省エネ転じて福となす 3.2.1 お金と解決策

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 精神的な貧しさは別として、お金で解決できることが世の中に多くあることは私も知っています。それを否定するものではありません。

 しかし、事業の開始、維持、発展においてお金を頼り過ぎるとそのツケがきます。1990年のバブル経済の崩壊、それ以降から現在に至る大企業の倒産、銀行の不良債権、デフレ時代の到来がその例で私たちはよい勉強をしています。

 中小企業にはいつの時代も自由にできるお金はありません。無いお金に工夫して着実に仕事をこなし、経営する会社が徐々にそれなりの規模になり、社会的にも認められてゆくようになるのです。

私は小さな力の個人が新規事業を開始する時に以下のようなことに注意しなければいけないと思っています。さもないと、大きな危険性を抱え込み、社会にも大きな迷惑をかけることになると私は思っています。

1.金(借金)、物(設備)、人(他人)に頼らない:利益を上げる努力よりも出費しない努力の方が大切です。金で物事の解決を計らないことです。資本金といっても他人様からの借金であることに違いはありません。お金ばかりでなく、何かを始めるときに物(設備)、人(他人)に頼る船出には大きなリスクを伴います。起業が必要な時代だからといって無責任に起業用の資金や設備貸与などを私は奨めることはできません。自分で責任のとれる範囲、身の丈にあったレベル、日銭を稼げる仕事から出発しましょう。できなければ時期尚早なのです。力不足なのです。なお、借金には自身の退職金の流用も含まれると考える人もいます。しかし、退職金は生計を共にする人たち、家族の共有財産です。独断で、一人で使用してはいけません。まして、これからは高齢化社会、年金制度不安定時代です。退職金を早く切り崩して若い世代に無用な負担を強いるようなことはしてはいけません。

2.過去の経験・知識・財産を生かす:過去の経験・知識・財産を生かせないような新規事業は始めないほうがよいでしょう。人にはそれぞれ経験・知識・財産があり、それらを組み合わせたり、再利用したり、交換すれば金(借金)、物(設備)、人(他人)の面でリスクの少ない事業開始が可能です。もし不可能なら時期尚早か経験・知識・財産不足と言うことでしょう。起業の開始時期を遅らせた方が良いでしょう。あるいは開始しないほうがよいでしょう。

3.準備には最低数年をかける:拙速はしないことです。第三者の立場に立ってよく計画を吟味することです。規模の大小にかかわらず同じ仕事、事業が永遠であることはほとんどありません。一つの事業がうまくいっている時にこそ、次の事業を選定しその準備を始めなければいけません。そして、小さな力の個人が起業するためにはその準備に最低数年、できれば5年以上がかかることを覚悟しましょう。一年や数ヶ月でできる準備もあるでしょうが、それは誰でもできる仕事で、競争率も高いということでもあり、新規事業としての価値は低いかもしれません。

4.広告にはお金をかけない:先に述べましたように中小企業には自由にできるお金はありません。まして新規事業の成功率は大変低いものです。そのPRに虎の子のお金を使うことは自殺行為です。事業を開始する心準備のある人なら準備期間からメディアとの接触を始めて、そこに人脈を構築するのも大切な準備作業の一つです。マスメディアは読み、聞き、見るものであると同時に紹介報道してもらうものでもあります。中小企業はすべてのことを自分でやらなければなりません。それを苦しいと思う人は起業しないようがよいでしょう。むしろ、それらの広範囲な仕事を楽しむ態度、余裕が必要でしょう。

5.ネットワークを活用する:事業内容の検討は市町村レベル、県レベル、国レベルで無料相談できる場所や機会は多くなっていますので、おおいに活用できます。しかし、事業準備や広告などにお金をかけられない実情がありますから人的なネットワークもとても大切になります。異業種交流、メールリンクなどに積極的に参加して自分にあった異業種交流、MLグループを新規事業立ち上げ前に構築しておくことも大切です。まちがえても退職した元の会社を当てにするとか、会社時代の人脈に相談するなどということはしないことです。一時的な効果はあっても長続きはしません。組織の人間関係は組織内でしか通用しないと考えましょう。退職後いつまでも当てにされる側の気持ちも考えて下さい。

6.ニッチで社会性のある製品やサービス:新しい仕事の内容は時流にのったもの、タイムリーなもの、価格競争力のあるもの、オリジナリティーのある資格、商品などがキーワードかもしれません。これらは実際にビジネスをしたことのないコンサルタントや評論家がさもわかったように口に出すものです。もっと大切なことは社会性のある内容の仕事、周到な準備、諦めない根性、そしてまず数年分の日銭を稼げる体制を作ることです。それでも開始後3年時点で赤字続き、メドがつかなければいさぎよく中止することが必要です。

私は退職直後の1976年9月、自己研鑽と能力確認のためにアメリカの大学に短期語学留学しました。そして1977年4月に中学生、高校生を対象とした英語塾を開きました。表現は適当でないかもしれませんが、日銭を稼ぎながら、第二次ベビーブームのおかげで3年後の1980年には黒字体制にメドをつけることができました。この時、同時に企業を対象とした技術翻訳と通訳の仕事を始めていました。そして更に4年後の1984年には借入金で自社ビル兼貸ビルを建築し、10年で借入金を完済しました。バブル経済崩壊の影響が著しくなり始めた1995年には無借金経営体制を確立し、今日に至っています。


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