経歴-中学・高校

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完全に「性同一性障害」であると自覚し、性転換するまでは友達も作れまいと思い、勉強に専念する。対人関係はその場限りで適当に済ませるため、友達と呼べる人間はいない。
教科書を読んだり予習することが難しかったため、復習に力を入れ、参考書ではなくラジオ講座を利用する。
すでに就職などの正規の進路の意思はほとんどなく、起業と作家活動の二択に絞る。
理系の中高一貫校であったため、不得意な面が目立たすに過ごすことができた。
読書などの文字を読むことが苦手なことは自覚していた。
複雑な人間関係などが理解できないのは「理系だから」と納得していたし、短絡的な物言いで反感を買う人が少なかった。(理系の学校であったからと考える)
自分が発達障害との自覚がないため、「世の中は不便なことがまだまだ多いから、それを変える仕事がしたい」などと、少々ズレた将来設計をしていた(実際は、発達障害だから不便に感じるだけである)
「ジェンダーの転換」を人生の絶対の目標として掲げ、昼食代を全て貯金する。父親は「勝手にしなさい」と言い、母親は「最大の親不孝だ」と言ったため、18になり次第一人で精神科に行くことを決意する。就職しないことも親に反対される恐れがあったため、親の目の届かない地方の大学に入学する(国立しか駄目だと言ったので猛勉強する)。違和感を追及せず、発達障害を性同一性障害と混同し、ひたすらに「ジェンダーの転換」に妄執し、固執し、依存し、それだけを人生の生きる目標と捉え、それのみが自分の問題だと捉え、どんな努力を厭わず、未来に希望を持っていた。
父も発達障害であったため、忖度をしないことやひとつのことにこだわること等は「美学」として捉えていた。多少の不自由は、「天才の代償である」という認識があった。何かがおかしい事は薄々感じていたが、人との交流を断っていたために表に出ることがなかった。
小学校の友達のことが忘れられず、大学で再び会いたいと熱望することにより自尊心が過剰になる。
元々専門学校へ進学する希望であったが、父の命令により「大学進学」をすることに。父の「大学で勉強したことなんか就職したら使わないんだからどこ行ったって同じ」という言葉を真に受け、大した進路選択もせず、単純に京都なら学べることが多そうだという理由で大学を選択する。

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