ブラック企業で借金850万円を背負った彼にプロポーズされた話



目次

1.プロローグ
2.出会い
3.はじめての0円生活!?
4.カフェでの修行生活

5.すれ違う遠距離恋愛の日々

6.はじめてお金を貸した日

7.社長の夜逃げ、そして裁判へ

8.春、彼の告白と私の葛藤

9.親の為に生きる?自分の為に生きる?

10.「雇われない生き方」のスタート

11.このままでいいのかな?

12.2018年秋、婚約

13.フリーランス会での希望

14.彼の大逆転劇のはじまり

15.エピローグ

(※15分程で読み終わります)



1.プロローグ

2018年10月17日。26歳の誕生日の夜だった。

「1個目のプレゼントがこのフォトブックで、

2個目がこの手紙。そして今年は3個目のプレゼントがあるんだ。」

手紙の最後はそう締めくくられていた。

「3個目のプレゼントって何?」と私が尋ねると、

「これだよ」と言って彼が渡した1通の封筒。

少し緊張しながらもそっと開けてみると、

中に入っていたのは、1枚の白くて薄い紙がだった。

開いてみると、上に「婚姻届」と書いてある。

そして、右側には、彼のサインが書かれていて、

「高橋」という印鑑も押してあった。

「あ…。」

言葉にならない不安と喜びと緊張とが入り混じって、呼吸が浅くなる。

「ついに結婚するんだ。色々あったけど、本当にここから始まるんだ。

共に生きていこう、これから先、どんなことがあっても。」

そんなことを強く心に誓ったのは、翌朝目覚めて、ベランダから見える透明な沖縄の海を見渡した時だった。

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2.出会い

遡ること4年前。22歳、秋。

教育大学の音楽科に入学したものの、早々と「音楽教師になる」という選択を辞めて、「まずは自分を知るために休学をしよう」と決めた時だった。

というのも周りの友達は、7割が教師になり、2割が公務員。残りの1割が民間就職をしていくという中で、私はどの選択肢にもなぜか心が踊らず悶々としていたのだ。

大学時代は、バンド活動を熱心に行ったり、東日本大震災の被災地を毎月訪れたり、そこから派生して「音楽のボランティア団体」を立ち上げたりと、アクティブに学外の活動に明け暮れていた。

そして、ちょうど22歳の頃は「ボランティア」「国際協力」などを入り口にして、社会のためになるビジネスをしたいと思い描き始めた。

ちょうど「東南アジア青年の船」という事業に参加するべく、地元愛知から東京へ、研修に出かけようとした時。

Facebookに友人から1通の長文のメッセージが届いた。

「どりちゃん、今の時期忙しいかな?どりちゃんにすっごく会って欲しい人がいる!」

そんな書き出しから始まったメッセージには、その人の詳細が書かれていた。

「高橋雄也さんって人で、音大の声楽科出た人。大学時代はバンドでZepp東京のライブでたりしはるんやけど、今はコミュニケーションメソッドを学んでワークショップを開いたり、トラックを改造してモバイルハウス作ったり、アメ横の魚屋の前で打楽器叩いたり、秘密保護法のデモで歌ったりしてる人」

やっていることが多すぎて、そして奇抜すぎて、全部を頭の中で繋げ合わせることがすぐにはできなかったことを覚えているけれど、なんとなく心の奥はわくわくしていたので、

「いいね!超面白そうだから、ぜひ会ってみたい!!!!」と返した。

(ビックリマークを4つも付けて返信する程には、興奮していたのだと思う。)


そして、早速その後にすぐ、新宿のカフェで会うことになった。

なぜか紹介してくれた本人はその場には来なかったのだけど、その「雄也さん」とは音楽の話やコミュニケーションの話で意気投合して、すぐに打ち解けることができたのを覚えている。





3.はじめての0円生活!?

雄也さんとは、その後に東京で1回会い、愛知で1回会い(当時彼が持っていた軽トラ型のモバイルハウス で愛知までやって来た)、その後すぐに付き合うことになった。

愛知のど田舎で平凡に育った私にとって、東京都渋谷区出身で(見た目は正直、都会育ちには到底見えないが)経験が豊富な彼の話はなかなかに刺激的だった。

紹介してくれた友人の期待を裏切らない程には、彼は変わっている人だったと思う。

例えばその中の一つとして、当時彼が暮らしていた「モバイルハウス 」について話したい。




ミュージシャンを志していた彼は、生活費のためにアルバイトしている時間を、音楽活動にまわしたいと考え、モバイルハウスという暮らし方を2年ほど続けていた。

モバイルハウス と呼んでいる彼の住んでいた小さな家は、彼の言葉を借りるとこんな感じに説明ができる。

「6畳一間ほどの小さな移動式の家は、ライフラインから独立している。即ち、電気水道ガスが繋がっておらず、基本的にエネルギーはソーラーパネルなどで自給する。場所は駐車場を借りればOKなので固定資産税もかからない。光熱費はゼロ、家賃もかからないので1ヶ月10万円もあれば充分に暮らせる。」


