谷藤家の長女として生まれた僕が、43年かけて結婚を叶え、一児の父になるまでの話。
0.今。~僕の話~
毎年来る3月12日、今僕は45歳。
女性で生きてきた年数39年。
男性で生きている年数6年。
僕には妻がいて、こんな素晴らしい環境にいることができる僕は、本当に幸せだ。
いや、幸せなんて、その場で決めてなればいい!
これかあらも、もっともっと楽しもう!って上だけを見ていく人生を進んでいくために性同一性障害として生まれた僕でも、きっと誰かの役に立てるかもしれないと、僕の今までの軌跡をここに記して、奇跡を起こしてみよう!!
笑いあり、涙あり、でも流すならうれし涙を流したい!
きっとあなたも元気になれますよ!♪
ぜひ最後まで読んでください。
一. 出生。~性別の話~
45年前の3月12日、僕は生まれた。
僕の名前は谷藤久良良(クララ)。
父親がつけてくれた名前で僕はとても気にいっている。
永「久」に「良い良い」で、久良良。
なぜこの名前をつけてくれたのかを聴いたら、そう答えてくれた。
僕は谷藤家の「長女」として、元気よく生まれた。
性別は男。
でも、え?長女?なのに、男?
そう!長女として生まれたけど、今は長男である。
これから僕の人生が一体どうなっていくのか、まだ誰も、本人である僕にも予想のできない素敵な旅になるのであった!
二.幼少期の話。~少しずつ感じる違和感~
ずっと昔をさかのぼって思い出してみると、かすかな記憶の中で、4、5歳ほどの僕が、周りの友達を見ていると、何か違うという違和感をすでに感じていた。
それが何なのか、その時の自分にはまだよくわからなかったし、幼い僕がそれを説明することは不可能だった。
ただ、誰とも群れず、よく一人で遊んでいた、と母親は言っていた。
女の子と遊んでもうまく遊べないし、人形遊びやママゴトなんて全くもって楽しくない。
男子ともちろん遊びたかったけど、身体の小さな僕は男子のスピードに全くついていけず。
ある日、母親がかわいいフリフリのスカートを買ってきたのを見たけど、僕はもちろん知らんぷり。
幼稚園の卒園式には、僕のためにと、叔母がワンピースを買ってくれた。
母親は僕がスカートが嫌いなのを知っているのに、せっかく買ってもらったんだから着なさい、と。
ううっ
着るのいやだな...。いやいやそれを身につけた僕は、この世の終わりのような、不幸そうな顔をして、今でも卒園写真に載っている。
いやー、このころの僕はホントにネクラだったな!
クララだけに!?笑
でも小学生になっても身体が小さく、名前が「クララ」だったおかげで周りのみんなが僕の周りに集まってきてくれた。
女子たちからはわりと好かれていたと思う。
いや、それが事実かどうかは、わからない。ままごとや人形遊びなんて、まっぴらごめんだったけど、女子たちにとって、赤ちゃんや、人形のように、余計なことを言わない、僕の役割(存在)がただ必要だった、だけかもしれない。
だから僕はその場に座って、何かを食べるフリして、バブー!とか言ってたんだ。
それから僕もだんだんやんちゃになってきた。
やんちゃ、にもいろんな定義があるけれど、人を傷つける、とか、物を盗む、といった不良要素のあるやんちゃではなく、一応少女だったので笑、おてんば、と言う方がしっくりくるのかも。
運動は得意中の得意。
かけっこ、マラソンは女の子の中ではいつも1位。
体育の時間はいつもみんなの前でお手本になった。
わざわざ高い木を選んで登ったり(結果、そこから落ちて骨折した)、近所のお寺の墓地に入って、よそのお墓のろうそくに火をともしたり、もちろん見つかり、住職の奥さんにオニババのような形相で追いかけられ、つかまり、こんこんと叱られ、そして家でも、連絡を受けた父親が大きな雷を落とす、そんな幼少期だった。
父親は昔ながらの人。
父親が一番強い、偉いという代表的な家庭だった。
父に叱られるときは、半端なく叱られる。
今でいう、大人が子どもに気を遣う、など全くないのだ。
父の逆鱗に触れたときは、もう誰にも止めることができず、腕を思いっきりつかまれ、そのまま車でしばらく走ったところにある山へ連行されて、僕が男だとか女だとか関係なく、
「山の中のいる河童に食われてしまえ」と、おどかされ、山の中でしばらく放置。
ワンワン泣いても、声は山の木が吸いこんで、自然は何もないかのようにふるまう。
あれはほんっとに恐怖だった。
もしかすると、虐待の域?になるかもしれない。
でも40年も前ってきっとこんな感じだったと思う。
そして父親が決して悪いわけではない。
僕は思っていることをあまりはっきり言えない内向的な性格だったので、僕の心の中にある、性に対する違和感がだんだんと大きくなり、もやもやし、うまく表現できない時に気持ちが爆発して、母親に八つ当たりしていた。
それを見た父親が、僕を叱る、というものだった。
あの時分にはもう反抗期に入りかけていたんだろう。
三.思春期の話。~身体の変化と苦しみ~
小学6年生頃、思春期に入り、乳首の周りが膨らみ始め、腰回りも丸みを帯びる、女性的な身体つきになってきた。
男友達と一緒に野球やサッカーをして遊びたい、でも、背は低い小さな女の子、戸籍も女、である自分が、男子と一緒に遊んでいる、ということが周りの目に留まるのがいやな時期だ。それは避けたかった。
しかし何よりも、女子の中でも小さい方の僕は、男友達にもうついていけないぐらいの、その圧倒的な差、に愕然となり、どう考えても、【女性】であること、を認めざるを得ない状態になっていった。
その事実がさらに自分の心に重くのしかかるのだ。
毎日、朝起きたら男になってないかと、どれだけ渇望していたか、でも同じ朝が来る。
毎日絶望感をひたすら感じていたのだ。
そんなある時クラスの女の子、かすみちゃんを好きになってしまうのである。
かすみちゃんは明るくていつも元気。
目は細め、ハキハキ話すその性格は、クラスでは中心的な存在だった。
席が前後になったことがきっかけで、よく話をするようになった。
明るい子と話すと明るい気持ちになるんだろう、僕はどんどん魅かれていった。
でも好きだと思う気持ちとは裏腹に、自分は女子なのに、心は女子じゃなくて、でも女の子を好きになってしまうという、どうしようもできない感情がどんどんと沸き起こってくるのだ。
そしてそれは、この先誰か女の子を好きになる時に必ず、自分を苦しめるものにもなっていった。
中学生になり、かすみちゃんとは同じクラスにはならず、少し寂しく思う反面、自分の気持ちが平穏になるのを感じた。
クラブ活動はバスケットボール部に入り、ひたすら練習した。
正確には集中しよう、とした。
女子とチームを組んでスポーツをするなんていやだったけど、それでも身体を動かしている時だけが、何も考える必要がなかった。
しかし、体は自分の心が求める性の反対側にどんどん変化していく。
そして中学2年生でとうとう生理が始まってしまった。
これは、自分が最後の砦のように思っていて、あぁ、やっぱり僕は女性だったんだね、と自分の女性性を認めざるを得なくなり、その事実を目の前に突き付けられ、そしてただただ落ち込むしかなかった。
ある時、思春期の男子に必ず起こるであろう、自分の性器を触ることに興味を持ち、触りたいと思うことが僕にも起こった。
しかし実際に僕が触っているのは女性器である。
それでも男性器を触っているとイメージし、気持ちよくなり、ふと我に返ると、自分は一体何をしてたんだ?と罪悪感でいっぱいになって、そんな自分に吐き気をもよおし、夜中のしんとした暗い部屋で一人泣いていたこともあった。
それでも僕はクララとして生まれたからには、僕が持っているクララのイメージ(いつも笑顔で明るく元気)でいようとした。
今となってはこれが自分の本質になっていると思うが、実際の自分とのギャップに、本当にもういっぱいいっぱいだった。
四.大人へと。~男性と付き合う話~
