第5章 節電虫(益虫)の両親  5.2.2 シルク

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私自身を化学屋&英語屋とご紹介しましたが、化学屋の顔で忘れられないのは東洋紡高槻加工技術研究所時代に取り扱ったシノンという繊維です。

シノンは東洋紡(株)の堅田研究所で生まれたシルクに最も近い風合いや特性を持つ合成繊維です。現在でも繊維、衣料、毛糸・編物などを扱っている店で見かけますのでずっと生産されているはずです。

シノンは構造、組成的にはアクリル繊維にミルク蛋白をグラフト重合させたものです。

世界で初めて商業規模でミルク蛋白をアクリル繊維にグラフト重合させることに成功し、天然のシルクに非常に近い性質をもつ繊維として君臨(?)していました。

私が社命で京都工芸繊維大学に通っていた期間を除いて、その前後数年間もの間に研究所の業務として扱わせていただいた繊維がこのシノンでした。用途は和服用、洋服用といずれも可能でしたが、試験や、研究の時には常に天然のシルクを比較材料にしていましたので、自然にシルクの性質、良さ、なども私自身の知識として修得できていました。

このことが独立後20年近く経た1994年、1996年の2回にわたって中国・四川省へのシルク加工現地技術指導の基礎になりました。もちろん、この2回の中国での現地技術指導には東洋紡で同僚だったS.O.氏からいただいたシルク加工の最新情報、アドバイスなどが大いに役立ったことは言うまでもありません。

ここでも友人の大切さ、人的ネットワークの大切さが認識しました。いったん会社を辞めるとその縁が全く切れる場合も多いかと思いますが、人生の展開には過去の経験をできるだけ大切にしてそれを生かすことが必要です。ここで間違ってはいけないことはあくまで経験を大切に生かすことであり、元の会社の人脈を頼る仕事をしてはいけないということです。退職した人に仕事で頼られるのは大変嫌なことです。

私の場合は1970年代の繊維産業を襲った業務再構築、リストラによる円満退社でしたが、東洋紡績株式会社には国内留学による大学での勉強の機会をいただいた上に、仕事の仕方、社内外の人々とのつき合い方など幅広く多くのことを教わりました。そして、それが独立後の今日まで大変役立っています。

私は退職後30年近くを経過した現在でも、私を育ててくれた東洋紡(株)と同僚や先輩、後輩と事あるごとにつき合わせていただいています。懐が深く大きな会社である東洋紡績株式会社に大いに感謝しています。

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