地震。東日本大震災で失ったもの。学んだこと。

前話: 99パーセント大丈夫でも100パーセントになるまで油断するな!#clubhouse #Twitter
次話: 魂まで売らない。ついていく人を選び、友人を選び、恋人を選び、付き合う人をCHOICEしていくことで、自信がつくし足も救われない。

  今日、余震。 

また震源地が福島県。

あの日の悪夢を思い出す。

 震災の日
私は田園都市線の駒澤大学駅付近にある歯医者にいた。

 バイトで。(元歯科衛生士)
メインの歯医者は葛西。
そのとき住んでいたのは浦安駅。
だから、地震が起きたとき、私は歯医者で患者さんの治療をしていて、揺れたと同時に患者さんも院長も私も動揺し。

 院長はそのまま外に飛び出してしまうし、患者さんも口の中、唾液で、紙のエプロンしたまま。

外に出るとまるでゴジラが通過していくような地鳴りと、揺れ。そして柱の看板がゆらゆら大きく振り切る。

 尋常じゃない揺れに。

院長は診療室に戻って、ニュースをつけると、津波の映像。そしてそこは、みたことのある地元の光景。

 そして東電の爆発。

放射能の漏れ。

 国道を走る小さな小さなアリのような車が津波に飲み込まれていく。

 映画のワンシーンじゃない。現実が、あまりに残酷で。

 血の気がひいて。

その日は電車が止まり、院長がさすがに診療室で私と2人っきりは気まずいらしくて、もう1人のスタッフは近所で帰ったので。

 アウトドアが趣味の院長は、私に車から出した寝袋を貸してくれて、診療室の鍵を貸してくれて、診療室のユニットに寝袋敷いて寝るように、また自分のお昼に食べるストックしていたカップラーメンを自由に食べていいとダンボールで渡された。

こんなに食べられない・・・。

院長が釣り用に買った船舶が、茨城の海にあって、流されたな、最悪だよ、とか。

 おまえ、俺の部下でよかったな!寝るとこあるし、明日電車動いてから落ち着いて帰れよ、とまで言ってくれて。

 普段、おっちょこちょいな院長だけど
 めちゃくちゃ頼りになって驚いた。

 翌日、院長は心配して早めにきてくれて、私の無事を確認して、電車が動いたのを確認して、帰してくれた。

 私の実の妹は、ディズニーランドのキャストをしていて、ディズニーランドにいたので、仲間たちといて安心だった。

 妹と合流してからも、余震が続いていたし、実家の福島県の両親と連絡繋がるまで生きた心地はしなかった。

 通話が繋がったとおもったら
「ことねちゃん、お父さん、浜通りの、墓地の修理に出ていて連絡つかないの」が第一声で。

 津波が来た時間に、津波が襲った場所の墓地にいたらしくて。

 生存確認がとれてない、そうで。

 走馬灯のように、両親をもっと大切にしたらよかった、とか。もっと素直になればよかったとか色々よぎる。後悔しても遅いのに。

 数時間後、父親と携帯電話が繋がって
 「お父さんは、死にませんよォ〜だいじょぶだぁ」と

志村けんみたいなショートメールで
私は笑ってしまった。

 生きてる。

よかった。

 生きてることは、当たり前じゃない。
 あの日

津波で高校時代の先輩で、先輩の両親はうちの実家の家業を手伝ってくれている社員さんで。
その社員さんの娘、の先輩は。

 お義母さんが足腰わるくて、自宅にいることを思い出して
生後1ヶ月の赤ちゃんを乗せて、車で引き返した。

 六号線を。そして。

津波に呑まれた。

 浜辺を何度も探索して

 軽自動車の中に、ぐったりとした
先輩がいて
その数100メートル先に赤ちゃんが放り出されて浜辺に落ちていた。
人形のように。


  その話を
私は、父親からの通話で聞いた時
涙が止まらなかった・・・


 どうにも、ならない。こと、だよ。
自然災害だから。

 だけど、一瞬で
私の友達は親戚の半分を無くした。

親が亡くなって孤児になった子もいる。

 地震も、津波もきて。

最後は放射能汚染。

 私のふるさと。

 とても美しい、私のふるさと、福島県。

 帰れない。
いまは、コロナで動けない。

 帰りたい・・・
いつか、あのふるさとへ。

 元通り、には、ならないけど
 私は今でもふるさとを愛している。

続きのストーリーはこちら!

魂まで売らない。ついていく人を選び、友人を選び、恋人を選び、付き合う人をCHOICEしていくことで、自信がつくし足も救われない。

著者の館花 琴音さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。