大人になりつつある高校生の頃の僕は、とにかくいやなことを考えないようにするために、中学からやっているバスケットボールを続けた。
夢中になった。
全国大会も行けた。
バスケ部の監督も、恋人はバスケと言いなさい!という人だったから、とても気が楽だった。バスケをし続けさえいればいいのだから。
そして卒業し、就職してからは、自分の好きなように生きていこうと思った。
22歳から23歳までの1年間は留学経験もし、バスケは30歳まで続けた。
しかし自分の人生を変えそうなぐらいの出来事が起こる。
なんと僕は男性と付き合ったのだ。
これは自分にとってチャレンジだった。
自分の心の性を、持って生まれた体の性に合わせようとしたのだ。
女性として生まれたのだから、心も身体も正真正銘の女性になろうと思った。
お付き合いをした人の名前はつとむさん。
僕が尊敬する人だった。
彼は愛情深く、優しくて一緒にいて楽しかったし、楽だった。
彼は僕のことを愛してくれてた。
それがすごく伝わってきたので、もしかしたらいけるかもしれない、と思える唯一の相手になった。
初めて女性として男性を受け入れた。
でもうれしい、や、気持ちいい、という感覚はなかった。
本来は好きな人といると胸がキュンとなったり、ずっと一緒にいたい、とか、もっと話してたいとかそういう感情になるはず。
でもそんな感情は湧き起らなかった。
自分の本当の心に蓋をしながら過ごしていたある日、なんと僕はプロポーズを受けた。
僕は一度は受け入れた。
これで全て変われるんだと。
しかし自分が女性として男性とこれ以上付き合うことはできなかった。
やっぱり僕は本当の女性になれない。
心の中が砂嵐のようにぐちゃぐちゃになる。
この自分の今の感情をどう彼に説明すればいいのだろう。
これ以上、彼と一緒にいたら彼も自分も苦しめる。
自分の心に嘘をついたまま過ごすことはもうできない。
そして伝えた。
一言、別れてください、と。
伝えた瞬間の彼の顔がなぜ?という表情になったが、彼は僕にそれ以上聞くことをしなかった。
僕の人生で最初で最後の彼氏だった。
五.カミングアウトの話。~心が軽くなった喜び~
僕が、自分のことを、ようやくわかったのは、30歳になる前だったかと思う。
その時にあった、某ドラマで、「性同一性障害」で悩む女子中学生の話を観て、まさに、自分がそれに当てはまるものだったのだ。
その時の僕は、これだよ!これ!!ようやくわかった!!やった!!!
と叫んだのを今でもよく覚えている。
今までは、こういうのって一体何て言うんだろう?うまく表現ができず、答えの見つからない重いものが、僕の心や身体を支配していた。
でもまず言葉としてそれが存在していた。
その時、僕の心の中でホッとした。
僕は変じゃないんだ!僕みたいな人もいるんだ!!僕だけじゃないんだ!!
それからすぐに僕は本屋へと走り、僕のような人たちのことを、片っ端から調べた。
セクシャルマイノリティ(性的少数派)、そういった人たちが世の中にいるようだ。
僕もそのうちの一人だな。
僕は男性から女性へと変わりたい人。
性同一性障害、うんうん、確かにそうだ。これこれ!
わからないことが、わかる、という瞬間のうれしさ、今までのパズルが組み合わさっていく。
そしてパッと、読みやすそうな本を見つけ手にした。
読むと僕のような人たちのことを、明るく元気に、そして愉しそうに書かれているではないか!
よし、これでいこう!
僕はその本を購入して、飛ぶように帰った。
季節的に少し寒くなり始めたころだろうか、家に帰って、母親が出してくれたコーヒーが少し熱めに感じて、それを飲んだ時に、言うべきタイミングが来たんだと察した。
時間は夕方5時になりかけていた。
あの、父さん、ちょっといいかな、実は僕…。
少し沈黙が続く。
その間、僕はこんなことを考えていた。
伝えたいけど、これを伝えたら、どうなるだろう。
怒られるかも?
逆に自分たちを責めて悲しむかも?
