安本豊360℃ 歌に憧れたサッカー少年 Vol.25「松山」

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長崎を離れた後、豊たちは、熊本をまわって、関サバ、関アジで有名な大分県の佐賀関港から、豊後水道を隔てて、愛媛県の佐田岬の先端にある三崎港へ渡った。


70分ほどの短い船の旅で愛媛県に入った豊たちは、そこから約100キロ、2時間ほど走って、松山市内に入った。


松山駅の適当な場所を見つけて、昼過ぎ頃、路上ライブを始めた。


6月から8月にかけての土曜日は、松山駅周辺の商店街に、たくさんの屋台が出る「土曜夜市」が行われる。


豊たちはそんなこととはまるで知らず、「さすがに松山、人が多いなぁ」と喜んでいた。


豊たちの路上ライブでできた人だまりの中に、中学生らしい男子が混じっていた。


彼は、豊たちが演奏を始めた直後からずっとそこに居て、とても熱心に聞き入っていた。


聞く人が入れ替わっても、彼は動かず、豊たちを見ている。


最初は気にも留めなかったが、2時間ほどの駅のライブが終わってもまだ彼が帰らないので、ヨシヒロが話しかけた。


「音楽、好きなん?」


ヨシヒロの声を待っていたかのように、中学生はぱっと顔を輝かせて、走り寄ってきた。


「あの、音楽、教えてください。」


「え?」


豊もヨシヒロも、彼が何を言っているのか、一瞬、わからなかった。


「あの、僕にも、音楽、教えてください。」


中学生は、確かにまじめに言っていた。


しかし、教えてと言われても、今、会ったばかりだし、この先、豊たちがずっと松山に居るわけでもないし、何をどうやっていいものやら、旅する少年ミュージシャンには見当もつかないことだった。


適当にあしらおうと思って、場所を移動することを思いついた。


「ああ、僕ら、ちょっと場所、変えるから…」


とカズが言うと、


「あ、ほんなら、商店街へいこわい。僕、楽器、かくけん。」


中学生は、カズのパーカッションを運ぼうとした。


「商店街って?」


「今日は、土曜夜市やけん、人がようさんおるん。」


中学生の情報が、意外にも豊たちにとって有益だったので、ここはあしらおうとした姿勢を改めて、彼の案内に従うことに方向転換した。


そうなると、中学生との距離は縮めておいた方がいい…カズは中学生に話しかけた。


「音楽習うって、何がしたいん?」


「ギター、かっこええなぁと思て。ギター始めたいとです。」


松山駅近くの商店街は1か所ではなく、駅に一番近いまちつかタウンから銀天街を経て大街道までの一帯にずらっと小さなブースが並ぶ。


全体では、230軒をこす店が出て、1日に5万人以上が訪れるという。


「うわ、すごいなぁ。ここで、路上とかしてもええん?」


およそそんな権限があるとも思えない中学生に、豊たちは思わず尋ねてしまった。


「かまんよ。よう、やっとうけん。」


中学生は、軽く答えた。


ブースの出ていないスペースを探し、豊たちは ギターケースを開いて歌いだした。


見る間に人垣ができて、手拍子が生まれた。


聞いてくれる人が途切れなかったので、豊たちは歌い続けた。


広島の時のように浴衣こそ着てはいなかったが、可愛い女の子たちも集まってきてくれて、豊たちはいつの間にか、そこへ連れてきてくれた中学生のことを、仲間のように思い始めていた頃、演奏を聴いていた一人の女の子が


「喉、乾かん?私、ちょっと飲み物買ってくるけん。」


そう言って、差し入れのドリンクを買いに行ってくれた。


豊たちは手拍子の中で歌っていたが、彼女はほどなくして「もぅっ!最悪やわ!」とぷんぷん怒りながら帰ってきた。


世の中がサッカーのワールドカップで沸いている折だった。


ドリンクを売っているブースに向かう途中で、いきなり知らない男に背後からお尻を触られ、びっくりして振り返った隙に、日本代表のブルーのユニフォームを着た別の男に財布をスリ取られたのだと、彼女は憤慨しながら訴えた。


「え?犯人、見たん?」


「うん。」


というわけで、その場は騒然となり、豊たちは警察に駆け込んで、事情を話し、路上ライブどころではなくなった。


なぜか中学生は、その間もずっと同じユニットのメンバーよろしく、豊たちに付き添って交番へも行った。


一通りの事情聴取を終えて、交番からの帰り道で、中学生がとんでもないことを言い出した。


「あのう、今晩、一緒にテントに泊ってもかまんかの?」


これを聞いた豊は「なんでやねん」と心の中で突っ込んだ。


「あんな騒ぎで、時間も時間やしぃ…」


中学生は、なんだかわけのわからない理由を引っ張り出して、かなり熱心にテントに泊りたいと懇願した。


少し根負けしたのと、なんとなく彼が可愛く思えたのとで、豊は、カズとヨシヒロに彼を泊めてやってくれと頼んでしまった。


「お母さんに、ちゃんと連絡しときよ。」


「はいっ!」


中学生は、母親にテントで泊まることをちゃんと伝えた。


と言っても、テントは3人がようやく寝られる広さなので、豊は、言い出した責任を取って、一人、車で一夜を明かした。


そんなわけで、豊は、その夜、テントで何が起こっていたのかは、何も知らない。


翌朝、中学生は、一度家に戻り、豊たちは銭湯に行った。


夕方前くらいに、前日の商店街に戻って、ギターケースを開くと、中学生は友人を連れて演奏を聞きに来た。


その顔は、豊たちとの絆を友人に自慢しているようにも見えた。


その夜、路上ライブが終わった後、豊たちは、高知に向けて松山を後にした。



 

旅が終わって1年後、何気なくテレビをつけていると、各地のローカルストリートミュージシャンを取り上げる番組が流れた。


「愛媛県松山市」と書かれたテロップが出て、その名前の背景に、豊たちが歌った松山駅が出てきた。


あ、懐かしいな、と思ってみていると、かの中学生が、ローカルストリートミュージシャンとして紹介されていた。


豊は、驚いた。


そして、とても嬉しかった。


彼は、豊たちとの出会いを彼の青春の1ページにして、それをきちんと形にしてくれている。


もちろん、このニュースは、カズやヨシヒロとも共有した。

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