省エネ転じて福となす 3.1.3 継 続

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 過去に会得した技術、能力、経験などを全く無駄にするのは実にもったいないし、私にはできないことです。古きを大切にして新しいことに生かすことが大切です。すなわち、各人の持つ中心的な技能、能力、知識を継続的に新しいものに継続的に応用、適用することが大切です。その中心的な技能、能力、知識も最初の段階は継続的な努力によって会得したものであり、だからこそ更に継続的に大切にしなければならないのです。

 私の場合、コア(中心、核)となるものは今でも英語力だと思っています。この英語力を身につけ、維持するためも努力(自分で言うのは恥ずかしいですが)は今も続いていますし、将来も続けなければいけません。この英語に関することは後の「努力」という項目で触れます。

 さて、継続という話題に立ち戻りますと、私には先述したように1996年からのFMラジオ、1999年からのケーブルテレビでの番組制作放送というマスメディアでの仕事があります。社是のひとつとして「地域への貢献」があり、この方針に従ったものです。まず、1996年(平成8年)8月8日に開局した隣町のFM福山でビジネス番組(備後100万人のビジネスネットワーク及びワールドステージ)の制作放送を約3年継続しました。この番組放送の終盤の1999年(平成11年)1月から数ヶ月は尾道FM放送開局ための準備室長を勤めました。そして同年のしまなみ海道開通に合わせた尾道FM放送開局から2000(平成12年)年5月までの1年間を局長として勤めました。この間、1998年(平成11年)年から現在2005年(平成14年)まで尾道ケーブルテレビ(OCTV)での番組制作放送に関与させていただき、「会社訪問」、「クローズアップ情報」という地域の生産現場を訪問して取材放送しています。後者はメディアミックス番組で2002年(平成14年)4月からは日刊工業新聞社福山支局及び西本直幸支局長のご支援、ご協力を得て番組を制作放送しています。要するに異質の分野「メディア」に地域貢献という目的で参画し、色々と変化を伴いながらそれを継続しているわけです。

 番組放送というと昨今の広告媒体の多様化、不景気による広告量(料)の減少、そしてデジタル化への移行と大変な時期です。しかし、ここにおいても地域情報発信継続が一定の重要な意味を持つとすれば、いかに継続維持するかを全員が真剣に考えなければ継続中止、番組制作放送中止に追い込まれます。いくら私自身の本業ではないといっても長くお世話になっている局への恩返しとしても利益を生みながら継続するのために真剣に取り組んでいます。

 更に継続という話を継続しますが、2002年という年は日本人がノーベル賞をダブル受賞した年です。ダブル受賞は2002という数字と関係があるのかもしれません・・・・。まあ、その勝手な推測は別として、ノーベル賞物理学賞受賞者はご存知の通り東京大学名誉教授の小柴氏、ノーベル賞化学賞受賞者は島津製作所のサラリーマン研究者(受賞発表時)の田中氏です。両氏は受賞決定後の会見の中でしばしば夢、夢を持て、ということを言われていました。これは夢、目的意識を持ち続ければ夢の実現に近づくことができる、ということを示唆されているのでしょう。

特に田中氏の受賞は応用研究、製品化研究でもノーベル賞受賞が可能であり、企業内研究でもノーベル賞がいただける、研究一筋の生活も日が当たる、ということで技術屋の私にも興味が大きく沸きました。多くの田中ファン同様に私は田中さん関連の新聞記事、テレビニュースや報道を大きな関心を持って見ました。記事の切り抜きや番組録画もしました。

お二方とも世の中のためになる、夢を持ち続ける、コツコツと日々の作業を積み重ねる、失敗を恐れない、非常識に挑戦する、など多くのことを教えて下さっています。

私との比較で恐縮ですが、私も地球環境保全、エネルギー資源保護のために待機消費電力を大型原子力発電所一基分、100万キロワットを削減するという大きな夢を待ち、節電虫(益虫)を開発しました。この節電虫(益虫)はモニター中、すなわち通常ならずっと待機消費電力を消費し続けているファクシミリに送信と受信時のみ電源スイッチを入れるようにモニターしている間は何故か電力消費がゼロという非常識な技術です。これを世の中に提案して2005年6月で11年の歳月が流れました。

しかし、この技術は必ず日本だけでなく、世界中で役立つはずだし、役立たせるという強い意志でこの11年を乗り切ってきました。「しつこく、まじめに、ゆっくりと、無駄でリスキーなお金をかけずに」をモットーにここまできました。ここまでしつこく粘れるのはやはり小さい頃の実体験があるからだと思います。

待機消費電力というのは利便性を考えた場合は必要な無駄である、必要悪である、という考えがあります。体の不自由な方々には確かにその意味は大きいし、必要な無駄というより必要不可欠なエネルギー使用と考えられます。

しかし、身体的に何の不自由もない人間にとっての利便性はどこまでが利便でどこまでが横着なのでしょうか。これは意見の分かれるところです。仮に横着を押し通すために限りある地球資源、エネルギーが消費されるならそれは後世の子孫にとっては悲劇です。将来を考えない、子孫のことを考えない生活は利己主義以外のなにものでもありません。考え直す必要があります。


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