心友 【其の十三・無言の帰宅】

前話: 心友 【其の十ニ・杜の都】
次話: 心友 【其の十四(完)・再会】
とある地方新聞のコピーが今も手元にある。

その中に「無言の帰宅」という見出しがある。

このコピーはクロイワの葬儀の際に遺族の方からいただいたものだと記憶している。

そこには簡単に今回の「悲劇」の経緯が記載されている。

【自らも病身だった母がアパートの自室で倒れて亡くなり、母の介護なしでは動けなかった一人息子も、その後、同じ部屋で息を引き取った。】

人の亡くなり方は無数にある。しかし、こんなケースはめったに起きうることではない。まして、自分の親友…いや、「心友」がだ。

新聞には病身としか記載されていないが、クロイワの母親が糖尿病を患っていたことは風の便りに聞いていた。それが重度のものだったかどうかまでは定かでないが。

仙台の病院に転院しても、病状は好転せず寝たきりの状態が続いていたクロイワ。そんな一人息子の唯一の支えが母親だった。その母親が倒れて亡くなったのはおよそ二日後。クロイワはそこから約十日間、たった一人きりで身動きできないまま飲まず食わずのままじっと過ごしていたというのだ。

介護疲れによる自殺、心中という噂も流れた。遺族ですらそう思ったという。表面的な状況だけを見ればそういった憶測が飛び交うのも無理はない。そしてこの新聞記事の中でも具体的な死因までは公式に語られていない。しかし、解剖医の見解では事件や自殺という可能性はまず該当しないという。

可能性として一番高いのは、

「低体温症候群」

要するに凍死状態だ。

1月後半の仙台。母親が倒れた後は暖房器具すら消えていたかもしれない冬の仙台。クロイワが過ごした十日間の苦しみを想像するだけでも激しく心が痛む。

ちなみに母子の葬儀を務めた喪主は父親ではない。父親は数年前にこの世を旅立っている。喪主はクロイワの祖父だ。

息子を見送り、そのお嫁さんを見送り、さらには孫まで見送ることになってしまった祖父。どうにもこうにもやりきれない思いだけが残されていたことだろう…

そんな不遇すぎる葬儀の前日。自分はトクシマと久しぶりに再会をすることになる。

思い出の地、秋田。

笑顔の再会といくような状況ではなかったが、二人共無理やり笑顔を作っていたはずだ。そうでもしなければ簡単に心が折れてしまうから。

著者の山口 寛之さんに人生相談を申込む

続きのストーリーはこちら!

心友 【其の十四(完)・再会】

著者の山口 寛之さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。