安本豊360℃ 歌に憧れたサッカー少年 vol.06「ここから」
僕は、すごい物語を聞いてしまったような気がした。
単に、楽器店で出会って、ここに来ただけの僕とは、まるで志が違う。
なんだか自分がとても薄っぺらで、小さな存在に思えた。
「ティラー。君をティラーと呼んでいいかい?」
なんとなく黙ってしまった僕に、ギブソンが声をかけた。
ああ、そういえば、僕も、ギブソンを何と呼んでいいのかわからなかった。
「ええ、もちろん。そう呼んでもらえれば、嬉しいです。
僕も、ギブソン先輩と呼んでいいですか?」
「いいけど、先輩は要らないかな。ただのギブソンでいいよ。」
「は、はい。ありがとうございます、ギブソン先輩。」
「いや、だから、先輩は…」
僕らは、笑った。
そうは言っても、僕も先輩を呼び捨てにするわけにもいかないので、この後も、「ギブソン先輩」で押し通した。
ほどなくギブソンも、僕がそう呼ぶことを諦めてくれた。
僕がいた楽器店での、他愛もない話をしているうちに、空が白み始めた。
「もうすぐ、あっちゃんが起きてくるよ。」
とギブソンは言った。
「あっちゃん?」
「豊の奥さんだよ。今日、豊が紹介してくれるよ。いい声で歌うんだ。」
「なんか照れますね。」
そういう僕に、ギブソンは、明けてくる窓の外を見ながら言った。
「ティラー、君は、これから豊とドラマを作っていくんだ。」
そうか…まだ僕は、豊と出会ったばかりだった。
僕は、これから豊の相棒になって、彼との時間を積み上げていくんだ…ギブソンは、僕が思ったことに気が付いていたんだ、と思うと、その懐の深さが身に沁みた。
僕も、ギブソンのように、相棒に寄り添い、『相棒』と呼ばれるのにふさわしい存在になりたいと思った。
夜が明けて、僕らはおしゃべりを止めた。
「おはよう!」
豊の声がして、部屋のドアが開かれると、すっかり明けた朝の光が、リビングの床を照らしているのが見えた。
「あっちゃん、これ、昨日、買うて来たギター。見て。今日から、新しい家族や。いや、昨日からやけど…」
まだ寝ぐせのついた頭をかきながら、豊は「あっちゃん」を呼んだ。
豊の後ろから、おなかを抱えるようにして「あっちゃん」が部屋の中を覗いた。
ああ、もうすぐ赤ちゃんが産まれてくるんだ…僕は、おもわずギブソンを振り返った。
ギブソンは、「また、そのうち話をするよ」と言いたげにほほ笑んだ。
「ああ、これ?きれいやん!」
きれい、と褒められた僕は、嬉しくて、少しドヤ顔をしてしまったかもしれない。
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