日本の野球は監督の権限が強すぎる 2

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戦前、野球は、特に高校野球はエンタメそのものだった…この事実はほとんど知られていない。

アメリカから紹介された野球、あの正岡子規も熱中したほどに、若者の心をつかんではなさず、そして、他に娯楽らしいものもなかった時代、野球熱はグングン上昇した。
日本初の野球部が作られたとされる東大でも、学生たちは勉学を、ほっぽらかしにして野球に熱中した。日本初の野球部、県内初の野球部って諸説あるけど、どれもその地のナンバーワンの頭の良い学校の野球部が、その地の初の野球部だったりする。その賢い子たちが野球なんて遊びにふけってるものだから、世の大人たちはけしからんっ!てなったわけだ。
おまけに、出来たばかりの新聞各社や、がその野球人気をほっとくわけもなく、各社主催の高校野球大会の全国大会が開催された。しかも、現在の、春夏の甲子園大会のみならず、年間で10回以上もの全国大会が開催された。さらに、電鉄会社などの営利企業が主催者に加わり、驚くべきことに甲子園球場を使って春夏以外の甲子園大会が開催されていた。
このように完全に商業目的のエンタメ化した高校野球で、その野球部の生徒は、休日のみならず、平日でも授業に出ることなく大会に参加した。

この事態に待ったをかけるべく、国が動いた。そこで出されたのが、昭和7年の、いわゆる野球統制令である。
正式には野球ノ統制並施行二関スル件
文部省からの正式な訓令だ。
これには、野球関係者は焦った。野球を禁止されたらかなわんと、そこで、いや野球は遊びではなく、青少年健全育成のための教育なんですよ、と、一気に「教育」の方向へと舵を切り、大雑把に言えば、自制手段としていわゆる高野連、日本野球協会などの組織を作っていく…
このように野球を守るための方便として、野球は一気に「教育」コンテンツ化していくのだ。そして、その先には、もっと怖い、国によるマインド操作が待っていた。

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