しかも、総額7万円、製作期間1ヶ月で、大工の友人たちの力を借りたり、廃材を集めたりしてモバイルハウス完成させたのだというから驚いた。

そしてなんと、付き合いだしてから3ヶ月後。たまたま「路上ライブ」をやるために東京に一時的に上京を考えていた私は、このヘンテコなモバイルハウス に住むことになった。

ちなみに、当時の暮らし方はこんな感じ。



電気: ソーラーパネルで自給。ケータイの充電、PC、照明の電源くらいはまかなえる。

水: たまたま近くに有名な湧き水スポットがあったのでそれを汲んで使う。

ガス: 火起こしするのは大変なので、火を使う調理のときはカセットコンロを使用。

お風呂: 近所に温泉(400円で入れる)があったので、そこに毎日通っていた。

トイレ: そのまま自然に還すスタイル。または近くのコンビニへ。

今考えると、とってもヘンテコだったけど、平和で楽しくて毎日笑っていた気がする。

かくして、神奈川県藤野町という自然が豊かな街で快適な0円生活を満喫しながら、

都内に出て路上ライブを続けるような不思議な休学生活が始まった。


4.カフェでの修行生活

「千葉の海辺でカフェをやることになったよ!音楽活動を続けるために、まずは経済的に自立しなきゃと思って、お店をやろうと思う。もしよかったら手伝ってくれないかな?」

そんな話を雄也さんから誘われたのは、私がモバイルハウス 生活に少しずつ慣れて来た2015年4月のことだった。


突然の話で驚いたが、話を聞いてみると、ひょんな出会いから物件を無償提供してくれる人が現れ、「援助するので海辺にカフェを開業しないか」というおいしい話をいただく展開になったらしい。そんなうまい話があるわけない、と何度か疑ってみたけど、どうやら本当らしい。


しかも初期投資だけでなく、お店のレシピもみっちり叩き込んで教えてくれて、経営的にも全面的にバックアップしてくれるとのこと。


「がんばってる若者を支援したい大人の人たちっているんだよ」という彼の言葉に少しずつ納得し、「都内で路上を続ける傍らで、バイトするよりはカフェをやってみるのもいいかもしれないなあ」と半ばノリと勢いで千葉でのカフェ生活にジョインすることになった。




しかし、現実はそんなに甘くはなかった。


二人で楽しいカフェライフを送れるかと思いきや、カフェには毎日のように貸してくれたオーナーさんの友人達がやって来て、ビシバシと指導をされる。


畑仕事、料理のいろはなど、生きる上で大切な学びになったのは事実だが、60代で厳しい時代を生き抜いて来た人たちだ。なかなかに飛んでくる言葉も、厳しかった。そして、マナーや礼儀作法なども大変厳しくご指導いただいた。

また、日々の掃除なども厳しくチェックをされた。


例えば、こんなエピソードがある。


ある日その60代の師匠的な彼がカフェのソファの隙間に紙を落としていったことがあった。そして、次の日に「ちゃんと掃除がされているか」というチェックをするのだ。

もちろん私たちは何も知らなかったが、のちのちそんなこともしていたと教えてくれた。

そして、彼らからの提案で、「ウッドデッキを作ろう」となり、夏中、カフェの運営と並行してウッドデッキの制作を始めた。ウッドデッキの制作と言っても、簡単なDIYの作業をしてみよう!というようなノリではない。ウッドデッキ作りのために、師匠が森から木を切り出し、それをまずは乾かす。その長くて重い木を、彼と師匠と私とで、頑張って一本ずつ軽トラに運び込むのだ。そうやって運ばれた木を必要な長さに切り、ウッドデッキを作っていくのだが、彼と師匠のたった2人で進める制作期間は2か月に及んだ。

他にも、みんなで海に流木を拾いに行ったり、飾り付けのための貝殻を拾いに行ったりと、なかなか経験できないことを沢山経験できた日々だったが、なんせ急きょカフェ開業することになったので、事前リサーチはゼロ。



