ボーダーの私が『普通』になるまでの物語⑥

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【22歳 ひきこもり生活ふたたび】


3度目の入院を終えた私は自宅に戻った。

母親は専業主婦なので毎日家にいる。

ずっといる。

私の気持ちは揺さぶられ続けた。


「なんで私なの?」

「なんで私を生んだの?」

「何で私がこんな目にあわないといけないの?」


「死にたい、死にたい、死にたい」


母親に向けて発した。


また死にたい病が勃発していた・・・

 

父親の分まで全てを母親に向けた。


全てを吐き捨てたあと、急な罪悪感と不安が襲ってくる。


そんなことを繰り返していたある日、

母親が言った。

「じゃあ、一緒に死のう」

 

ぐちゃぐちゃな感情がこみあげてきた。


その感情が何なのかわからず、とにかくイラついた。


怖くなった。



いつの間にか母親に抱きしめられながら泣いていた。


私はこの時期一生分の涙を使い果たしたんじゃないかと思うほど毎日毎日泣いていた。


泣いても泣いても涙が出なくなることはない。

 

 

そんなひきこもり生活が約1年続いた。


その間いくつかの病院に通院もした。

 

カウンセリング

認知行動療法

対人関係療法

サプリメント など

 

いろいろ試したがどれも続かない。

すぐに効果が出るものではないのだろうけど、毎回その場所に行くことが続かない、お金が続かない、気持ちが続かない。


自分はダメだ、、、

自分は意志が弱い。

自分は頑張れない。


結局自己嫌悪に陥る。

 

ひきこもり生活はかなりひどいものだった。

 

 

朝起きて朝の情報番組を見て、笑っていいともを見て、昼ドラをみて、2時間サスペンスをみたらもう夕方。

 

途中で一度でも過食スイッチが入ったらその後は過食嘔吐の繰り返しだ。

365日の中で過食しない日の方が少ない。


それでも痩せたいから家の中でできる運動をよくしていた。

サウナスーツを着込んで、ロデオボーイ、バランスボール、足踏みのやつ、、、いろいろやった。

自分の中でいい感じに過ごせたと思っても、少しのきっかけですぐに過食。

1日2日過食しないでいられる日が続くと、このまま治るかもとまた期待する。

でもすぐに過食。期待しては裏切られる。


もう絶対食べない!と決める。

しばらくは大丈夫。

その後・・・

過食

自己嫌悪

自傷

 

このサイクルはしばらく続いた。

 

私はお風呂に入るのも嫌いだった。

単純に面倒くさいのと、自分の体を鏡で見ることが嫌だった。

醜い自分を見るのが嫌だった。

お風呂は1週間くらい入らないこともあった。

姉からはよく「プーちゃんの匂いがする」と言われていた、、


こんなにもお風呂に入らなくても大丈夫なのに変なところでは潔癖だった。

調子がよくお風呂に入ったときは、ベットの一式を全て交換。

部屋のあらゆるところを除菌した。

 

私の潔癖は強迫的なものだった。

 

何度も何度も手を洗ってしまう。

床に落ちている小さなごみ、髪の毛一本を拾っただけでも手を洗わずにはいられない。

何度も何度も手を洗うので、特に冬は手荒れがひどかった。

一番ひどいときは、手が荒れすぎて指が開かない状態にまでなっていた。

ハンドソープはすぐに無くなった。

私の潔癖は気持ちの問題が大きかったので、ハンドソープは水で薄めて、除菌シートはアルコールが入っていない赤ちゃんのおしりふきを使うようになった。


経済的にも手荒れ的にもこれは良い方法だった。


今でも若干の潔癖は残っている。

ただ、日常生活に支障がでるようなものではなく、手荒れもない。

私は全ての心の病において、日常生活に支障をきたさない程度であれば問題ないと思っている。

あとは自分がどう付き合っていくか。どう向き合っていくか。



ひきこもり生活では寝ることも一苦労だった。

寝る前に10錠ほどの薬を飲むが寝付けない。

 

食べないと寝られない。

寝られないとイライラして食べる。


満腹な状態でで寝ないと朝は4時5時には起きてしまう。

眠くてイライラしてまた食べる。


この頃の体重は60キロくらいあっただろう。

ちなみに私の身長は149cmなので、かなりぽっちゃりだ。

 

本気で脂肪吸引も考えた。

元の体型になればやり直せる。

全てがリセットされる。

今の体型だからストレスがたまり過食しちゃうんだ・・・。

体型さえ元に戻ればこの地獄から抜け出せるはず。

当時の私は本気でリセットできると思っていた。

でもこの病気は心の病気だから、きっと見た目だけ良くなっても根本的には治らない。。

 

今の自分を受け入れ、認めることがまずは必要だった。

 

 

 【カウンセリングと心の成長】

私はカウンセリングとういものが続かなかった。

通うのも面倒くさいし、お金も高い。

話をして何が変わるんだろう?話しても結局過食は良くならない。



ただ、私が最後にカウンセリングを受けた女性の先生がとても印象的だった。


見た目は若くて、少しギャルっぽい雰囲気。でも不思議と話をしていて落ち着く。


その先生の言葉はすんなり私に入ってきた。


ある程度私の状態も安定してきていたのかもしれないが、この先生とのカウンセリングはしばらく続くこととなった。

 

この頃から少しずつ散歩をするようになった。

でも誰かに会ったらどうしようと不安から、ジャージを着て、マスクと帽子着用し完全防備で出かけた。


それでも途中で、誰かに気づかれるんじゃないか、何か笑われているんじゃないかなど、どうしようもない気持ちになることも多かった。

そんな時は目的地にたどりつけず家に戻ってきた。

 

母にダメだったと報告・・・。

母は「そう」と受け入れてくれた。

 

 

家で家事アルバイトもした。

 

トイレ掃除1回・・〇円

料理・・・

洗濯・・・

掃除機・・・


 

本当に少しずつだけど今の自分にできることをやっていった。

それでもうまくいかないこともある。

 

前に進んだと思ったらまた振り出しに戻る。

 

その度に、自分はもうダメなんじゃないか。

どうせ自分はダメだと落ち込み傷ついた。


でもそんなことをあまりにも繰り返しているうちに、

少しでもうまくいけばこのまま良くなるかも」

と期待していた自分から、

少しうまくいったけどこのままずっとうまくいくわけじゃない。も振り出しに戻るわけでもない」

という考えに変わった。


この考え方が良いかはわからない。

ただ、良い状態もそうでない状態も一生続くことはない。


波の頻度が減ったり波の大きさが小さくなったり、

うまくいかなかった時の対処法がわかる自分になったり、

このひきこもり生活の中で、少しずつ自分の考え方や心が成長していった。

 

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ボーダーの私が『普通』になるまでの物語⑦

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