子犬。
 それをなでると、わたしの心は、とてもとても、やさしくなりました。

       *  *  *

 できたてのペットショップは、さながら博覧会でした。魚たちはきらきらと飛びかい、鳥は、タカラズカのリハーサル中。舞台の下では、爬虫類(はちゅうるい)たちが、ヒソヒソとうちあわせをしています。ココア色をした猿は、長い指揮棒でアラビア文字をかいているし、猫たちは、ごうかな宝石箱におさまって。
 そして、犬。子犬たちは、白いアパートに住んでいました。上に5つ、下に少し広い4つの部屋がならんで、大きなガラスで、お客たちとへだててあります。
 わたしがさがしていた、ビーグルがいました。丸くて、ちいさい。黒っぽい。上の段の、右から、2番目の部屋に。
 ビーグルは、2匹いました。大きめの子犬が、のったりとうつぶせています。その上に、小さな子犬が、耳をうらがえして横になっています。
 その時、わたしは、「うらがえったビーグルの耳あな」を、はじめて見ました。とてつもなく、大きい。うす桃色で、ぴいんと張っている。うずまきの、アリ地獄みたい。まるで、宇宙からやってきたようです!
 犬のアパートの前には、ひとごみができていました。そこで、わたしはいったんそこを離れて、店の中を散歩してから、ぶらぶらともどってきました。
 すると、小さい子犬は、起きていました。まだ寝たままの大きいほうに、やたらと飛びかかっています。
 わたしの目は、その小さな犬ばかりを追いかけました。子犬はすばしっこくて、生気にあふれています。
 ハート型の、小さな茶色顔で、鼻すじのかたがわに、旗みたいな白がひるがえっています。丸い頭と耳は黒で、しっぽも黒く、そのさきに、しゅっと白い火がともっています。つややかな黒い首には、真珠のネックレスのように、白い毛がとり巻いています。真っ白な手足と、胸とおなか、茶色い顔のほかは、真っ黒で、少し、黒が多すぎるかもしれません。
 子犬は、しばらく飛びかかりあそびを続けると、のんびりやの友だちにぴたっとくっついて、寝そべりました。
 わたしは、にまにまと笑って、のぞきこみます。すると、子犬は、なんの恐れも愛情もない、クールなまなざしで、ごくたんじゅんに、わたしを見かえしました。
 
 

 わたしは、レジの男の人に声をかけました。すると彼は、
「ビーグルちゃん。ビーグルちゃんね!」
 とよろこんで、若い女の店員に指示を出しました。美容室の前のカウンターに、二匹が上げられます。
 大きいほうは、まだ夢の中みたいに、ぼんやりした目ですわっています。でも、小さいほうは、店員に脇をかかえられたまま、バタバタバタバタ、手足を動かしました。わたしは、その速さに、目をみはっています。子犬の黒い目は、きらきらきらきら、ひかっています。
 そして、手をぬけて走りだしたと思うと、あっというまに長いカウンターのはしまで行って、落ちそうになりました。
 わたしは、その子犬の性別をたずねました。
「めすです」
 大きいのが、おすでした。わたしは、がっかりしました。わたしの家には、それまで、おす犬しかいなかったのです。めす犬は、めんどう、というのが、わたしや世間の常識でした。
「この子がいいのですが、ざんねんです」
 ことわって、わたしは店を出ました。
 もう、冬になるのに、わたしは、白いカットソー一枚で、びっしょり汗をかいていました。
 なぜならね、ピピ。ペットショップで犬を買うなんて、わたしには、はじめてのことでした。それに、あの店員の女の子の目は、レンズだと思うけど、ウグイスあんみたいな緑色で、わたしは少し、きつねにつままれてもいたのです。

 それが、11月最後の週末で、その次の土曜日、わたしはまた、その店にあらわれたのでした。9万円の大金がつまった財布と、無言のいのりといっしょに。・・どうか、あの小さな子犬が、まだ、いてくれますように!
 子犬は、いました。
 おす犬は、いませんでした。彼女はひとりぼっちで、たいくつそうに眠っていました。
 それでは、この子は、わたしのものです。
 箱につめられて、レジのカウンターに置かれると、子犬は、きゃんきゃん鳴きだしました。
(きゅうに、暗くなったねえ?)
 わたしは、子犬に同情しました。ほかのお客が、箱のとって穴から、中をのぞいていきます。大きな買いものをしたわたしは、とくいになって、立っています。
 すると、レジのうちがわに、柴犬の子犬が一匹、ふたの開いたダンボール箱にすわっていました。柴犬は、こまった顔で、おとなしくしています。目と目のあいだのところから、鼻にかけて、ななめに長い傷がついています。その犬を、だれも連れてかえる様子はありません。
 にぎやかな、華やかなこの店の中で、そこだけ、ぽつんとはずれて、犬は、まるで縛られたようにじっとしています。箱から、飛びだすこともありません。不安な目をした、しずかな子犬。
 ピピ。あの子は、あれから、いったいどうなったのでしょう? 
 
 カチカチ。と、レジが打たれて、わたしは、財布からお札をひっぱりだしました。
 「イヌ」に消費税がかかっているのがおかしくて、そして、すこし、ひやりとしました。
 こうして、12月4日、12時11分に、ピピは、わたしの犬になったのです。

 さて、わたしは、ピピ入りの小さな箱を、おっかなびっくり、駐車場へはこんでいきました。
 ピピは、かわいい、ねばりづよい、抗議の声をあげつづけています。車の助手席に箱をのせて、そっとふたを開けると、
(ぴょこっ!)
 顔を出しました。キロキロ、見まわします。黒目がまた、きらきら、丸耳が、クルクルはためきます。
 けれど、そこは、うすぐろい照明と騒音が、うねりながらこもっている屋内駐車場でした。車の中は、いっそう陰がふえて、ぶきみです。
「さあ、うちへ行こうね・・」
 わたしは、慣れない、やさしいことばをぶつぶつつぶやいて、エンジンをスタートさせました。
 

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