よって、経営はなかなか安定せず、仕入れだけでも赤字になってしまう日々が続いた。


もちろん私たちの人件費など捻出できる売り上げは出ないので、私は毎朝5時に起きてホテルのバイトから始まり、昼はカフェの営業、夜もホテルのバイトとハードな生活。


彼もお金が尽きて深夜に居酒屋にバイトに出かける日々が続き、だんだんとふたりの間に溝が生まれ始める。余裕がないせいか、彼が私に対して口にする言葉にもトゲがあるように感じた。

「…なんのために私はこのカフェにいるんだろう」


路上ライブをしに東京に来たはずだったのに、気がつけば路上ライブに出かける余裕なんて1ミリもない程に毎日が忙しい。おまけに師匠達からの厳しい言葉に心が折れそうになる

でも、ここでやめるわけにはいかない。一度やると言ったんだし、何よりもここで私が抜けたら、彼がひとりになってしまう。そうしたらお店を続けていくことは不可能だ。


そんな葛藤が生まれ始めていた時。

ある日彼が「なんだか景色がモノクロに見える」と呟いた。

「え…。」

心臓がばくばくした。どうしよう。

「とにかく今日はカフェのことは考えずに外に出てリフレッシュしておいでよ」と伝えた。

「うん…ごめんね。そうしようかな。」

そして、その日は一人でお店のカウンターに立った。

幸いお店にはお客さんは誰も来なくて、その日は師匠達も来なかった。


「もう、嫌だあ…帰りたいよ。」


涙が止まらなかった。

このままじゃだめだ。

このままじゃきっと彼は、以前患っていたうつ病を再発してしまうだろう。

そんな不安が頭から離れない。悩んだ挙句に帰って来た彼に提案した。

「もうカフェはやめようよ。東京に帰ろう。

もともときた目的がこのままじゃ果たせないから。」

そして、修行のようなカフェの営業は一夏で幕を閉じた。





5.すれ違う遠距離恋愛の日々

カフェの営業が終わり、社会の厳しさを身を以て知った私は、就活を決意。

「就活するなら人事の人と目線を少しでも近くしたい」と考えて、

東京のベンチャー企業でインターンシップとして1年近く働いた。


新規事業にジョインし、一生懸命働いた結果、その企業で内定を頂くことになった。

そして「進路」が明確になり始めたので、2年間の休学生活を終えて、愛知へ帰った。

4年の後期の残り半年の大学生活に集中して、卒業する準備をすることにしたのだ。


その間、2年近く一緒に過ごした雄也さんとは「遠距離恋愛」になった。

毎日一緒に生活していた時と比べると圧倒的にコミュニケーションをとる機会が減った。


そんな中、カフェの営業の後に雄也さんが後輩に声をかけられて始めた運送の仕事が忙しそうで、なかなか電話もできない日々が続いた。毎朝4:30に起きて、5:00前に家を出ているようだし、夜の帰りも毎日22:00を超える。休みもなく毎日17時間程労働をして、どっと疲れている様子。いらいらしてあたられることも珍しくなかった。


「でも、ずっと続くわけじゃないだろうしなあ。今だけ乗り切ったらまた楽しく過ごせるかなあ。まずは卒業することに集中しなくちゃな。」そんな風に言い聞かせて、たまにできるわずかな電話を楽しみにしていたが、心の中は寂しさでいっぱいだった。







6.はじめてお金を貸した日

「こないださ、実は配送先間違えちゃってさ。大変なことになりそう。はあ。」

電話越しで、そんな言葉を聞いたのは、雄也さんが運送会社で働き出してしばらくした時。

なんと、手伝ってほしいと申し出た後輩が突然失踪したらしく、仕方がないので

雄也さんはその時元請けの社長さんに拾ってもらいお世話になっていたみたいだった。

「そうなんだね…。まあ、人間だしさ、間違えることはあるよ。」

「うん…。」

「もう終わったことだしさ、今から考えたってどうにもならないしね。」

「うん…そうだね。」

「雄也さんは一生懸命働いてるじゃん。大丈夫、なんとかなるよ!」

そんな言葉をかけてみたけれど、電話越しの彼は上の空といった様子だった。

そして、数日後、またもや彼との電話。

「社長にこの間の僕のミスのことで取引先との間で賠償金が発生したから、僕もお金を貸してって言われたんだ。なんか、社長もお金が足りないくらいの金額らしくてさ…。」

ということを彼に告げられた。


私は混乱した。え?どうして雇われているはずの彼がお金を出さなくちゃいけないの?

