安本豊360℃ 歌に憧れたサッカー少年 vol.02 「出会い」
豊の家に着くと、そこには、すでに豊のメインギターが、僕に目線を合わせて座っていた。
いや、にらんでなどいない…豊が、新たに連れ帰った新参者を ただ興味深げに見ていただけである。
豊は、僕をギターケースから出すと、先輩ギターの隣に立てかけた。
先輩ギターの、つややかで深い褐色のボディが、僕のすぐそばでキラッと光った。
ネックの先にGibsonと書いてある。
僕は、僕なりの敬意をもって、先輩ギターに挨拶をした。
「きれいな色ですね。材質はスプルースですか?今日から仲間にいれていただくティラー714ceです。まだ、何もわからないので、いろいろ教えてください。」
「君もなかなかはじけたシェイプをしているじゃないか…僕はギブソン、アドバンスドジャンボっていうんだ。トップはアディロンダック、バックはハカランダ。君は?」
「シトカです。サイドとバックはブラックハート・ササフラスです。」
アコースティックギターの中でキングと呼ばれるギブソン アドバンスドジャンボが、僕と話している…僕は、緊張してきた。
「ブラックハート・ササフラス材かぁ?スゴイね。希少だって聞いていたけど、初めて出会ったよ。でも、まぁ、同郷ってところだし、これからよろしく。」
「キングにそんな…こちらこそよろしくお願いします」
こうして僕は、先輩ギターのギブソンともすんなり打ち解けられた。
その夜は、ギブソンが豊のところに来たいきさつを話してくれた。
現在、ギブソンは、豊のメインギターというポジションだが、実は、彼の小学校からの同級生マサシに所属しているというのが正しいらしい。
豊は、小学生の終わりに神戸市から明石市に転校してきた。
マサシとは、その時に出会い、中学も同じクラスだった。
豊には、6才違いの兄がいた。
サッカー部のキャプテンを務めていた兄は、歌が好きだった。
彼は、町で、良くも悪くもよく目立つ少年だったらしいが、ドラえもんのジャイアンばりにひどい音痴だったそうだ。
朝練は、キャプテンである兄が先頭を切って歌う長渕剛の「巡恋歌」から始まった。
60名以上いる部員たちも、兄について歌う中で、兄が最も音を外していたという。
市の主催する大会後の打ち上げで行くカラオケボックスでも、あまりに下手すぎるので、兄だけは別の部屋にされた。
兄と話し声がよく似ていた豊は、特に誰に言われたわけでもなかったが、きっと自分も同じようにひどい歌しか歌えないと思い込み、音楽そのものに興味を持つことはなかった。
豊が中学1年生の秋口、兄が死んだ。カリスマ性のあった兄だけに、豊のショックは大きかった。
もう、兄のひどい「巡恋歌」が聞こえることもない…。
兄の通夜で、兄の好きだった「巡恋歌」が流された。
ハーモニカの音色が、13歳の豊の胸になだれ込んだ。
それは、苦しいというより、浄化されていくような気持ちだった。
翌日から豊は、兄の遺品となった長渕剛のCDを、何度も何度も聞いた。
歌になど興味はなかったのに、長渕剛の歌声は豊の心にとめどなく入り込んできた。
歌詞は、恋愛を歌い、世の中の無情を歌っていたが、豊はその歌詞の中に、兄を亡くした喪失感への「共感」を感じていた。
聞いていくうちに、まるで豊自身がその歌を作って、歌っているような気持ちになっていった。
すでに、それは豊自身の歌だった。
少しずつ、少しずつ、豊は、歌に救われていった。
2年が過ぎ、兄がいない生活も日常となったころ、多くの中学生がそうであるように、豊にもギターに触れる機会が巡ってきた。
歌は聞いてはいたが、ギターを弾くなど、豊の中ではテレビの中の世界に他ならなかったのだが、同じクラスの男子がギターを弾き始めたのだ。
これは衝撃だった。
「ギターって、ホンマに弾けるやつ、おるんや…」
驚きの後にほんのりとした憧れがそよいでいた。
放課後、クラスメイト達が、ギターを持ってきた男子を囲んでいる中に、豊も混じっていた。
「そんなん、弾けるってすごいな。」
「いやぁ、意外と弾けるもんやで。」と、ギター男子は、豊に自分の持っていたギターを差し出した。
触ったこともなかったギターを、豊はその時、初めて抱きかかえた。
ギター男子は、豊の指を1本ずつCのコードになるように誘導してくれた。
とてもぎこちなかったが、ギターは、豊の指先からポロンとCの和音を響かせた。
「ギター、ええやん!」豊は、そう思った。
心が弾んできた。
ギターを弾けば、歌わなくてもいいんじゃないか。そうだ、ギターを弾こう!
そして、豊は、ギターを練習し始めた。
ついでに、長渕剛をまねて、ハーモニカも吹いた。
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