沖縄の高校生の学力って誤解されているような気がする(13)

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13、良い大学に入ると、選択肢が増える、可能性が広がるというアドバイス

 

 それは、その通りです(笑)。

 現実に、国立大学と言っても、旧帝大系、旧制高校系の大学と、それ以外の大学とでは、「研究費」が「一桁違う」と言われています。研究費は、研究の量・質に直結します。そういう意味で、良い大学に入ることはとても重要です。

 一方で、自分が学びたい学問分野について専門の研究者がいるかどうかも重要です。

 例えばですが、アンデス考古学(ナスカの地上絵など)の専門家は、「Y大学」にいるわけで…。

高校生の学力が「Y大学ではもったいないレベル」である一方で、「アンデス考古学を学びたい、Yのこの教授に学びたい」と主張する場合どうするか・・・ということです。 

1、旧帝大系+難関私大で、同様の研究をしている大学・研究者を探させる。

2、とにかくY大学への進学は反対し、偏差値の高い大学への進学を勧める

3、高校生の希望を認める一方で、その高校生のことを・・・

 

というわけで、いずれ積極的な肯定にはならないんですね。

ただ、それがいけないわけではありません。熱しやすく冷めやすい高校には、客観的に見直すことも必要ですし、希望する大学へ進むことへのメリット・デメリット、リスクまで考えさせることは重要です。 

 さらに言えば、専門の研究者にも有名・無名があるわけで、一般的な知名度だけで飛びつくのではなく、その学問の世界での評価なども含めて考える時間は必要だと思います。

 

 そういった「改めて自己と向き合うことを導く」「自己のキャリアを客観的に見直す」こと、つまり「内省」の方向にすすめる必要はあると思います。

しかし現実は「偏差値という価値観で否定する」のですね。


 

 ただ、ここで高校生の価値観を確認しておきたいのです。

 例えばですが、都道府県のトップ校に在籍している高校生ほど、自分の将来に必要な学びを求めます。

 そして、偏差値的な価値には拘泥しません。

 パターンは大きく二つあります。

 自分の求める学びのために、能力ではもったいないような大学に進んだとします。しかし、彼は自分の目的がはっきりしているので、その大学でも学びを継続して行います。

 もう一つは、自分の学力と学びたいことの接点から大学を決めます。その場合、彼は自分の求める学びを、学外に求めます。学会への参加、他大学のゼミへの参加などで、行きたかった大学の教授との関係性を構築し、学びを進めていきます。

 

 というわけで、いろんな選択肢があるんですね。

 良い大学に入ると選択肢や可能性が広がることは事実です。

 ただ、良い大学に入るという段階で「偏差値」という選択肢・可能性しかない・・・というのは、何か、矛盾を感じるのです。 

 

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