そんな気持ちでいっぱいになった。胸の奥がざわざわした。

「雄也さんが出す必要なんてあるわけないよ!雄也さんがミスしたことがきっかけだったとしても、責任をとるのも社長の役割な訳だし。雄也さんがお金を貸すなんておかしいよ!」


そう強めの口調で伝えて、「うん、そうだよね」とその時は答えてくれたけど、

後日、彼から社長にお金を貸した事実を告げられてもどかしさでいっぱいになった。


「あんなに言ったのに、どうして…。」





7.社長の夜逃げ、そして裁判へ

彼が最初に社長にお金を貸してからといいものの、芋づる式に追加でどんどんお金を貸していった。そして、その額は利息も含めるとなんと総額850万円にも膨れ上がっていた。


私には、心配させまいと一度もお金を貸してほしいとは言わなかったが、彼は銀行以外にも親や実の兄など親族に頭を下げてお金を借りていた。銀行のカードローンから始まり、クレジットカードのキャッシング枠、彼の親族にも頭を下げて至る所からお金を借りたらしい。


たった1回のミスで、そんなに多額の賠償金が生じるなんておかしいと冷静になればわかるし、ましてや彼が払う責任なんてあるわけがない。そんな当たり前のことなのだけど、早朝から夜遅くまで休みは月に一回しかとらずに働き続ける彼に、そんな冷静な判断ができるはずもなかった。


なんとか遠くにいる彼との接点を持ち続けたかったので、毎日電話をかけてみたが、

「おかけになった電話は現在…」

と、電話越しで流れるアナウンスの声を聞くことがほとんどだった。

「本当に忙しいんだろうな…大丈夫なんだろうか。」

考えるたびに、不安で胸が押しつぶされそうだった。

そして、そんな状況に対してのイライラもだんだんと募っていった。

「もしもし…あ、ごめん、あとで電話できそう、5分なら。」

「え、また5分?もうちょっと話せないかな…」

「うん、ごめんね、疲れてて…。」

たまに電話に出ても、まともに話ができない。いつもそわそわしていて忙しそう。

そんな状態で、なかなかお金の話も切り出せないこともあった。

そして、彼に給料未払いの状態が続き、私はしびれを切らして、

「もうそんな会社辞めちゃいなよ。たとえ給料が払われなかったとしても、今の状態が続くよりずっといいし、もっといい仕事は山ほどあるよ。」そんなことを口にした。

お金を貸しただけでなく、いよいよ給料の支払いまで滞りはじめ、ようやく彼はこれはおかしいぞと気づいたらしい。未払いの給料が120万円を超えたとき、彼は会社を辞めた。



しかし、なんと、そのあとすぐに社長は夜逃げしてしまった。

そして、公式な書面を交わしていた彼は、すぐに裁判の準備をし始めた。

「裁判を起こせる証拠があるからよかった…。」

私はその時に、裁判を起こせばお金を取り戻せるね、と心の中でほっとしたけど、

しばらくたって彼からある事実を告げられる。



8.春、彼の告白と私の葛藤

寒い冬が終わりかけていた。春の気配が顔を見せ始めた頃、彼と街を歩いた。

そして、ふと彼が私にこう告げた。

「借金のことなんだけど…国の制度を使って、無料で弁護士相談ができるって聞いたから行ってきたんだけど…

「そっか!どう?裁判ではうまくいきそうなの?」

「うん、そのことなんだけど、実は…裁判を起こすことはやめようと思う。」

頭の中が真っ白になった。

裁判を起こすのをやめるということは、もちろん彼が850万円を返していくということだ。

「え?どういうこと?色々証書とか取っておいたって言ってたじゃん。だから大丈夫だよって。どうして、裁判を起こさないの?雄也さんが返していくなんて意味がわからないよ」

「うん……」

気まずそうにしながらも、彼は自分の気持ちと決意を話してくれた。

理由は2つあった。


1つは訴えても相手が自己破産していたら取り返せないから。

そして、もう1つは「自分が裁判の期間中にずっと、怒りのエネルギーでいっぱいになるのが嫌だと思ったから。」ということだった。そしてそれが大きな理由だったらしい。


わかる。その気持ちはわかる。わたしだって、同じ立場だったら嫌だ。

「あいつが悪い。だから、絶対取り返してやる」なんて思いながら何ヶ月も、

下手したら何年も過ごさないといけないなんて絶対につらい。


「でも…」と口にしかけて、何も言えなかった。

彼を責める気持ちもその時はなかったし、それに反論したところで、彼の結論は変わらない。なんとなくその時に、その決意の大きさを感じ取ったのだと思う。


でも、この莫大な借金を、安定的なお給料をもらって生活していく見通しのない彼がどうやって返していくつもりなんだろうか。私も一緒になって、働いて返すべきだろうか。

そんなことが頭をぐるぐると巡っていた。

「なんて、社会は理不尽なんだろう。どうしたらいいの…。」

どうしようもない、誰のせいにもできない理不尽な現実を目の前に途方にくれた。

大学卒業間際の3月だった。



9.親の為に生きる?自分の為に生きる?