しかし、僕はもうどうにでもなれ、エイ!という気持ちで伝えた。
僕は、性同一性障害というの、らしいんだ…。
伝えた瞬間、真剣に聞いていた父の顔が、その言葉を知らないのに、全てがわかったような表情になったのを見た。
そして、こう言った。
お前の人生だ、お前の思うように生きろ、お父さんは、何かあったら、すぐバックアップする。
僕は、言いたかったことを伝えられた安堵感と、大きな大きな父親の愛を感じたその返答に、その場で泣き崩れた。
隣りで聞いていた母親も、よくわからないけど僕が泣くから一緒に泣いていて、ひとしきり泣いたあと、おかあさんよくわからない、と言った。
しかし父親が、クララの人生だから、受け入れよう、応援してあげよう。
と言ってくれた。
僕は持ってきた本を母親に渡し、
これ読んでくれたら少しわかると思う、読んで何か聞きたいことがあったら聞いて、伝えた。
人間誰でもわからないことは、やっぱり不安や怖さを感じるんだ。
だからわからないことを、知ってもらうことが大切。
僕は身近にいる親に伝えることで、今後の人生のための大きな大きな一歩を進んだ。
六.男性ホルモン注射開始。~男性化へ~
進むべき道が少しずつ見えてきて、僕は自分の心の性に近づけるために、クリニックに通い始めた。
クリニックに通い始めて、すぐに自由診療でホルモン注射を打ち始めた。
通常、性同一性障害だと診断されるまでカウンセリングを続けて、そのあとに、どんな治療方法を選択するかを決めていくのだけれども、それはすごく時間がかかることになる。
自由診療とは、医師からのカウンセリングを受けると同時にホルモン注射も受ける、という選択ができる診療(全て本人の責任のもとである。)で、心が望む性にいち早く身体を変えていく、そのアプローチを推奨している先生を選んだ。
始めて1,2回ぐらいの注射では身体は変わらなかった。
しかし3回目を終わったぐらいから、声が変わってくるのを感じた。
いわゆる変声期、である。
そして、いよいよ生理も止まり(これは僕の中で大きなストレスだったので止まった時はうれしかった)、体毛が少しずつ増えてきた。
5回目以降になると、体重が増加し、筋肉が増えるのを感じた。
スポーツをしていたから、元から筋肉質ではあったけれども、明らかに僕が心から憧れてきた男の筋肉の付き方になってきた。
ホルモン注射を打ち始めて1年ほどで見た目は、ほぼ男性になっていた。
そして身体の変化とともに、心がずいぶん落ち着くのを感じた。
以前は心が落ち着く場所がどこにもなく、イライラしていることが多かった。
でも今は違う。
求めている性に自分が向かっていける、それがとても嬉しくて、僕自身が持つ本来の明るさを取り戻していった。
そう、あの時までは。
まさか自分にあんなことが起こるなんて。
七.出会いと分かれ。~ 神様からの試練 ~
34歳で治療を始め、身体の変化もある程度落ち着いたころ、僕はあるクラブに行った。
セクシャルマイノリティーたちが集う場所で、僕のような性別を変えたいと思っている人たち、女性だけど女性が好きな人たち、男性も女性もどちらでも好きになれる人たち、本当にいろんな人たちが集まる場所だ。
そこにいるだけで、独りじゃない、と感じることができた。
そしてそこで一人の女性と出会った。
こんばんは!
と少し恥ずかしそうにあいさつをして顔を上げた、その人の顔は黒木メイサ似で、クラブ内が暗いからか、少し影があるような雰囲気を持っていた。でもその影が彼女が持つ色気をぐっと引き立たせて、それがとても美しく感じた。
僕は一目ぼれしてしまった。
彼女はさおり。
美容関係の仕事をしていると言っていた。
道理でお肌がきれいなのか。
さおりと僕とさおりの友達も交えて、お互いの年齢を言い合ったり、ありきたりな話をしばらくしたあとさおりと友達は帰ると言った。
僕はすかさず連絡先を交換してほしいと言ったら、喜んで、と言ってくれた。
それから家に帰り、お礼のメールをした。
そしたら、今度会いませんか?と返事が来た。
僕の心が舞い上がるのを感じ、運命的なものも感じた。
僕がまたさおりと会えたのは、クラブでの出会いから2週間ぐらい経ったあとだった。
2回目に会った時も、やっぱりとても美しい人だったから、次も会いたいと言った。
さおりもぜひ!と言ってくれた。
このやりとりを2回ぐらい繰り返して、僕は好きだ、付き合ってほしい、と告白した。
さおりはうれしい、と言ってくれた。
そこから、僕たちはもっと仲良くなり、どんどん惹かれあっていった。
たくさん話し、お互いのことをよく知ろうとした。
本当に幸せだった。
付き合ってから1か月ほど、さおりはずっと笑顔で明るかった。
