人生で大切なことは全て小学校の校長室で学んだ

僕は小学生の頃、いわゆる「いじめ」で不登校になっていた時期がある。

「死にたい」
そう真剣に思っていたこともあった。
その窮地を救ってくれたのは、小学校の校長先生だった。
そして保健室登校ならぬ、「校長室登校」を経験した。
こんな話、人前でしたことなんてなかったが、当時の自分の素直な気持ちと、校長先生への感謝の言葉としてSTORYSに書きたい。

不登校

小学6年の時だ。
僕は不登校に陥っていた。
不登校とは恐ろしく、一度外の世界を断ち家に篭ってしまうと、相当の荒療治がない限り、
外の世界に戻れない。
小学生でそうなのだから、20歳を超えてからの引きこもりを思うと、想像を絶する。
どのくらい経っただろうか、
我慢の限界に達した親父に強制的に学校へ引き戻される。
もうストレスで自我が崩壊しかけた。

自殺してしまった生徒の記事を、時折目にすることがありますが、あの気持は察します。

子供にとって学校と家庭が世界の全てなんです。
そのどちらでも居場所をなくしてしまうと、心の行き場がなくなってしまいます。
10歳そこそこの子供なんて、わがままで、そして未熟です。
いよいよ切羽詰まってきた時、校長先生が登場しました。
小学校の最高責任者です。
今まで挨拶ぐらいしかしたことがありません。

なんていうか、
今この話を書きながら校長先生や当時の情景を思い出すだけで、涙が出ます。
本当に素晴らしい校長先生でした。
あの人がいてくれたから、その後の人生を歩むことができ、
今の僕があると思います。

校長先生の一言

当時は八方ふさがりでした。

不登校の僕との生活に疲弊した母親
不登校に対して我慢の限界に達した父親
クラスが学級崩壊寸前となり迷走する担任
そして心が崩壊しかかっている自分自身

それまで一切姿を見せなかった校長先生が、両親と担任の話し合いに登場しました。

引きずってでも学校へ行けという父親
崩壊しかかってる事をわかっている上で、頑張ってクラスへ戻って来いという担任。

僕は何を頑張るんだろう?

大人たちとの話し合いから答えが見えません。
そんな状況下で校長先生が開口一番、
「学校へは来なさい、それが君の義務だから。しかしクラスへは行かなくていい。」
「君の居場所はここにある」
そう言って「校長室」を指さした。
学校でも家でも、僕に居場所なんてないと思っていました。
そんな僕に居場所ができた瞬間でした。

希望の光

四方八方を壁で塞がれ、暗闇の中をもがく僕に、新しい広い世界への道しるべを示してくれた。

「学校へは来なさい、それが君の義務だから。しかしクラスへは行かなくていい。」
「君の居場所はここにある」
そう言って「校長室」を指さした。
その瞬間、僕の居場所は家でもクラスでもなく
「校長室」
となった。

教育者としての威厳

今考えても、恐らく校長先生の独断であったことは間違いなく、その場に居合わせた女性の教頭は、
「例外を認める訳にはいかない」
と即反対し、その語気はとても強かった。
上司の校長に対しての発言とは思えないほどに。
しかし校長先生は、
「私が決めたのですから、教頭は口を出さないでください。」
と一喝。
両親や担任、周りの全てに対して不信感を募らせていた僕は、校長先生のこの姿勢にただ泣くばかりだった。

学校へ復帰

翌日から僕は校長室へ登校した。
校長の独断に対して、他の先生方でも、批判的な立場の方は多かったようで、廊下ですれ違う僕に、
「いつまでそんなこと続けるの?」
「君が校長室に登校してる問題の子ね」
「意志が弱くて甘えているだけでしょ。早くクラスに戻りなさい」
といった言葉や、僕を指さし、
「あの子がいじめにあって自分のクラスへ行けず、校長室に通っている子だよ。みんなもああならないようにちゃんとするんだよ。」
という言葉まで飛んでくる。
もはや学校内で、ちょっとした有名人である。

確かに意志は弱い、そして甘えもあった。
それでも10歳そこそこの僕には、自分で打開策を見出すことが出来なかった。

人は自分を認めてくれる人、そして自分の居場所を手にするととても強い。
校長室という居場所、そして校長先生という自分を認めてくれる人が出来た僕は、そんな小言にも、
「なんでこの先生はこんな事を言うのだろう?」
と客観的に聞き流せる程の度量がついた。

担任の先生はといえば、僕の元をあまり訪れることはなかった。
確か新任1,2年目の20代の若い先生。
自分の受け持った生徒が校長室預かりだなんて、教師のプライドとして、いたたまれないことであったのかもしれない。