実は私は大学に復学してから、決まっていたベンチャー企業の内定を辞退し、

「自分は本当になにがやりたかったんだっけ」を今一度問い直していた。

しかし、そんなことを卒業間際にふらふらとやっているものだから、親はもちろん心配する。毎日のように喧嘩をして、「教育大に入って学校の先生の免許だってとったんだから、一度先生になってみたら?」と提案をされた。

毎日「絶対になりたくない!」と反抗していたが、ある日いつもの母の言葉に対して、

「そうだなあ。やっぱり先生になってみようかなあ。進路も決まっていないし、安心してくれるよね…。」と揺らいだことがあった。そして、悩みながらも教員採用試験の勉強を始めた。

そして、地元の愛知で先生になるための勉強をしていたら、たまたま東京の友人に、

「どりちゃん、休学中に東京で友達もいっぱいできたんだし、雄也もいるし、東京に出てきたらいいじゃん。私が働いているバイト先も紹介するから、勉強しながらそこで働いたら?」と声をかけてもらい、卒業を前にして、最後の春休みに東京へ舞い戻る事となる。


幸い、その友人はじめ、何人かの友人と一緒にシェアハウスに暮らせることになったので、

新たな暮らしにわくわくしていた。


そして、東京でのシェアハウス生活が始まった。シェアメイト達は毎日遅くまで働いて、お金はそんなになくても、充実していてとても輝いているように見えた。

一方で私は、そんな姿を横目に見ながら、「教員採用試験」に向けて、毎日なんとなく机に向かって勉強をしていた。ぼーっとしてしまって、何もしない日すらあった。

そして、卒業式間際の忘れもしない春分の日。

シェアハウスの部屋で、いつものように教員採用試験のテキストを開こうとしたら、突然涙が止まらなくなった。


「私、何をやっているんだろう」


毎日生きているが、心は死んでいた。

自分のわくわくや直感に従って生きていない自分。

色々頭で理由をつけて、「本当の自分の生き方」から逃げてる自分。

周りにいる頑張っているシェアメイトや友人のことが頭に浮かんだ。

彼らの生き方と比べた時に、悲しくなった。

今までないくらい泣きながら、


「私はこんなことするために生まれてきたんじゃない!」

と叫んだ。自分が自分の中にある声を押し殺して、親のために生きようとする弱さに嫌気がさした。それが爆発してしまったのだ。

そして、その時に頭に浮かんだのは、

「グラフィックファシリテーターになれないかな」という小さな希望だった。

そして、すぐに知り合いに電話をした。

「あ、もしもし…」

10.「雇われない生き方」のスタート

私が電話をした友人とは、実は数ヶ月前にとあるワークショップで久しぶりに再会した。

そして、その時に私が色鉛筆でノートを取っているのをみてくれて、


「どりちゃん、グラフィックファシリテーションをやってるの?」と声をかけてくれた。

グラフィックなんちゃら、なんてものは聞いたことがなかったが、

話を聞いていくと、「対話や議論の内容などを絵と文字で即興でビジュアル化していく」

そんなものらしい。“即興”という言葉は、即興シンガーとして路上で歌っていた自分としてはついつい惹かれてしまう。

そんな軽い気持ちで、グラフィックファシリテーションに興味を持った。


そして、数ヶ月後の春分の日。

私は、彼女に「グラフィックファシリテーターとしてやってみたいんです…。」

そんな相談を持ちかけた。そして、彼女は丁寧に話を聞いてくれて、アドバイスをくれた。


まずは実績を作るために無料でいろんな現場を描くこと。

最初は信頼がないから企業よりは個人のお仕事を取りに行くこと。

そして、信頼と実績が積み重なってきたら企業に提案しにいくこと。


アルバイトとして雇われていた時期を除いたら、社会人っぽい経験をしたことなんて、学生の時に少ししていたITの会社でのインターンシップくらいしかない。

社会のこと、ビジネスのこと、全然わからなかったけど、なぜだかその時不安はなかった。

不安よりも、「やっと自分の道を歩めるんだ」という高揚感と、確かなわくわくがあった。


そして、早速友人のアドバイス通りに、いろんな現場に行くことにした。

知り合いの講座を描かせてもらったり、マンツーマンで友人の思いをカウンセリングみたいな形で描いたり、トークイベントなどに入らせてもらったり。いっぱい描いた。

3か月くらいすると、次第にお仕事として、お金をいただけるようになった。

半年くらいすると、掛け持ちしていたアルバイトを辞めて独立することができた。

ゆっくりと突然に始まった、「いきなりフリーランス人生」だけど、どんどん広がって、繋がって、自分のお仕事をとっても楽しんでいた。充実していた。






11.このままでいいのかな?

