偏差値27.5からの大学合格 その4

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浪人生活はじまりはじまり。
 代ゼミ本科生となって選んだのは「私大文系コース」。
 同じく浪人した同級生が「選抜コース」「早慶上智コース」などに籍をおいて上を目指す中、私は、選抜試験もなく申込順で入れる「私大文系コース」にした。
 高校2年生頃から、勉強がわからない、問題が解けない、授業についてゆけない、の三重苦にいた私は、基礎から、一番わかりやすいところからやるべ。と思っていた。
 
 校舎は代々木ゼミナール原宿校。
 教室は6階。毎朝階段で昇る。
 初日は、補助椅子まで出て満員だった教室が、5月の連休明けにはゆったりと座れる。
 おそるべし「私大文系コース」。
 
 当時の予備校にクラスだのHRなどはない。ただ当時から駿台予備校はクラスを設け、担任がいて、生徒は座席が決まっていて、出席もとりHRもあったらしい。
 私は自分のペースで勉強をしたい方である。前い座るのもいや。
 まして当てられる授業はごめんである。
 そういう人間に代々木ゼミナールは最適であった。
(ただし、依存心の強い人間は、自主性を尊重する代ゼミからは脱落してゆくことになる。そういう人は駿台予備校に行った方がよかっただろう)。
 とはいえ、私もなかなかペースがつかめなかった。
 授業は午前中で終わる。
 最初はそのまま帰宅して自宅で勉強しようとした。が、集中できない。
 腹痛で授業を中抜けすることもあった。
 そのまま隣の東郷神社でぼーっと時間を過ごす。
 授業にでなければ「わからない苦しみ」を味わうこともない。
 原宿校は、JR原宿駅竹下通り口を出たところにある。
 タレントショップなどで原宿竹下通りがにぎわい始めた頃である。喫茶店もたくさんある。表参道も含め緑が多く散歩するだけで飽きない癒される町である。
 帰り道は、新宿駅で降りて紀伊国屋書店に寄る。
 どういうものか、浪人前半はたくさん本を読んだ。
 高校時代、読んでも面白いと思えなかった小説、いわゆる名作、古典を読み、胸が痛くなるような感動をおぼえた。
 堀辰雄、伊藤左千夫、川端康成、三島由紀夫などをむさぼり読んでいた。
 そうこうしているうちに、夏期講習の申込みが始まる季節になった。

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