それから少しして、さおりは僕に話したいことがある、と言った。
僕は聞いた。
さおりは摂食障害だと。
拒食と過食を繰り返していると言っていた。
しかし僕と付き合ってから、明るく生きる僕のように元気になりたいと思ったらしい。
今まで向き合うのが怖かった治療をするための病院へ一緒に行ってほしい!と言った。
僕は、前向きな彼女の気持ちに寄り添いたくて賛成し、一緒に病院へ行った。
しかしその病院では当たり前のように抗うつ剤と睡眠剤が渡された。
しかしさおりにはそれらの薬はまったく効かなかった。
効かない上に夜も眠れないものだから、さおりはお酒に手を出した。
アルコールと薬、どう考えても組み合わせの悪いもの。
さおりの顔色がどんどん悪くなっていく。
僕は痩せてみるみる変わるさおりのそばにいることしかできなかった。
そしてある朝さおりはキッチンで倒れていた。
周りには大量の薬が散らばっていた…。
僕と出会ってから、さおりは1ヶ月半で逝ってしまった。
生きる意味や生きる力を持たず、自分への期待感を全く失って、さおりは死を選んだ。
まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。
僕は大事な人を失って、深い谷底に突き落とされた気持ちになった。
言葉だけでは表現できない想像以上の悲しみだった。
これは悔しい、とも言うのだろうか。
あんなに近くにいたのに、助けることができなかった自分に猛烈に腹が立った。
そしてさおりが、自ら死ぬ、という選択が、さおりの周りにいる大切な人たちをどれほど深く傷つけたか、ということに対しても悔しくて腹が立った。
何をやってんだよ!って叱ることも、本人がいないからできない。
さおりを責めても自分を責めても、さおりが戻ってくるわけではない。
これが本当の絶望ってやつだった。
本当に残念で悔しくて、自分に一体何が起こっているのか、なぜ自分がこんな目に遭うのか、全然わからなくて、どうしようもなかった。
さおりの死からしばらくして僕はもう一つ仕事を増やした。
辛い辛いと、その想いばかりに囚われて自暴自棄になってしまうことは、心にも身体にも良くないだろうと、いうのはわかっていた。
自分の性別の違和感や苦しみに対して、スポーツをすることで紛らわせていたように、今度は仕事をすることで紛らわせた。
朝昼晩休みなく働いた。
それからしばらくして、1ヶ月に1回だけ休みを取って、びわ湖のごみを拾おうと考えた。
同じ時を、ふさぎ込んで過ごすのか、それとも明るく元気にふるまって過ごすのか、大きな違いだ。
僕は友達に有志を募り、集まってもらい、みんなで綺麗にした。
毎月毎月賛同者が集まって、びわ湖清掃は大盛り上がりを見せ、市の広報にも僕たちの活動が取り上げられたりもした。
こうやって人が集まってくれるたびに喜びでいっぱいになり、みんなの力で僕は笑顔を取り戻し、一つひとつのゴミを拾っていく動作は僕の心を大きく癒した。
そして僕はいつの間にか、この苦しみを乗り越えていった。
八.新たな出会い。~そして再スタート~
ある日、当時飲食店の店長をしていた僕は、ある女性のパートの面接をすることになる。
その出会いは、のちに僕が性別を変える大手術を受け、戸籍の性別も変え、そして結婚という選択をするきっかけとなり、辛く苦しかった人生を大逆転へと導くものになったのだ。
彼女はちさと。
面接で出会ったちさとは、30代前半のかわいい系で、最初はイケイケな人だなと思った。
離婚後まもなく、娘とアパート暮らしをするために、どうしても就職しなくてはいけなくなったと、力強く話す姿に、鬼気迫るモノを感じ、僕はすぐ採用した。
ちさとが仕事のシフトのことでラインをしてきたことがきっかけで、連絡を取り合うようになった。
始めちさととは、ただのバイト先の店長とパートさんの関係だった。
僕は恋愛感情なんてなかったし、もちろんちさとも最初からいいな、と意識していたわけではなかった。
でも毎晩のようにラインのやり取りを続けて行くうちに、個人的なことも話すようになり、もっとちさとの事が知りたい、次に話せるのはいつだろう?と思うようになったのだ。
もしかして、僕は恋をしたのかもしれない。
ちさとの事を考えるとワクワクする自分がいたのだ。
ある日僕はちさとと同じタイミングで仕事が終わったので、コーヒーを飲まないか?と誘った。
ちさとは嬉しそうに、はい!と言ってくれた。
しかし、ちさとは僕が女性であることを知らない。
ちさとは僕のことを男性として見ているだろう。
どうしようか…。
このことを伝えたらちさとはどう思うだろうか…。
嫌になるだろうか?