何かが満たされると、満たされない別の何かに焦点が向く。

私の場合は仕事がうまくいっていればいっているほど、対照的に「彼との関係性」に対しての悩みが増えていった。

私がフリーランス生活をもがきながらも楽しんでいる時に、雄也さんは毎月15万円以上の借金を返すために、「ファスティング(断食)トレーナー」として独立して、毎日深夜まで働く日々が続いた。


「債務整理したら?利息に苦しまなくて済むんじゃない?」と提案してみたりもしたが「今の仕事的にクレジットカードを多用するため難しい」の一点張りだった。

(債務整理をすると、自己破産と同じでブラックリストに載ってしまい、クレジットカードなどは使えなくなる)

でも、毎月返済に追われながら過ごす彼に対して「どうしてこんな風になっちゃったんだろう」と行き場のないもどかしさを相変わらず感じ、さらにその忙しさ故に「いつになったら、結婚とか見えてくるんだろうなあ…」とぼんやりと感じ始めていた。

不満がたまると、シェアハウスのメンバーに度々話を聞いてもらったし、二人だけでは解決できない問題があると、第三者に間に入ってもらったこともあった。


あの時の私の口癖は、「もういいよ!別れる!」で、その言葉を何十回も口にしていた。


そんな様子を察したのか、両親からも、猛反対を受け始める。

「あんた、将来のことどう考えてるの?子供とかいらないの…?」と探りを入れてくる母。

「もっと他にいい人はいるから、焦らずゆっくりでいいぞ」と遠回しに他の人を勧める父。

あの人と家族になるなんて絶対いやだからね」とダイレクトに意思表示をする妹。


しかも、家族だけではなく、友達からも心配されることが多かった。

「どりにはもっと大切にしてくれる人がいるって、正直思うよ」

「自分からそんなに苦労しなくてもいいんじゃないかな」

そんな中で、私の気持ちは揺れていた。

そうか。みんなから見たらそんな感じなんだよね。ていうか普通に考えるとそうか。

借金をもらっちゃって、でもサラリーマンとして安定する気は全く無くて、ミュージシャンを目指そうとしている人と付き合うなんて、そんな波乱万丈な道を敢えて選ぶ人なんていないよね。

