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父と見た千鳥ヶ淵の桜。

Image by Olia Gozha

千鳥ヶ淵のそばに事務所を借りたのは、もう25年も前のこと。毎年春になると、桜舞う千鳥ヶ淵を歩いてきた。昼間や夕方は大勢の人出になるので避ける。朝一番に九段下駅で地下鉄を降り、千鳥ヶ淵を歩き抜けて一番町の事務所へ通った。

20年ほど前までは、千鳥ヶ淵の中ほどに「フェアモントホテル」という小さなホテルがあった。狭いロビーを抜けると左手にカフェが設けられていて、何か考え事をする時はよくそこへ通った。1000円少し超えるくらいでコーヒーが付いたランチをとることもできた。桜の季節だけ、そのランチの値段が2倍になるのもご愛嬌だった。

事務所を開いて数年が経った春、父親が上京することになった。父は郵便局を定年で退職し、勤め人時代は受けなくてよかった地域の役や、趣味の短歌で忙しくしていた。親戚に用があり、そのついでに僕の仕事場に寄りたいという。

三月のある日の夕方、父が事務所に来た。手土産ももたず、特に荷物もなく、まるで散歩の途中にふらりと寄ったという風情だった。

会議室に通し、お茶を飲みながら、少し雑談した。そして数名の社員が働く部屋を入り口から控えめに見た後、事務所を出ようとした。その時僕は、父に千鳥ヶ淵の桜を見せようと思ったのだ。

最寄りの駅は半蔵門駅である。ただ、千鳥ヶ淵を抜ければ九段下駅もそう遠くはない。今なら散りかけの桜が見せられる。

千鳥ヶ淵を、二人でゆっくりと歩いた。もともと寡黙で孤高を守るところがある父は、その日も口数は少なかった。時折り桜を見上げ、人混みを避けながら、歩いた。その時、父がふと呟いた。

「会社はうまく行っているのか?」

何とかね、忙しくしてるよ、と答えながら、父が僕の仕事のことを聞いてきたのが初めてであることに気がついた。

父は、僕が小学生の頃からずっと単身赴任で家にいなかった、進学や就職の相談をすることもなく、本家の長男である僕が家を継ぐかどうかについてすら放任だった。長く勤めた会社を辞めると伝えた時も、反応は薄かった。その父が、会社のことを気にしている。事務所を訪ねてきた意味がわかった気がした。

「こんな所で働けるなんて、いいなぁ」

別れ際にそう言って、父は九段下駅の改札に消えていった。もう少し何かを話さなければいけなかったような、そんな思いが残った。

父はそれから暫くして、膵臓癌で亡くなった。75歳だった。いたって健康だったのに、少しお腹が痛いと訴えてから2ヵ月後、手術もできない末期癌であることがわかった。誰にも迷惑をかけず、最後の言葉もなく、父はあっさりと死んでいった。

咲き誇る桜より、散りゆく桜---。今でも桜の季節になると、亡くなった父を思い出す。

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