第5章 節電虫(益虫)の両親 5.5 父親(節電虫開発者)の横顔(2);なんでも屋
節電虫(益虫)の開発者となった私が節電虫(益虫)の開発以前は化学、英語を使って仕事をしていたということは前述しました。極小企業の気楽さ(?)と多趣味な人間性が相まって、私は節電虫(益虫)開発以降も持ち込まれる色々な種類の仕事に手を染めてゆきました。例えば、英検の面接試験委員、文化教室や学校の英会話講師、大学の非常勤講師、広島県の技術アドバイザー、ジェトロのアドバイザー、ラジオのパーソナリティーやテレビのキャスターなどです。(https://1drv.ms/b/s!Ai_aaa4f_vZzgYQ0hIKr7zbaJuZgDQ)
しかし、受け入れたすべての仕事を永続的に続けることは不可能です。原則は「なるべく断らないこと」、「期限を設定して始めること」、そして「上手に、相手と自分に損害を与えず辞めること」です。現在(2005年当時)は流行(?)の産学官連携による「電話deロック」の開発を行っています。この開発事業は株式会社功機、KYオープンのご協力、広島県東部工業技術センターのご支援をいただき、広島県産業創生補助金採択事業として2006年3月末日完了予定(当時)です。
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