私がおかしいんだろうか。

というか、そもそも私は彼のことを好きなんだろうか。

心から愛していたら、彼の返済だって手伝ってるはずだよね。

自分の気持ちに対しても、だんだんと自信がなくなってきた。

SNSを開くと、幸せそうな家族の写真が流れてくる度に落ち込んだ。

街中で幸せそうに過ごす子連れの家族を見ると涙が出そうになった。

「いいなあ、みんな平和で幸せそうで…。」

そんな風に、みんなのことが羨ましくて仕方がなかった。

「もう本当に別れようと思っているんだ。私も結婚とかしたいし。

ミュージシャンっていう夢を追いかけたいのもわかるけど、借金のこともあるし、もう一緒に生きて行く未来が見えなくなってる。」

「うん…。」

そんな会話を何度も繰り返して、その度に話し合ってなんとか持ち直すが、

ふとした瞬間に大きな不安に襲われてしまう。そんな日々が何ヶ月も続いた。




12.2018年秋、婚約

2018年の10月。

色々なことが日々起こりながらも、いつのまにか付き合って丸4年が経っていた。

「今年の誕生日は沖縄に行こう」と珍しく彼からの提案があり、私の誕生日に二人で沖縄旅行へ。いつもなら記念日なんて忘れちゃう彼なのに、この時は自ら提案してくれた。

そして、誕生日の夜。

二人で初めてフレンチを食べに行ってから、家に帰った。

お腹も心も満たされて、もういつでも寝る準備は万端というところに、

「そういえば誕生日のプレゼントなんだけど…」

と彼が口にして、二人の写真が入った手作りのフォトブックと、草木染めのブックカバーに入った手紙を渡された。

一通りフォトブックを見ながらわいわい騒いだ後に、手紙を取り出して読んだ。

「1個目のプレゼントがこのフォトブックで、

2個目がこの手紙。そして今年は3個目のプレゼントがあるんだ。」

そう締めくくられた手紙。

「3個目のプレゼントって何?」と私が尋ねると、

「これだよ」と言って彼が渡したのは飾り気のない1通の封筒だった。

少し緊張しながらもそっと開けてみると、

中に入っていたのは、1枚の白くて薄い紙。

開いてみると、上に「婚姻届」と書いてある。

そして、右側には、彼のサインが書かれていて、

「高橋」という印鑑も押してあった。

婚約するんだね。

その日は実感がわかないまま、ひとりで夜通し起きていた。

(彼は緊張が解けたのか、速攻寝てしまった笑)

日の夜。

段々と実感が湧いてきた。

うれしい。

そっか。わたし、本当に結婚するんだ。

高揚する気持ちを抑えて、母に電話をした。

「大事な話があるよ。実は、昨日プロポーズされて…。」

「そうなんだ…借金はどうするの?ちゃんと返していけるの?」

「うん、頑張る。雄也さんも今別の仕事を探しているし」

「雄也くんの借金とはいえ、一緒になるってことは二人のものになるでしょう」

「いや、基本的には雄也さんが返すよ、まあ貯金は私がすることになるかもだけど…」

「もう少し考えて見てもいいと思うけどね、まあ仕方ないけど。」

「なんでそんなこと言うの!?」

「心配するでしょう。あんたもふらふらしてないでがんばらないと!」

母の残念かつ心配そうな様子が手に取るように伝わってきて、最終的には私もキレてしまった。

「なんでお祝いしてくれないの!!!一言おめでとう、でいいじゃんか!」

「もう十分頑張ってるのに、どうしてわかってくれないの!!」

「なんども別れようかって悩んだよ!でも、気持ちってそんな簡単なものじゃないよ!」

心配なのはわかっている。私も母と同じ立場だったらきっと、心配するだろう。

心配をかけて申し訳ないなあということも感じている。

でも、それでもお祝いして欲しかった。

自分の好きな人を好きになって欲しかった。

ただ、「よかったね、おめでとう」の一言が欲しかった。

結果、婚約当日の夜は、2時間もずっと母と号泣しながら電話していた。

その後、少しずつ受け入れてくれたのだが、母としては気持ちの準備ができていなかったらしい。うーん、親心はわからない。



13.フリーランス会での希望

婚約した直後のことだった。フリーランスになって1年半たったある日。

少しずつ安定しかけていた仕事の流れが急に滞り、仕事がなくて困ってしまった。

そして、とにかく誰かに話を聞いてもらって、糸口を見つけたいと思い、

フリーランス仲間10人ほどに声をかけて、「フリーランス会」を開いた。

フリーランス会は結果として、

「毎回特定の誰かの話を聞いて、それに対してみんなでアイデアを出し合おう」

そんな意図の、相互扶助のコミュニティとして何度か開かれることになった。


そして、ある日のこと。雄也さんの回がやってきた。


「僕は数百万の借金があるんだけど、それを早く返して音楽活動に集中したい。

みどりちゃんとも結婚するし、けじめをつけたい」

そんな気持ちを彼が口にした時、友人のごうすけさんがこんなことを提案した。



「もうさ、一人で背負わなくてもいいんじゃない?」

そんな言葉から始まり、ごうすけさんは続けた。


「借金返済シンガーとして開き直っちゃってもいいと思うよ。クラウドファンディングで資金を集めて、みんなで雄也くんの借金を返済するためのフェスを企画しよう!」

雄也さんがその言葉に希望を感じていたのは言うまでもないが、私の中にも静かに、小さな希望の光が見えた気がした。

「あ、できるのかも。」

「雄也さんだけじゃなくても良くて、雄也さんと私だけじゃなくても良くて、

みんなと一緒にやってもいいんだ。」

そう思うと、この数年間心のどこかで

張り詰めていた糸が突然緩み、涙が出そうになった。

「支えなきゃ」「支えるために頑張んなきゃ」って、きっと心のどこかで思っていた。

そのために必死で働かないといけないって、思って頑張っていた。

雄也さんと結婚するって決まった時も、嬉しかったけど、心のどこかで不安だった。

スタートからマイナスで始まる結婚生活が、容易く無いことは私にもわかるから。

でも、二人だけで頑張らなくてもいいんだ。

「みんながいたんだ。」

そう思うと急に心強くなった。







14.彼の大逆転劇のはじまり

実は、フリーランス会で生まれた「みんなで借金返済のためのフェスをやろうよ」というごうすけさんがくれたアイデアは、実は今「借金完済プロジェクト」として本格的に動き出している。10月には、「完済フェス」と称して、1000人規模の音楽フェスをやることになった。

ちなみに、今回の物語は私の視点で書いたものだけど、同じ物語を彼の視点で書いたものがあるので、よかったらこちらも合わせて読んで欲しいです!

