家族が同じ方向を向いた。
『学校には行かずに、都立高校の編入試験に合格する!』
初めて僕ら家族が、同じ目標に向けて進み出しました。
苦しむまで無理に学校に行かせたくない母。
一方で、入学したからには、筋を通してやり切ってほしい父。
両親は毎日のように揉めていましたが、この目標に父は最終的に納得してくれ
僕の挑戦を全力で応援してくれるようになりました。
こういう時、両親の意見が違うという状態は、一見良くないように思いますが、
振り返ってみればよかったことだと思います。
どちらかの意見しかなければ、子供はそれに従うしかないからです。
両親とも、僕の母のような考えであれば、逃げることができますが
それが果たして正解かもわかりません。
ただただ学校を休み続け、編入試験に挑戦していなかったかもしれません。
一方で両親が父のような考えであれば、逃げ場が無く、苦しい思いをしていたと思います。こっちのほうが辛いですね。(笑)
両親は僕のこの三ヶ月の挑戦に全力をかけて応援してくれました。
今思い返しても感謝しかありません。
編入試験合格には、編入試験の対策をしなければなりません。
なので僕個人専用の勉強プログラムが必要です。
編入試験対策塾などはないので、個人塾に通うことになりました。
また、週に1-2回家庭教師の先生を呼ぶことになりました。
僕の挑戦が始まります。
『Be動詞ってなに?』
僕の当時の学力は、「Be動詞って何?」状態と言えばわかるでしょうか。
「I am go to school」とか普通に書いてました。
そんな僕は一から勉強をしなければなりません。
ドラゴン桜のような話ですが、まずは中学1年生のドリルからスタートしました。
(モチベーション上げるためにドラゴン桜を休息時間に見てました。)
ちなみに編入試験は国数英の三科目と面接があります。
勉強期間に徹底的に意識したことは3つ
・必ず早寝早起きして、生活リズムを崩さない事
・毎日塾に行き、勉強はすべて塾でする事。
・家では勉強せず、リラックスする事。
一つ目必ず早寝早起きして、生活リズムを崩さない事は、
僕と同じ世代の高校生と同じ生活リズムにすることを意識しました。
不登校だからといって、家でずっと寝ていてはいけません。
かといって、深夜までぶっ通しで勉強しても効率が悪いです。
色んな本に書いてありますが、これは本当です。
勉強は早寝早起き!!
二つ目毎日塾に行き、勉強はすべて塾でする事は、
毎日行くべきところを作ることでルーティンが生まれました。
不登校にも関わらず、同じ高校の子たちと同じ時間の同じ電車に乗って塾に通ってました。変な気分です。バスケ部の子たちに会わないかドキドキしていたのを覚えています。
なので自分が不登校という自覚もなくなりました。
そして、勉強はすべて塾で終わらせる。朝から塾の自習室にこもってました。
大学浪人生と混ざって高校1年生がいる構図は、これまた不思議です。
三つ目、家では勉強せず、リラックスする事は、
これはあくまで自己流ですが、塾で徹底的に勉強した後自宅ではリラックスしてました。
僕が通ってたのは、学校ではなく個人塾です。
毎日誰かと会話するような友人はいません。
両親や姉と会話したり、愛犬と遊んだりしてました。
そういう風にして、自宅ではリラックスをすることで塾での勉強に全力を出すことができました。
「やらされる勉強」と、「自らやる勉強」は180°違う。
「勉強しなさい!」
「宿題しなさい!」
こんな言葉、母や父から誰もが言われたことがあるかと思います。
小学生、中学生の時僕は毎日のように言われてました。
「今やろうと思ったのに!」までがテンプレでしょうか。
僕は中学受験を経験しましたが、完全に「やらされた勉強」でした。
自ら積極的に勉強したことはなく、毎日勉強しろ!と言われていました。
しかし今回は自ら選んだ道です。
何が何でも合格しなければなりません。
僕は、人生で初めて自分から勉強をするようになりました。
この三ヶ月間、「勉強をしろ!」と言われたことはありません。
なぜなら勉強をしているからです。
これが本当の勉強です。やらされている内は、勉強ではないのです。
乾いたスポンジが水を吸い込むごとく、僕の成績はドンドン上がりました。
まあ、Be動詞がわからないレベルスタートなので、始め成績が上がるのは当たり前です。
ただ、勉強に没頭した生活を僕は楽しむことができました。
これが大きかったことだと思います。
目標に向かって日々努力することの楽しさと大切さに気付けたのです。
一人じゃない。
家庭教師の先生は慶應の理工学部に通っていました。
とてもフランクな人で、高校生の僕を弟のように可愛がってくれました。
勉強だけでなく慶應での生活や、可愛い女の子の話などで盛り上がっていました。
先生からしても、不登校で編入試験を受ける子を教えるなんてびっくりです。
数年後、僕は慶應生としてこの先生に影響され、家庭教師のアルバイトをします。
そして、この先生とお酒を交わし当時のことを語り合う日もありました。
当時そんなことは想像もしてませんでしたが、最後は少し立派な姿が見せることができて良かったです。また会いたいな。
塾での生活で、唯一楽しい時間はランチです。
母は月曜日に一週間分のランチ代を僕に渡してくれました。
塾は渋谷にあり、ランチ時はサラリーマンや大学生などたくさんの人がいます。
基本的には節約のため、安い立ち食いソバでサラリーマンに囲まれながらそばをすすってました。
サラリーマンに囲まれ、平日の昼間から16歳がそばをすする姿は異様だったと思います。
「今日は頑張った!」と思った日は自分へのご褒美で、大好きな豚骨ラーメンを食べに行きました。こういうプチご褒美で自分のモチベーションを保っていたのです。
時々、父が仕事の合間に渋谷に来ておいしいランチをご馳走してくれる時もありました。
同世代の子は高校に通っている時間に渋谷のレストランで息子とランチ、、、どんな気持ちだったのでしょうか。
でも、父は僕に変なプレッシャーをかけることもなく、ただただ応援してくれました。
中学時代のサッカー部の友人と、時々会ったりもしてました。
彼は僕の状況を同情するわけでもなく、蔑むわけでもなく
ただただ、普通にあって、ただ普通の話をしてくれました。
彼はめちゃくちゃ勉強ができたので、一緒に勉強したこともありました。
そんな彼は現役で医学部に合格し、今やお医者さんです。尊敬しかありません。