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安本豊360℃ 歌に憧れたサッカー少年 Vol.24「夏歩き」

Image by Olia Gozha

豊にとって、この西日本ライブツァーは、とても思い出深い旅であり、この時、回った各地のことが忘れられずに、この後、折に触れて幾度か訪れている。


「夏歩き」という曲も、豊が結婚して、息子を授かった後、家族で長崎に来て、この西日本ライブツァーの時に寄った、グラバー園に続く長い坂道の途中にあるカステラ店を訪ねて、できたものある。



 

唐戸市場で散財してから、ホストクラブのホストたちが投げ銭をしてくれるまで、少年たちには、大きな収入はなかったので、贅沢なことはできなかった。


お風呂屋さんに行って、コインランドリーに行って、コンビニでお弁当を買うのが精一杯で、20歳前後の少年たちはいつもおなかをすかせていた。


グラバー園に続く坂道の途中のカステラ店へ差し掛かったとき、カズが目ざとく「試食できます」という張り紙を見つけた。


「寄ろう!寄って行こ!」


カズの言葉に反対する者はいなかった。


豊もヨシヒロも、ギターを背負ったまま、カステラ店へ入っていった。


「これ、食べてもいいんですか?」


小さく切ったカステラが入った「試食用」と書いた紙が貼られている容器のふたを開けながら、ヨシヒロが店員に聞いた。


「ええ、どうぞ。召し上がってみてください。」


という、店員の言葉を聞き終えるまでもなく、ヨシヒロはカステラをほおばっていた。


店の奥から、可愛い女の子が、夏の朝のような爽やかな笑みを浮かべながら、グラスに入った冷たいお茶をお盆に3つ並べて持ってきてくれた。


きっとこの店の看板娘なのだろう。


少し旅疲れしてきた3人の少年は、彼女を見た時、同時に一瞬で恋に落ちた。


「あらぁ、皆さん、音楽なさるっとですか?」


豊たちが背負っているギターを見たからだと思う。


お茶を薦めながら、彼女は、少年たちに話しかけてきた。


少年たちは、舞い上がって


「そうなんっすよ。僕たち、路上ライブで九州をまわってるんです。」


「兵庫県の神戸って知ってます?僕ら、神戸から来てるんです。」


と、聞かれてもいないことを、次々に説明した。


「いやぁ、神戸やって、オシャレさねぇ~」


少女は、同意を求めるように、あこがれのこもった声で、店員を見ながら言った。


本当は、その隣の明石市だったが、少年たちは、その少女の言葉に、自分たちがファッション雑誌でポーズを決めているモデルのような気分になった。


店の奥の、さっき少女が出てきたのれんを分けて、少女の父親だろうか、店主らしい男性が、店先の会話に入ってきた。


「どがんね?演奏ば、していかんとね?」


カステラもお茶もいただいたし、何よりも、あの看板娘の前でちょっといい格好も見せておきたかったので、少年たちは「え~、いいんっすかぁ?」などと言いながら、いそいそと楽器を取り出した。


店主は、豊に名前を聞くと、店の前を通りかかった小学生の列に向かって「今日は、神戸から安本豊さんたちが来てくれとっとよ~!」と呼びかけた。


その声を合図に、豊たちは歌い始めた。


修学旅行中で、グラバー園へ向かう途中の小学生たちは、フルネームで紹介されたユニットが、おそらく自分たちは知らないけれど、きっと有名な歌手なんだろうと思ったに違いない。


30人ほどが、豊たちの周りに集まってきた。


「ここのカステラ、めっちゃうまいで~!」


そんなMCで盛り上げると、何人かの小学生は、お土産にと、カステラを買っていった。


豊たちは、少しばかり歌わせてもらったお返しができたように思った。


小学生たち相手のステージが終了すると、豊たちは、看板娘と一緒に記念撮影をした。


この時の写真を、カズは今でも持っていて、時折「ほんま、可愛かったなぁ。」としみじみ言うことがある。


確かに、それ以後のライブツァー中、3人の間では、看板娘の話が頻繁に登場した。


車での移動中や、食事中など、ふと会話がなくなったとき、必ず誰かが唐突に「可愛かったなぁ…」と、遠い目をしながらつぶやくのである。


主語がなくても、全員が誰を指しているのか理解していた。


そして、その言葉の後しばらく、彼女の笑顔を思い出して、夢見心地になるのだった。

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