ボーダーの私が『普通』になるまでの物語④
【20歳 病院からの脱走】
5月に21歳になる私は相変わらず入院していた。
そんな時、母は以前から痛めていた脊柱管狭窄症の手術をするために入院することになった。
母が入院した翌日、私は入院中の病院を無断で抜け出した。
入院生活がまた嫌になったから・・・。
院内で来ていた上下紺色の中学校のジャージを着たまま電車に乗る。
当時の私は周りの目が気になり、一人で電車に乗ることができなかった。
常に誰かに見られているような、もしかしたら知っている人に会ってしまうかもしれないという恐怖に支配されていた。
が、この時は何かが切れたように、何かにとりつかれたように冷静でたんたんと電車に乗り込み家に帰った。
21歳が中学生のジャージを着て電車に乗っている・・・
どう考えてもおかしい。
無の状態の私は家にたどり着き、インターホンを押すと一番上の姉がでてきた。
出かける前の化粧中だった。
病院を無断で抜け出してきたことを伝えると、何かを叫びながら私の腕を引っ張った。
腕がもげるのではないかと思った。
それでも私は冷静で、なぜ姉はこんなにも怒っているんだろう?って思っていた。
しばらくして仕事から二番目の姉が帰宅した。
状況を知った姉は、病院に電話をしてくれてなんとか再入院してもらえるように頼んでくれたが、入院禁止になった。
当時の状況を二番目の姉に聞くと、病院に対してイラついていたという。
入院の受け入れ拒否に対して、「なんでわかってくれないんだろう?」「こっちも無理なんだよ」と。
全ては私のせいなんだが・・・
それでも当時の私は何も感じていなかったのだろう。
あまり記憶がない。
家にいる間も 「からあげ3人分作って3人分食べた」と母に電話したり、
過食をして不安定になったまま母親に電話して心配させた。
母が心配になり叔母に電話して様子をみにいってもらうよう伝えたが、叔母が来ても決して家には入れずひきこもった。
そんな毎日を繰り返し、とにかく不安定な日々が続いた。
そんな時、ふと何かのテレビで醤油を1リットル飲むと死ぬと見たことを思い出した。
私はキッチンの収納に入っている新しい醤油を取り出し、蓋をあけ、せんをとり、1リットルを飲み干した。
味は感じない。気持ち悪い。
急に恐怖が襲ってきた。
私、死ぬんだ。
怖くなった。
119番した。
外に出て、前の家のインターフォンを鳴らし、醤油を飲んでしまったことを伝えた。
そんなこと言われても困っただろう・・・。
前後の記憶は曖昧だ。
ただ気持ちが悪い。
しばらくして救急車が到着した。
救急車に乗り込む。
救急隊員の人が2人ほどいたが何を話したかは覚えていない。
ひたすら気持ちが悪い。
そして遠くで「受け入れ先がない」という言葉が聞こえた。
しばらく家の前で停車。
動かないまま救急車の中で嘔吐。
すると、 気持ち悪さは少しすっきりした。
二番目の姉が自転車で猛ダッシュして帰ってきたのが見えた。
救急車の中で全てを吐いた私はそのまま家の中に戻った。
その後の記憶はやはりない。
救急車側からみたらえらい迷惑な話だったと思う。
それでもその時はどうすることもできなかった。
その状況から逃げたかった。
しばらく醤油のにおいをかぐと気持ち悪くなった・・・
それからも私は毎日のように過食・嘔吐を繰り返した。
なんで私が?何で私だけ?私が何をしたの?
毎日食べて吐いての繰り返し。
車の前に飛び出そうとしてクラクションの音にビビりもどってきた。
歩道橋の上で飛び降りようとしていたら、近くの定時制の女の子たち数名に助けられ家まで連れて帰られた。
リストカットがやめられなかった。
自分を傷つけると気持ちが落ち着いた。
血を見ると落ち着いた。
過食がリセットされたような気になった。
『傷は前よりも深く』に囚われた。
回数を重ねるほど傷は深くなった。
カッターを左手首の傷にあて思い切り右手をひく。
さらに血がでる。
もう一度 もう一度
最後にもう一度
自分が納得いくまで右手を引き続けた。
ときに「ピリ」と電気が走るみたいな痛みがあった。
血がジンわりではなく、ピューと出てくることも。
妙な達成感と満足感。
傷があまりに深いときは病院にいった。
お金を払い消毒と縫合をしてもらう。
冷静になっている私は虚しさと恥ずかしさでいっぱいになる。
過食しては吐く毎日。
喉がズキズキ痛い。
口角は切れ、
左手の甲には吐きだこ。
朝から晩まで吐き続ける。
異常な音と異臭が漂う。
みんなが寝ても吐き続ける。
みんなが1階のリビングにいるときは2階のトイレで、みんなが2階の寝室で寝たあとは、1階のトイレで、なるべく音をたてないように吐き続けた。
毎日過食・嘔吐。
昔の私は何でもできた。なのに今の私には何もない。
ただつらいだけ。生きていても何も楽しいことなんてない。
この頃の私はとくに自暴自棄になっていた。
毎日食料を買っていた100均の前で手首を切った。
その傷はかなり深く、どうすることもできず母親に電話。
母親と一緒に深夜病院へ。
されるがままに処置を受け、処置が終わったら帰る。
意識が朦朧としていた。
足元がフラフラしてうまく歩けない。
貧血だ。
フラフラの私を支えながら歩くのは、母親には相当きつかっただろう。
何とか自宅に到着し、そのまま死んだように眠った。
その後病院に行き、漫画でしか見たことないような特大の注射器で鉄を注入された。
いまだにあれはいったい何だったんだろう?と思うが当時は何の興味もなかった。
自分なんてどうなってもいい。ただただそう思っていた。
これは後から知ったはなしだが、私がリスカをした100均の前を母は夜中に
掃除したらしい。
血でよごれた場所をタオルでふき、血が付いたジャージを洗う母はどんな気持ちだっただろう?
たぶん私には想像もできないほど苦しかったと思う。
今は胸がぎゅーってなる。
そしてこうやって文章にして思うことは、どれだけ周りに迷惑をかけたんだ・・ってこと。
でも、当時はどうすることもできない自分がいた。
もしかしたら方法はいっぱいあったのかもしれない。それでも当時の私は、ただひたすら目の前の現状から逃るのに必死だった。
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