中学2年の定期テスト3日前に右手首を骨折し全てテストを全て左手で受けた話

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骨が直に痛いようなあのズキズキした痛み。
今後二度と経験したくないと思ったものだ。
4年後にまた同じ痛みを味わうのだが。


テスト2日前の朝、
折れた手首以外は全てが元気な僕は当然学校に行かなくてはならない。
ここでも好奇の目にさらされることが何よりも嫌だった僕はいかに人間として小さい事か。
包帯を巻いたらクラスでヒーローになれるなんて、小学校までの話である。
クラスで元々影の薄い僕は注目を浴びることが何よりも嫌だった。
物珍しさから寄ってくるクラスメイトたち。
しかし原因が自分で自転車で転んだ自爆と聞くと、なんとも答えに困ったような顔となる。
僕自身が一番自分に呆れているのだ。
まわりの反応なんてそんなものさ。
授業の記憶なんて、
大好きな技術の授業で手が使えずに何もできず、
体育の時間に見学で暇なので、読みかけの本を読んでいたら怒られた。
そんな記憶しかない。

さて困ったのは2日後の中間テストだ。
こればかりは見学もできず、白紙答案を出すわけには行かない。
しかし、右手がペンを持つこともできず、
消去法から左手でなんかすることになった。

【自分の名前を書くことから始まった左手の修行】

今さら授業を聞いてもテストの点が良くなるなんて思わず、
とにかくテストをまともに受けることに注力した。
まずは名前である。
「菱沼 真」という文字が書けないのだ。
「菱」という字は、例えばクラスの係決めをする時に、
時に担任でさえ僕の名前を

【図書委員:ヒシヌマ】
なんてカタカナで書かれる。そんな漢字だ。
直線を曲線の多く入り乱れる総勢11画にまず苦しめられた。
時間をかければそれなりに書けたが、
テストにおいて名前を書くだけに時間を費やす訳にはいかず
まずは早く読める字を書けるよう反復した。
30分も練習すれば、コツを掴んでそれなりに名前を早く書ける様になっていた。
次は数字、その次はAからZのアルファベットと左手の感覚を慣らしていく。
右利きだけど、サッカーは左足で蹴るようなひねくれた性格からか、意外と書けるようになってきた。
アルファベットまでクリアしたら次は「あいうえお」のひらがなだ。
漢字が書けなくてもひらがなが書ければなんとかなる。
テストという限られた時間では早さが大事。
テスト勉強は捨て、自分を信じ、80%の読める字でとにかく早く書けるよう練習した。

【先生へのメッセージを添えて】

迎えた中間テスト当日
教科は、国、数、英、理、社の5教科。
数字しか使わない数学が最も難易度が低かった印象。
英語は文字数の多い日本語訳の問題に泣き、
漢字を極力使わずひらがなで最大限攻めきった。
最も手こずったのが国語。
冒頭から漢字の書き取りテストに泣かされ、
文章記述の多い先生の傾向にとにかく時間いっぱい左手を動かし、最後には名前横の空白に
「字が汚くてごめんなさい」
こんな殴り書きをしたのを覚えています。
そうして人生初の左手で乗り切った中間テスト。
もともと中の下位の成績の人間です。
左手で受けたからといって結果が良くなる事はないですが、
逆に大きく点数を落とした国語以外は、
右手の平常時とさほど点数が変わらなかった事の方が驚きでした。
僕は常日頃何をしていたのだと。

【先生も人間である】

テストの結果以上に記憶に残っているのが、
何人かの先生が解答用紙の僕の名前部分に丸を付けて
「よく書けています」
とコメントしてくれたことでした。
結果が伴わなければ努力に意味はありませんが、
このようなコメントが何よりも嬉しく、
家に帰ってちょっとだけ涙したのでした。


「青天の霹靂」
人生全く予期しないことは突然起こる。
中学2年生の子供心に当たり前の毎日を大切に生きよう。
そう感じた骨折体験記でした。

4年後の夏、また同じ痛みを味わうなんてこの時の僕は微塵も思っていなかった。

ありがとうございました。

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