(なんとサイトの中で公開されてからずっと1位に表示されている。内容はかなり面白いし、よりリアル)

『ブラック企業で借金850万円を背負った僕の大逆転劇』

https://storys.jp/story/32778



「怒りのエネルギーから愛のエネルギーへと変える」

「絶望の力を希望の力へ変える」

そんな彼と、彼の周りのやさしい仲間たちが一緒に作り上げているフェスは、

きっと多くの希望とつながりを生み出すような1日になるんじゃないかなあ。

現実的に、借金の返済も動き出した。やっと、光が見えてきて、「結婚する」という現実と向き合える心の準備が整いつつある。






15.エピローグ

「よく結婚を決めたね、すごい。借金抱えたミュージシャンなんて、私なら別れてる。」

実は、結婚の報告をするたびに、そんな声を聞くことも少なくはなかった。

以前なら「そうだよね、おかしいのかな」と不安になっていたと思うけど、

今になってみれば、持っているお金やステータスで選ばなくてもいいくらい、彼には何もなかったのは(借金はあったけど笑)逆に良かったかもしれないとさえ思うことがある。

なぜなら、人は往々にして、

「お金は安定しているのか」

「どんな仕事をしているのか」

「社会的にはどう見られるのか」

で人のことを選びがちだし、自分自身についても求めがちだから。

でも、私の場合は、そういった”外側の条件”を全部引っ剥がした中にある、本当に真っ裸でありのままで、社会的なものは何も持っていない「彼」を愛せるかどうかを、この4年間、真正面から問われるような時間だった。

人のステータスや、肩書きや、お金や、人柄や、価値観すらも変化するんだということを知った時、「じゃあ何を信じたいんだろう?」と自分に問いかけてみると、


「関係性を決してあきらめない姿勢」や「向き合い続けられるという自信」が残った。

というのも、彼と付き合ってからというものの、どんな大きな喧嘩をしたとしても、

雄也さんは「もう関係性を終わらせよう」とは決して口にしなかったのだ。

どれだけ、私が泣いて喚いても、必ず向き合ってくれる。この人とだったら、絶対に、向き合い続けることをあきらめないで過ごしていけるだろうな、というのが唯一の希望だった。

人は変われるのだ。

そして、人生はいつでもやり直せる。

一見、ネガティブに思える悲劇は、別の視点から見ると立派なコメディになり得るということも彼から学んだことかもしれない。

ある意味、そんな希望だけに支えられて、この波乱万丈な期間を過ごしてきた。

そして、晴れて、結婚することになったのだ。

さて、そんなわけで10月のプロポーズ、そしてフリーランス会から半年。

色々二人で考えて、3月に入籍と親族向けの小さな神前結婚式を行うことにした。

そして、5月には友人向けに、「wedding fes」をキャンプ場を借りて開くことになった。

プロジェクトのメンバーも、出店者も、フェスのアーティストも、みんなみんな、

大切な仲間とのつながりで生まれていく。あるものを最大限に生かしながら、

一人一人の多様な色がまじりあうような場にできたらいいなと思い、

フェスのコンセプトは「彩(いろどり)」にした。

・wedding fesのクラウドファンディングサイト

https://motion-gallery.net/projects/irodori-wedding



(こちらは、なるべくお金をかけずにつながりの力で作りあげるウェディングフェス(友人向けの結婚披露宴)にする予定だけど、上に書いた借金のこともあって、なかなか資金的に苦しいという現状もあったので、「クラウドファンディング」という形で、お祝いの気持ちを募らせていただくことになりました。)

今は、5月の「彩」の1日がどんな日になるのか、友人達とともに、わくわくしながら、(時に雄也さんと喧嘩しながら)企画をしているところです。

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これから、どんな風に景色が変わっていくだろうか。

結構大変だったんだもん、たまには楽させてよねって思っている自分もれば、心の中で、その波乱万丈なストーリーを愛しく思っている自分もいるのには笑ってしまう。

こんな波乱万丈な彼氏を持った一人の女子の物語。誰かに届いているだろうか。

もしも読んでくれた人にとって、何かお役に立てていたらうれしいなと思います。


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