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アホの力 4-1.アホ、恐怖する

Image by Olia Gozha

2012年の終わりを、実家で迎える事が出来た私なのだった。お雑煮フェスティバルの準備はまだ一部残っていたが、あらかた決まりは付いていたので、残りは仲間に託して休みに入らせてもらったのだ。


みみセンを始めて数ヶ月、休みなく働いていた。非常に充実した楽しい時間だったが、肉体的にはかなり疲れていた事も事実だった。この頃、歩いていてもうまく足が前に出せず、よく躓いたりしていた。


年明けには、すぐに次の予定が入っていた。仮設住宅で対話のワークショップのファシリテーターをすることになっていたのだ。なので三ヶ日を実家で過ごして、すぐに南相馬に戻る予定だった。




年が明けた。何にも急かされる事のない、とてものんびりした年明けだった。


正月に飲もうと買っておいた長期熟成の日本酒をちびちびやりながら、自分の部屋のベッドでゴロリと横になりTVを見ていた時に、それは起こった。時間は夕方5時過ぎ頃だっただろうか。




ふいに体の右半身に、震えるような波打つような妙な感覚が起こった。とても些細な感覚だったが、何だか違和感がある。


『あれ、なんだろ』


と思い、体を起こそうとするが、起きる事が出来ない。そこから違和感は急激に強くなり、右手が動かせなくなってしまった。


これは…何かおかしい…ベッドから立ち上がろうとしたが、立てずに床に突っ伏してしまった。右足に全く力が入らない。


痛みは身体のどこにも無い。ただ単に身体が動かない。


これはただ事では無い、救急車を呼ぼうと携帯を取ろうとしたが、携帯の操作が上手く出来ない。居間にいる家族に異変を知らせようと声を出すが、言葉を発する事が出来ず『あう、あう』としか言えない。左半身だけで何とか部屋を這い出て、家族のところに行くと、異変に気付いた家族がすぐに救急車を呼んでくれた。




救急車はすぐに来た。部屋に入ってきた救急隊員が、身体の様子をあれこれと質問してくるのだが、うまく答えられない。意識ははっきりしていたのに、伝えたい事が伝えられない。ものすごくもどかしかった。


とりあえず病院に搬送しようという事になったのだが、実家はマンションの5階、エレベーターにストレッチャーは入らない。止むを得ず、救急隊員が俺の両脇を抱えて1階まで運んでくれた。そこから病院に搬送するための段取りをするのだが、受け入れ先が見つからない。元日の夕方だ。病院も混んでいたのかも知れない。そうでなくとも、実家のある埼玉県は、日本一の医療過疎県だったりする。市内の病院は全部断られた。近隣の病院にも断られ、6軒目に電話した、車で30〜40分ほどの大学病院が受け入れ可能だという。『とにかく急いで運んで下さい』という病院の指示を聞き、不安はますます増した。


このやり取りの間にも、身体はどんどん動かなくなっていく。




考えてみて欲しい。意識がはっきりしているのに、身体はどんどん動かなくなっていく…この事にどれほどの恐怖を感じるか。


ずっと


『やばい!俺、死ぬ!』


と思ってた。救急車の中で叫んでもいた。言葉は『あうあうあう』としか発せられなかったが『助けてくれ!』とでも言ったつもりだったのか…自分でもよく覚えていない。




病院に着いた。検査と同時進行で処置がされる。検査の結果は『脳梗塞』。ラクナ梗塞という、梗塞自体は小さなものだったが、処置をしないと症状は進む可能性があった。処置としてはPAという血栓を除去する薬剤を静注するのだが、その処置は早ければ早いほど良い。処置の効果が出るには、発症から4時間以内の処置が必要なのだという。


私の場合、どうやらそのタイムリミットには間に合った。しかし、処置中も右半身の麻痺は強くなっていく。そこでも不安から大声で叫んでいた。


『何で治療してるのに症状が進むんだよ!』


と(言ったつもり)。




恐ろしかった。


『死ぬかも知れない』


じゃない。


『自分は死ぬんだ』


と思えた。


『怖い』以外の事は頭に浮かばなかった。




そんな中で、一つだけ意識してやった事があった。


『南相馬の仲間にこの事を知らせなきゃ』


という事だ。なので処置してもらってるベッドの上でfacebookに


『脳梗塞で倒れました。しばらく帰れません』


とだけ書き込んだのだ。その後すぐに携帯は取り上げられてしまった。


これが次なる展開を生む事になる。だが、この時はもちろん次を考える余裕は無い。




処置と検査が終わると、ICUに入った。ナースセンターの横にある、いわゆる集中治療室というやつだ。時間はまもなく消灯時間。家族も帰り、消灯時間になるのだが、目を瞑るのが怖い。


『目を閉じたら、このまま目覚めず死ぬんじゃないか』


と思えたのだ。


ICUの中、ピッピッという機械の作動音だけが鳴り続ける。


こんなに恐ろしい夜は、体験した事がなかった。

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