第5章 節電虫(益虫)の両親 5.2.4 翻訳・通訳・国際ビジネス企画支援
塾ビジネスの着実な発展を基礎として本来希望していた翻訳通訳ビジネスにも照準を合わせて、少量の翻訳にも丁寧に対応しました。色々な会社に出入りさせていただきながら大人の人的ネットワークを構築してゆきました。
1990年にはフィリピンへの海外進出を希望している会社社長に遭遇し、それまでの1980年代の10年間で私がフィリピンとの間に培ってきた人脈を活用して、セブ島に木工会社の工場を1992年にスタートさせることができました。
毎月、この会社の社長とフィリピンに飛び、現地会社の設立、用地買収、工場・事務所の建設、生産設備の搬入と設置など一連のすべての作業に2年を費やしました。現地訪問回数は約50回にもなりました。この海外事業支援の仕事だけで詳述すれば一冊の本ができるかもしれません。
人的ネットワークは国内だけに限りません。インターネットなどの普及によりある意味では国境は有名無実化し、国際語としての英語は交渉道具としてその重要性を増し、パソコンもビジネスや生活を多方面から支える道具として使えない人は窮屈な思いをしなければならなくなっています。
この仕事で効力を発揮したフィリピンとの人脈ネットワークはビジネスや利益などを全く考慮しないアマチュア無線で1980年から10年ほどの歳月をかけてのつき合いから出来上がったものでした。最初から“ビジネスありき”ではうまくゆかなかったかもしれません。お互いに私利私欲のないところから出発する人脈関係もまた大切です。
なお、アマチュア無線は私の趣味の一つで、現在はインターネット時代とはいえ、2000年くらいまでは時間があれば海外の友人との対話を楽しんでいました。
写真データ、写真資料は以下のサイトを参照下さい。
著者のKarl Kamamotoさんに人生相談を申込む
著者のKarl Kamamotoさんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます