節電虫の誕生 4.4 COP3(地球温暖化防止・京都会議) 4.4.1 朝日新聞からの電話、取材、報道
世界各国の首脳が集まって、「持続可能な開発」のスローガンの元に地球環境の危機に立ち向かう姿勢を示した「地球サミット」(国連環境開発会議)が行われたのが1992年でした。しかし、その後、熱帯雨林の破壊や地球規模の酸性雨被害、そして開発途上国の都市部環境は深刻さを増しています。
地球規模の危機は地球温暖化にも典型的に見られます。地球温暖化の原因である二酸化炭素の規制目標を定めるために1997年12月に気候変動枠組み条約に関する第三回締約国会議である地球温暖化防止・京都会議(COP3)が開かれました。その後2000年にはCOP6としてオランダのハーグで開催され、この地球温暖化防止会議は回を重ねています。
1997年12月の地球温暖化防止・京都会議(COP3)をおよそ半年後にひかえた5月中旬に朝日新聞大阪本社、社会部記者の磯田晴久氏から私の会社の訪問取材を希望する旨の一本の電話をいただきました。
磯田記者の訪問取材目的は私の小さな個人会社が開発し、前述の通り、この年1997年1月29日に大手家電メーカーと並んで(財)省エネルギーセンター会長賞を受賞した節電虫(益虫)とその開発思想や背景を私から聞き出すことでした。
約一週間後の5月22日に私は磯田記者の質問に答える形で、
① 節電虫(益虫)の試作開発の時間的な経緯、
② ファックスをはじめとする通信機器の一日24時間の待機消費電力消費に対する考え方
③ 私自身の経歴、
④ ファックスの待機消費電力カットテストの結果、
⑤ 省エネルギーを実効あるものにするための考え方
などを2時間ほど私の事務所でお話ししました。
朝日新聞社ではこの私へのインタビュー取材を含めて広範囲な分野の団体や個人からのインタビューと詳細な調査結果を、1997年12月の地球温暖化防止・京都会議(COP3)に向けて、西日本では6月19日、東日本では6月22日に「エネルギー・環境特集」として全4ページにわたり掲載しました。
この時の朝日新聞報道特集のタイトルは「エネルギー飽食列島」で、サブタイトルが「車社会とのつき合いは?」、「電気の上手な使い方は?」、「CO2排出を減らすには」でした。現在の私たちのエネルギー消費姿勢への鋭い警笛でした。
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