高卒サービス業出身の人間がWEB系プログラマで独立するまで【幼少期~学生期(2)】

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今でも通っている夢を見る事があります。。。


必死に周りの目を気にしながら高校へ進学しました。

ちなみに共学なのですが、男子部・女子部と当時は別れており

かなり男臭く・子どもっぽい高校でした。


異性の目を気にする事がなかったので、かなり奔放でした。

異性の目を気にする事もないので、年間行事は盛り上がらない。

異性との接し方も大して学べなかったので、30歳を超えてなお、女性との初対面は苦手です。ぶっちゃけ、社会的に必要ないのであれば、「話す必要ないじゃん・・・」とさえ、思っています。


ちなみにそんな学校でもちゃんと青春を謳歌している人はいました。

自分は、そんな感じだったという事です。


高校1年次の担任の先生は、非常に心配りの出来るおじさん?おじいちゃん?先生で、一年通して、無遅刻・無欠席でした。この頃はまだ良かった。


2~3年次に担任になった先生は、ちょっとヒステリックな所があって、大人になった自分が振り返ってもあれはないなと言う感じの方でした。


毎月月末に授業料が引落とし出来なかったら帰りのホームルームとかで、催促状貰うんですけど、一年次の担任の先生は、帰り際にそっと渡してくれたりしてくれたんですよね。

そりゃ、毎月・毎月貰ってりゃ大人だもん。それぐらい配慮してくれるよね。


ところが、2~3年次の担任は、毎月・毎月馬鹿の一つ覚えみたいにヒラヒラ靡かせながら『事務室からのラブレタ~』と言って渡してくれました。


大変ありがたかったです。もう、猜疑心と反骨心の塊になってしまいまして。

ついでに帯状疱疹を2年の秋ぐらいに発症してこれがきっかけでほぼほぼ不登校。


部活に入ってたんですが、酷い時には下校時間ぐらいに登校してそのまま部活に行ったりしてましたww


学校生活自体は無気力で、2年の夏休みから学校に許可もらってバイト始めたのですが、

バイト or 部活って感じで進学校だったのに成績は落ちていくばかり。。。。


当時、自分自身がある程度まともに生活出来ていたのは、バイトと部活の存在は本当に大きかったです。バイト先は、高校生を雇い入れたのが自分達が初めてで、周りはみんな大学生でした。楽しかったですし、何より自分が働いた正当な対価として、給料を貰える事の喜び。高校生としては満足いく額を貰えてたのは大きいです。


ちゃんと高校は、補修を受けたりして卒業したのですがその当時が楽しかったからなのか、自分の中に未だに何か引っかかりがあるのか分からないですが、ごく稀に高校に通っている夢をみます。たぶん、ちゃんと卒業したと言う実感がないからかもしれません。



ちなみに

高校2年次の不登校時期に父が建てた城は、退去を余儀なくされました。

せっせと会社の軽トラックで、およそ40分程離れた同じ市内の周りに知り合いが誰もいない場所へ引越しとなりました。これを夜逃げともいいます。


それと同時に父は、社長時代の知り合いの紹介を受け他県へお仕事へ。

借りると言う名目で、バイト代を取り上げられたりした事もあったので、当時はとにかく家族にも食って掛かる勢いでした。特に元凶の父は、見ただけで反吐が出るような感情を抱いていました。

ですので、当時父の単身赴任は精神衛生上、非常に良かったです。。。



この時期は、受験に失敗した事もありとにかく何でもいいので働きたいと思っており、でも正社員で就職するとなると、何かその会社に一生物で勤め上げないといけないような錯覚を抱いており、とにかくバイトの件数増やして色々やってました。





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