ひいてしまうだろうか?
今までのように仲良くできなくなるかもしれない。
でも不安な気持ちは湧いてくるけど、ちさとには僕のことを知っててほしい。
わかってもらわなくてもいい。
ただ大切な人には知ってて欲しいと思ったのだ。
僕はちさとに全てを話した。
ちさとは驚きが隠せないようだった。
まさか身近にそういう人がいるなんて…テレビの世界の話だけかと思ってた、と言った。
僕はその場にいられなくなり、ちさとに大好きだ!!
とだけ言ってその場を離れた。
それから出張で3日間ほど地元から離れた。
それから帰ってきてちさとから呼び出され会うことになる。
久しぶりに会える嬉しさと、ちさとがどう反応するのかドキドキした。
付き合ってください。
え?だって僕、女だよ?
嬉しさと驚きで頭が真っ白になる。
私は人として貴方の事が好きです、だから傍にいたいと思いました。
僕は嬉しくて嬉しくて彼女を抱きしめた。
きっと必死に必死に考えてくれたのだろう。
悩んだだろう。
絶対ちさとを守る。
ちさとの笑顔を増やしてやる。
ちさとは僕を男にしてくれたのだ。
そしてお付き合いが始まり、ちさとはちさとの愛娘を紹介してくれた。
娘の名前は花。
笑顔のかわいい4歳の女の子だ。
こんにちは!とあいさつをする僕に、小さな声で恥ずかしそうに
こんにちは、と返してくれた。
僕たちが付き合った事は、花はすぐ受け入れてくれた。
花の一番大好きな母親のちさとが、毎日笑顔で楽しそうにしているからだろう。
そして花自身も僕を好きになってくれた。
ちさといわく、花は父親以外の男性が苦手だけど、僕のもともと持っている、女性的なものが花にとって受け入れやすかったのかも、と。
花はくらさん、くらさん、と遊びに行くたびにくっついてきてくれた。
しかし僕は花には、僕自身のこと、をまだ伝えることができなかった。
小さな子に、僕のことはショックになるかもしれない。
花には本当の父親がいて、母親が離婚をしているとわかっている。
母親が父親以外の人と付き合っているということ自体、混乱させてしまう可能性がある。
その上それが普通の男性と付き合っているわけでもない。
見た目が男性なだけで、実際は女性と付き合っているのだ。
でも反対に、子どもは純粋で柔軟性があるから、僕とちさとの関係性ももしかしたら受け入れてくれるのではないか、とも思っていた。
女性と女性で付き合うのはダメ、とか、〇〇だからダメ、とか。
大人になるにつれて、そういう固定観念が植え付けられていくのだ。
でも今の花は目の前の事実がある、だけなのだ。
ちさととよく話し合って、花に話すことを決めた。
花、大切なお話があるんだ。
なに???
くらさんな、心は男だけど身体は女なんだ。
え?そーなんだ。ママも知ってたの?
うん。知ってるよ。
えー!なんでもっと早く言ってくれなかったの?!
花だけ仲間外れにしてずるい!!!
意外な返事が返ってきて拍子抜けした瞬間だった。
花は僕が男だろうと女だろうと関係なかったのだろう。
ただ僕たちが花にだけ黙ってたことが嫌だったみたいだ。
もっと早く言えばよかった。
小さいからわからないだろう、じゃなくて信頼して話したらいいんだよね。
花に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
その夜、僕は花と一緒にお風呂に入った。
花は前から僕とお風呂に入りたがっていたから嬉しそうだった。
もちろん僕も嬉しかった。
僕の身体を見ても普通の反応だった。
花はニコニコ笑っている。
こんな純粋な子に、何で僕は色んな事を複雑に考えてしまっていたんだろうか。
しょうもない考え!と花に教えられた気がした。
何度花の言葉と笑顔に救われただろうか。
花が愛おしくて愛おしくてたまらない。
この子の成長を見続けたい。
人生を守りたい。
日に日にふくらんでいく…この子の父親になりたいという気持ち。
そして男性として女性と結婚をしたい!
