アホの力 4-12.アホ、またまた発見する

前話: アホの力 4-11.アホ、疼き出す
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まだまだ片輪全開の私であったが、リハビリ病院に転院し、目標やそれに向けてのやる事が明確になって来て、それに向けて淡々と取り組む日々を送るようになり、だんだんと何かの虫が胸の中で疼くようになってきたのだった。
『暇だ』

『何かしたい』

という疼きだ。

先にも書いた通り、入院患者同士の会話と言えば『私はここが痛くて辛い』『私はここが動かない』といった、恐らく誰の元気も生み出さないであろう『病気自慢』『不幸自慢』になりがちだ。
それ以外には、前日のTV番組の話や、芸能人のゴシップくらいなもの。他に話す話題が無いのだ。
『これもダメでは無いんだけど…どうにか出来ないかな』
というような事を思っていた。
ここに入院している人は、病気の辛さを抱えている人達ばかりだ。中には、脳卒中の後遺症で言葉を失った、失語症の人もいた。自立歩行が出来ず、車いすを常用している人ばかりだったし、手の自由を失った人も大勢いた。
そうした人が話す事は、夢も希望もない話題になってしまいがちだ。
 

私はふとここで思った。

『これって、被災地の状況と似ているんじゃないかな』

被災地に住む人も、震災がもたらした被害がトラウマになり、

『辛い』

『苦しい』

『楽になりたい』

を連呼している状態だった。

ここでこの人達の気持ちをフォローする事が出来れば、その事が、福島に戻った後の私自身の活動のヒントになるかも知れない。
そうなったら、ここでまたアホの特徴である『思い込み』『勘違い』が発動する。

『この人達の心を変えるのは、私がやるべき事なのだ』
と。

 

とはいうものの、ここは病院だ。何かをしようにも制約がある。出来る事は少ない。

まず思ったのは、誰かに慰問に来てもらう事だった。

私の入院しているリハビリ病院には、談話室にピアノが置いてあった。グランドピアノ風にデザインされた電子ピアノだったのだが、弾かれているところを見た事が無い。過去には使われた事もあったのだろうが、少なくともここしばらくは使われていないようだった。
このピアノ何かに使えないか…誰かに弾いてもらえばいいんじゃねえか。
私の知り合いには、ピアノを得意とする人が何人かいた。中にはプロのピアニストやミュージシャンも。
その人に頼んで、慰問ライブをやれないかな。
そう思った私は、早速病院に話をしてみる。
『あのピアノを使って、慰問コンサートとかやっちゃダメ?』と。
答えは即答で『No!』しかも結構強めの『No!』だった。

『戸田さん、あなたはここに何しに来てるんですか?リハビリ入院でしょ?だったらよけいな事を考えず、大人しく、リハビリだけしてて下さい!』
こんな厳しい『お叱り』を病院から頂戴する事になる。

何て事だ…そんなに強く怒られるとは。
いや待てよ?という事は、リハビリにつながる事なら良いんじゃないか。
これは作戦変更したほうがよさそうだ…。

そこで考えたのが『折り紙教室の開催』だ。
ちょうど私の同じ部屋に、文房具メーカーの営業の仕事をしていたという人が入院していた。その人は脳卒中では無かったが、手足のしびれと筋力低下が起こる「脊柱管狭窄症」という病気で入院しており、自分のリハビリにと折り紙を持ち込んでいた。折り紙の営業をする際、デモンストレーションで客前で折り紙を折って見せたりしていて、そのために折り紙の練習をしていたのだそうだ。その人は自分のベッドで、一人黙々と折り紙を折るリハビリをしていたのだが、それが何とも上手だったのだ。
これは良い。この人に先生になってもらって、談話室で折り紙教室を開いてもらおう。
早速その人に、折り紙教室の先生になって欲しいと打診すると、OKの返事がもらえた。
一応病院にも『折り紙教室をやりたいんだけど』と話をしたら、『それは是非やってくれ』という返事をもらい、病院に余っていた折り紙を提供してもらえる事にまでなった。
そして折り紙教室をやる旨を、談話室で辛気臭い話ばかりしているおばさんたちに話をした。最初は皆『私は手が動かないから、折り紙なんてどうせ折れないわよ』なんて言っていたが、『リハビリにもなるから』と参加を勧めたら、『じゃあ参加してみる』という返事がもらえた。

そして、折り紙教室を開くと告知した日時、談話室には6人ほどのおばちゃんが集まっていた。どの人も車椅子だ。

そんな中、おもむろに折り紙教室が始まった。
先生が教えてくれたのは『あやめ』。季節的にももうじきあやめの季節で、良い題材だった。
みんな一所懸命折り紙と格闘している。
『やっぱりダメ!綺麗に折れない』
『私だって片手で折ってみてるよ』
そんな会話をしなから、みんなゆっくりと折り紙を折り進める。
始めは愚痴りながらやっていたのに、いつしか愚痴は出なくなり、みんな折り紙に没頭し始めていた。

それは、みんなが麻痺を抱えた体で挑戦を始めた瞬間だった。

そしてついに『あやめ』は完成する。
なかなかどうして…みんな綺麗に折れていた。
中には

『私にも出来た!』

と嬉しさのあまり涙する人も。
そして、そんな私たちの様子を始めは遠巻きに見ていた人達も、最後には一緒になってあやめの完成を喜んだ。

私はそんな光景を見て

『大事なのはこれなのだ』
と思っていた。
みんな自分に何が出来るのかが分からず、どこまで回復するのか分からず、何を目指したら良いのか分からない状態だったのだ。
みんな折り紙の完成を目指してアクションをおこしたら、苦戦しながらも感性というゴールに達した。
目指すものがハッキリ見えれば、人は行動をおこせるのだ。
そして、目指すものをしっかりと見出す事の重要性を再度知ったのだった。

この出来事以来、『次はいつやるんだ』とみんなから次の折り紙教室開催をせがまれるようになった。
この事は私にも嬉しい事だった。
私の入院生活にも、とても刺激になる出来事だった。

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