「責任」の二文字

教頭はその後も校長室を訪れる度に、僕と校長先生に小言を言う。
この教頭は、校長のこの判断が余程気に入らないらしい。
「いつまでこんなことを続けるんですか」
「あの子のためにもならないですよ」
相変わらず語気が非常に強い。
しかし校長先生は
「私の判断です。責任は私が取りますので、口を出さないでください。」
堂々と切り返す。
教頭が部屋を去った後、
「ごめんなさい」
と謝る僕に
「教頭先生には教頭先生なりの立場があります。あなたは気にしなくて良いのです。」
「学校へ来ることはあなたの義務です。」
「しかしそれはクラスでも校長室でも同じことです。あなたは自分の義務を果たしてください。」
そう言ってまた机の書類に目を落とします。

今思えば、あの時校長先生が教頭に対して口にした
「責任」の二文字。
この二文字の重さは、当時10歳そこそこの僕が思っていたよりも、遥かに重いものだったのかもしれません。

僕の社会性の起源って恐らくここだと思います。
校長先生という素晴らしい教育者に出会えたこと、そして大人の世界を垣間見たことが大きいと思います。
それでも毎日学校へ行くのが楽しみになったのだから、両親は元より自分自身が一番驚きである。
「たった1つのきっかけで人生は大きく変わる」
まさにその通りだ。

人生で大切な事を学んだ時間

学校での1日といえば、午前中に1日の授業の課題やプリントなんて全て終わってしまう。
お昼は校長先生と共に給食を食べ、日々色々な話をしてもらった。
小学生が、日々校長先生とご飯を食べるのだから、その経験はあまりにも貴重だった。


昼休みには事務室で事務員のおじさんおばさんとお茶をのみ世間話をする。
事務員のおじさん、おばさんの顔と名前は今でも鮮明に覚えている。
1つ感じたことは、教師と事務員さんでは立場がまるで違う。
事務員さんは僕に対して何の偏見もなく、とても親身に接してくれ、急須で入れた日本茶を飲みながら世間話をする。
「学校と言っても、立場としがらみで先生も大変なんですね。」
そんな会話を事務員のおばさんにしたのは覚えている。

午後はやることがなく、好きな本を読んで良いと言われ、毎日図書室から持ってきた本を読み漁る。
1日2冊、多い日は3,4冊は読んだだろうか。
人生で一番本を読んだ時かもしれない。
何を読んだかと問われると、思い出せるものは少ないが、確実にその後の人生に影響を与えたと思う。
決して勉強が出来たわけではないが、1日の授業分が、集中すれば午前中で終わってしまう。
学校の勉強って一体何なんだろう?
そんな疑問を抱いたのはこの時で、校長先生にもこの疑問をぶつけてみた。
「学校の授業を学ぶことはあなたの義務である。それが良いか悪いかは別として。」
「まずは義務をしっかりと果たしなさい。その上であなた自信が興味を持ったものについは、我慢せずとことん突き詰めなさい。」
「それがきっとあなたの進むべき未来を教えてくれるから。」

校長先生は基本的に、1日のスケジュールを全て僕自身に決めさせた。
勉強時間やその内容、また読む本についても自分で考えさせ紙に書き、それを見てアドバイスをするという形だった。
これにも異論は続出した。
「校長はあの子を甘やかし過ぎる」
「公立学校の義務教育に反する」
今聞けばおっしゃるとおりだ。
しかし、校長先生は僕を
「校長預かりの生徒」
ということで、それらを一喝し、最後までそれを通してくれた。
「義務教育が終われば、あなた達は社会に放り出されます。そこでは自分の人生は自分自身で決めないといけない。」
「あなたは自分で自分の進む道を決めることが出来る強い子なのだから、自分でやることは自分で決めなさい。」

小学校卒業から14年。
今でも鮮明に覚えている。
そして、遅咲きの僕は、14年もの月日を経てようやくその言葉の重みがわかってきたのかもしれない。

僕は人生の窮地で、素晴らしい教育者と出会うことが出来て本当に幸せだった。

心に誓ったあの日

卒業式の日、校長先生から卒業証書を渡された時、
「よく頑張った。君の人生はこれからだ!」
と言われ、
この方に恥じないような人生を送ろう
そう心に誓った。

今はもう70歳を超えると思うが、校長先生はお元気だろうか?
中学、高校と色々な先生方に出会ったが、小学校の校長先生との出会いが、僕の原点だと感じる。
今一度お会いしてお礼が言いたいな。

あれだけの批判に遭いながら、どうしてそこまでして、僕の立場に立ってくれたのか?
今だからこそ伺ってみたい。


僕の人生の原点は、ここなんだなって改めて感じた。
「僕と出会って話したことによって、小さいことだけどこんな変化があった」
そう言ってもらえることが、生きている上で何より嬉しい。

人が人を変えることはできない。
それは自分の人生経験からもよくわかる。
しかし、変化のキッカケを作ることはできる。
僕は伝えたい。
可能性に溢れているのに、自分の限界を自分で決めてしまっている子どもたちに、
「世界ってと~っても広くて、あなたが今見ている世界はそのほんの少しなんですよ。」

ということを。
あの時、小さな世界でうずくまっていた僕に、大きな世界とその可能性を教えてくれた校長先生のように。

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