僕は今までこの性別だから結婚できないと諦めていたし、結婚なんてしなくていい、と強がっていた。
結婚ということを避けてきたのだ。
でも今、愛するちさとと結婚して花の父親になりたい。
こんな気持ち初めてだった。
僕はそんな自分に心の底から猛烈な強さを感じ素直に嬉しく思った。
そして今までしたいと思っててもなかなか勇気がなくできなかった、性別適合手術、そして性別変更。
これも2人の為、これからの僕たちの為ならできそうな気がした。
九.性別変更へ。~両親へごあいさつ~
性別変更の前にちさとの両親に挨拶に行くのだが、なんて伝えようか。
普通の男でも結婚の挨拶は緊張するだろう。
僕はそれにプラス性別のこともある。
性別を変えます!
娘さんと結婚させてください!!
って異例すぎる。笑
だからものすごく緊張した。
受け入れてもらえなかったらどうしよう。
でも、それと同時に普通の男の人のように、テレビで観ていたように、結婚の挨拶ができることが嬉しく思った。
話した時、ちさとの両親は難しい顔をしてた。
言葉にならないようだった。
僕もそれ以上言葉がでない。
沈黙が続いた。
くらさんがいいんだよ。
人として好き。
信頼できるし尊敬もできる。
この人の傍にいて色んなことを学びたいの!!
とちさとが言った。
直後に花が僕の膝の上にチョコンと座ってきた。
それを見たちさとの母親がちさとに色んな質問をしてきた。
性別変更ってどうやってするの?
手術なんて大丈夫なのか?
周りの人から色んな事言われるかもしれないけど乗り越えられるのか?
花は大丈夫なのか?
それと1番大切な夜の夫婦生活は満足できるのか?
途中で本当の男の人が欲しくならないのか?
本当に大丈夫なのか?
たくさん聞いてきた。
心配しているのだろう。
聞きにくいこともしっかりちさとの目を見て聞いていた。
何度もしつこいくらいに聞いてきた。
当然だ。
親としての愛を感じた。
その質問にちさともしっかり答えていた。
最終的に、花がくらさんに親しんでいる事、何よりちさとが幸せそうな顔をしているから…わかったよ、と
ちさとの両親が言ってくれた。
よかった。
その時、絶対2人を守る!!幸せにする!!と心に誓ったのだ。
そしてとうとう性別変更のための手術をすることに決めた。
今現在での日本の法律では、性別変更するのに女性の象徴でもある胸(乳腺)と子宮を摘出し、2人のドクターからのサインが必要となる。
僕はたくさんの選択肢の中から、美容整形や性別適合手術の先進国であるタイで性別適合手術を受ける事を決めた。
日本での手術に比べ安価で腕もいい。
タイでの滞在日数10日間のうち入院5日間である。
仕事も3週間ほど休みをもらった。
店長である僕が3週間も休みを取ることがどれほど皆に迷惑かける事か。
そしてどれほどバッシング受けたことか。
しかし愛する人との結婚の為ならそんなこと痛くもかゆくもなかった。
そしていよいよ手術を受ける日が近づいてきた。
タイへの出発の前日、僕はちさとと花に、ここまで来れたことに感謝の気持ちを伝えた。
そして僕は手術を受けに、タイへ発った。
手術自体はただ眠っているだけなので、なんとも思わなかったのだが、全身麻酔からちゃんと目覚めるか、それだけが心配になり、心臓がどきどきした。
そしていよいよ手術室に入っていった。
身体に何本かの点滴が入り、血管に何か冷たいものが入ってきたと感じた瞬間意識がなくなった。
看護師さんのワン、トゥー、スリー!の声でストレッチャーから病室のベッドに寝かされた。
僕はその時麻酔から目覚め、生きて帰ってこれた!良かった!と思った。
そして、あんなに悩まされてきた胸が、平らになっているという感覚を味わった。
そのことがただただ嬉しかった。
僕はまた大きな一歩を進んだ。
十.結婚へ。~養子縁組~
タイから帰国した後、クリニックに行った。
クリニックの先生は、胸の状態を診たあと、超音波検査(子宮が本当り摘出されてるのかどうか診る)をしながら
ついにここまできたね。
