第5章 節電虫(益虫)の両親 5.2.1 自作タイマー
東洋紡績(株)に入社する前の段階、1964年以前、今から40年ほど前にまでさかのぼりますと、今回の節電虫(益虫)の開発に多少なりとも縁がありそうなことをしていたのです。
それは高校1年生の時、1962年のタイマー製作でした。
私は高校生の時はいわゆる「朝型」人間でした。夜9時には就寝し、朝の4時、5時に起床する根性(?)はありました。
当時は家での娯楽といえば一般に出回り始めた白黒テレビでした。家族それぞれに仕事がありますし、特に母親は朝早く起きて父親や私たち子供の弁当を作り、家族の朝ご飯の支度をするために朝は早く、遅くとも5時、6時には起きなければなりません。そのためには、今のように夜遅くまでテレビを見るという生活パターンではありませんでした。
私は地元尾道市の学校ではなく隣町の福山の工業高校に通学しており、朝の7時には家を出て行く毎日でした。そして、当時1960年代初めは尾道市と福山市の間を走る電車(汽車と言った方がいいかもしれません)も数が多くなく、学校から帰る時間も一列車乗り遅れると夜の7時を回る状態でした。このような通学状況ですから少し勉強するにも夜は疲れていて何ともなりませんので、早寝早起きの習慣が身についたのでしょう。朝の4時、5時に目をさます生活パターンになっていましたが、若いですから自然に目をさますことは決して容易ではなく、目をさますこと自体にはきっかけが必要でした。目さまし時計です。
目さまし時計を4時、5時にセットするのですが、夏以外は外も暗く、目さまし時計があっても目をさますことは易しいことではありませんでした。そこで、目さまし時計が鳴ったら必ず目を覚ますことができる方法はないかと思案したのです。
そこで、考えついたことが、目さまし時計が鳴ると同時に枕元を電灯で明るくするということでした。1960年代初期の目さまし時計にはタイマーの機能はありませんでした。私は何とかならないかと、先ず目さまし時計を分解して、電灯のスイッチに使える物理的な運動をしている箇所はないか、注意深く観察しました。
すると、ベルが鳴る時にだけ動作する箇所があるではありませんか(当たり前ですが)。そこに電気配線をほどこし、枕元の電灯に接続することで、目さまし時計が鳴ると同時に電灯が点灯するという自作の目さましタイマーを完成させたのでした。
完成したとは言っても、電気絶縁状態が完全ではなく、目さまし時計の金属部分に触ると感電することもあるという代物でした。しかし、これも愛嬌です。感電するとかえってビックリしてよく目がさめたものでした。
このタイプの目さましタイマー電灯は東洋紡に入社してからも作った記憶がありますが、いずれにしても、この①自作経験、②工夫経験、③目の前の動作をよく観察する、というクセが「省エネ大賞・省エネルギーセンター会長賞」をも受賞した節電虫(益虫)開発の原点のような気がします。要するに注意深い観察力と目的意識があれば素人でも何かが出来上がるということです。
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