#3【不登校が僕の人生を変えた話】~「学校に行きたくない。」16歳の挫折~

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前話: #2【不登校が僕の人生を変えた話】~スポーツ推薦で入学するということ~
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地獄の始まり

僕は高校生活をバスケに捧げる覚悟で、強豪校への入学を決意したつもりでした。

しかし、その決意が甘かったと気づいたのは、入学前の春休みでした。

スポーツ推薦で入学するメンバーは、入学前の春休みからほぼ本格的に練習に参加します。


練習は本当に過酷でした。当然です。全国常連校です。

中学時代は僕中心でバスケをして、自分のいう事をまわりが聞いてくれました。

そんな僕は、今このチームでは「下手くそ」の一人になったのです。


当時の部活動は、「殴る」などの指導は当たり前の時代でした。

何をやっても毎日のように怒鳴られ、殴られ、

怖い先輩方におびえ、練習は過酷も過酷。


一番びっくりしたのは、

練習試合でチームがミスをし、タイムアウトを監督が取り、

「全員ロッカールームにすぐ集合」と言われました。

試合中ですが、コートから急いでみな移動すると、

監督は一人ずつ顔面をビンタしていきます。


ロッカールームに一旦戻らないと、殴っているのを他校に見られるので、

少ないタイムアウトの時間内で、わざわざビンタするためにコートをチームで離れるのです。


入学前から、体はボロボロでした


なによりボロボロだったのは精神面です。


今振り返っても

当時のチームの練習方法や、監督の指導が異常だったとは思いません。

単純に僕の実力不足です。


きっと全国大会に出るチームはみな通ってきた道ですし、もっと過酷なチームもあります。


僕が最も苦しんだのは、「心無い言葉」により

自分の存在価値が見いだせなくなったことです。


どこにも逃げ場がないという苦痛


今思えば彼らは大学生くらいだったのでしょうか。

OBがよく練習の指導に来てくれていました。


なぜか、そんな彼らに僕は好かれていませんでした。


「東京選抜?嘘だろ。これで?」

「ちょっと体が大きいだけで、選抜ってなめんなよ。」

「中学時代ベスト4いけたのは、なんかの間違いだろ?」

「いつ辞めんの?早く辞めてくれよ下手くそなんだから(笑)」

「俺お前の事好きじゃねえんだよなぁ。」

「頼む。辞めてくれって!」


彼らは毎日のように僕にこんな言葉を浴びせてきました。

そこには愛はありません。彼らは指導者ではありません。


今思えば大学生のノリ?面白がっていじってる?のでしょうか。

全然面白くないですね。最低で最悪です。


当時入学したばかりの高校一年生が

全然知らない怖い大学生OBの言葉を「いじり」として受け止められるわけがありません。


しかし、チームはそれを助けてはくれません。


「お前は怒られ役だ」と言われたこともあります。

「怒られ役」ってなんやねん。今ならそうツッコミ入れられますが、

当時は本当に苦しかったのを覚えています。


つまり、悔しかったらバスケうまくなって見返してやれってことなのでしょうが、僕のメンタルと体力は限界でした。


せめて、日常生活が楽しければよいのですが、

僕がいたスポーツ推薦クラスはまるで自衛隊のようなクラスです。


入学してすぐのホームルームでの話です。


挨拶を怠った一人のサッカー部の子が、

担任の教師から全員の前でボコボコに殴られました。

盛ってません。本当にボコボコに殴るのです。

挨拶でヘラヘラしていただけです。

(その子も不登校になり、のちに退学してしまいました。それがきっかけなのかわかりませんが。。。)


そんなクラスです。というかそんな学校でした。

(今はさすがに違うと思いますが。。。)

45人のスポーツマンたちが集まるクラスは、クラスメイトはみんな仲良しでした。
そこは唯一助けられた所です。

ですが、彼らもスポーツ推薦で入学したアスリートです。中には一年で試合で大活躍してる子もいます。

そんな彼らに『練習がきつい』なんて同じスポーツ推薦の仲間として、言いたくありません。


そんなわけで、家の玄関を出てから、帰ってくるまで

一秒たりとも楽しい時間はなく、逃げ場がなかったのです。

でも家も逃げ場ではありません。


学校がつらい。そんなこと家族に言えません。

反対を押し切って入学した高校です。

僕には逃げ場がありませんでした。


逃げ場ができた誕生日


人間には「向き不向き」「合う合わない」があります。

根性論ではどうにもならない事なのです。


僕は、この生活がどうしても合いませんでした。

中にはこれを「甘い」「逃げだ」と思う方もいらっしゃると思います。


ただ、そういう人はこのスパルタが「合っている」のです。ただそれだけです。


母は精神的にも肉体的にも限界だった僕を見抜いていました。

「学校に行かなくていい。」

「休んでいい。」

一学期が終わる頃、母はそう言ってくれました。


初めて逃げ場ができたのです。


そして僕は学校と部活を休むことが少し増えました。


それを許さなかったのは、学校と父です。


父は、母とは真逆の人間です。

父は大学時代に体育会に所属し、

在学4年間すべて全国大学で優勝。

四年時にはキャプテンを務めたスーパースターでした。


そう、生粋の体育会。ガチガチのスポーツマン。

このスパルタが「合っている人」なのです。


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