と言ってくれた。
先生はよし、と言って、証明書を発行してくれた。
あとは心療内科の先生からもらえる、僕が性同一性障害だと証明する文書をもらえれば、準備が整う。
僕はその足ですぐもらいに行った。
ここまでくれば、あとは地元の家庭裁判所に行って、性別の変更手続きをするだけである。
一連の手続きを終えたあと、2週間ほどで裁判所から、性別変更を認めます、といった内容の文書が届いた。
僕は市役所へはしり、戸籍抄本をもらった。
僕の性別の欄が「長女」から「長男」に変わっていた。
それを見た時、ついにここまで来れた!と胸が高鳴るのを感じたら、
それからしばらくしてから、僕と妻は、大好きな友達夫婦に間に入ってもらい、結婚届けにサインをして提出した。
それが受理されたあと、まもなくして、僕は花を養女にした。
手術を受けたのが6月、性別を変更し結婚をして、養子をとったのが9月。
このわずか3か月ほどで、男になり、結婚をし、そして一気に父にもなるという、大きな出来事は喜びも大きく、これからの自分の責任に身が引き締まる想いだった。
小さくして両親の離婚を経験しているのにも関わらず、いつも笑顔で元気な花を僕は娘にできて、本当にうれしい。
そして、何よりも心から愛する妻、僕にないものを持っているちさとと結婚できて、本当に良かったし、これは幸運以外の何物でもないと思う。
自分がずっと望んでイメージしてきたことが叶う時、その喜びやうれしさによって、苦しかった過去さえも、変えることができるのだ。
十一. 最後に。 ~僕が思うこと~
僕たち家族は、花の前夫(花の本当の父親)とも交流があり、一緒に食事をする仲にまでなっている。
前夫が花に会いたいと言えば、自由に会ってもらえる状態にしている。それは何よりも花が大事だからである。
離婚なんて親の都合じゃないか、花にはそのことで悲しい想いをさせてはいけない。
今、僕の隣には愛する妻がいて、娘がいる。
僕の両親、妻の両親、ともに今でもいい関係が続いている。
周りには大好きな仲間がいる。
こんな環境を創り出すことができて、僕は嬉しい。
僕が今回、このように投稿することで、再び性と生(死)に対して向き合ったけれど、やっぱり思うことは、人や物や物事全てに対して、愛をもって接することが大切だと思う。
人間というのは、苦しい時には、誰かのせいにして恨んだり、憎しみを持ってしまいがちだけど、そんな感情は一瞬にして捨て去り、未来に向かって、今とても叶わなそうな大きな大きな夢をどんどん語っていけば、僕のように夢を叶えることがきっとできるし、辛かった過去なんて、簡単に変えることができる!
僕はこのことを知っているから、たとえ今日が大変な1日だとしても、笑って乗り越えていけるのだ!
これからも頑張り続ける僕を魅せていければ、と思っている。
それが誰かに勇気をあげられたり、励ましたりできると確信しているからだ。
何より、この投稿を読んでくれた人たちに元気になってもらえれば、とてもうれしい。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
十二.そしてこれからの僕たち。~毎日が楽しいの連続~
今、僕たちは「女×女×元女?!ややこしくもシンプルな谷藤ファミリーがハイブリッドな生き方で自由を手に入れ夢を叶える人生ストーリーを展開しています。
アメーバーブログを日々更新中。前の年までパソコンも触れなかった普通の主婦が、ブログコンサルを開くまでになっています。
ちさと、だからできた、のではなく、自分が本当にやりたいことが見つかれば、おのずと進む道ができるのです。
それにはまず即行動あるのみです!
ぜひ仲間になりましょうね!♪
女×女×元女?!ややこしくもシンプルな明るい谷藤ファミリーが ハイブリッドな生き方で自由を手に入れ夢を叶える人生ストーリーさんのプロフィールページ (ameba.jp)
最後に親愛なる妻ちさと、と娘の花へ
愛してるよ。
ありがとう。
著者の久良良 谷藤さんに人生相談を申込む