今のわたしは28才社長みならい。大学時代は社会人みならい。

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もちろん何人かは去って行ったりもしたけれど。

集めた、ではなく、気づいたらそこにいた。
不思議なもので、まっすぐ正しく進めば、出会うらしい。
「運命のひと」というやつに。

ただ、公務員の両親からは、ひどく否定や反対にあった。
大阪や京都でお食事などがあって、終電を乗り過ごして
両親に「あんた何かのために会ってくれる社長さんあんておるわけない!」
「嘘つかんと遊んどったっていいなさい!」と罵倒されたこともあった。

1週間以内に、協賛金額30万を+しないといけなくて
眠れなくて、気合いの飛び込みをした時期もあった。
(当時のわたしからすると、一生背負って生きて行くくらいの額だった)

優秀な仲間たち(現在ほとんどが起業しているからこれまた凄い)の中で
自分の価値のなさに打ち拉がれたこと。
何もできない自分が悔しくて、必死になって、新聞や、本を読んで、
必死になってスピーチやコミュニケーションの勉強をしたこと。

沢山の人たちに支援され、引っ張り上げられ、積み上げた2年間。

この2年間で経験したことは、「ブログを書く事」から始まった
基盤の上ですくすくと芽を出し、今の私の「自信」の一部になっている。

まずは1歩ふみだすことだ。

と自己啓発本などにも耳にたこが出来るくらいかかれているが
わたしも本当にそう思う。



それから、就職活動だった。
2009年はまだまだ売り手市場で、1人あたりの内定獲得数が
確か1.7くらいあったから、今の就職活動生に
「楽勝だったぜ!」なんてくちが裂けても言えないが。

「楽しかった。」

のひとことにつきる就活だった。


たぶんこんなことすすめたら怒られるけど
グレーのストライプのスーツに、9センチのピンヒールだったし
髪の毛も茶髪だったし、付けまつげもしていた。
なんなら、ネイルもスカルプをしていたりと、それはもう激しかった。
ギャルじゃないと、ずっと否定していたけど、
28歳になった今の自分は、その事実を否定することはできない。。。

わたしは、当時、インターネットに関わる仕事をしたいと考えていて
(どうせなら、成長している市場で仕事をしたかったのと、
 後は、1つめのスキルとして、これから必須になってくるNETの知識が
 どうしても必要なようにその当時思えたのだ)
そのオファーをくれた、大手下着メーカーに務めることを決めた。


3つ行きたい会社があって、幸いにも3枚のカードを揃えた上で
2週間誰にも会わずに自分自身で考えることができた。
この時には、自分で自分の決断を信じる事ができるくらいには
ちょっと大人になれていたんだと思う。


そして、東京にいくと決めて。父親にそう告げ
(相談しなかった私は親不孝すぎるんだけど)
言い方や、親への感謝が足りていなかったくそ生意気な私は
父親にぶっとばされた。


その日の夜、父親が駅前で泣き崩れているところを母親が連れ戻し。
彼が私にいった言葉は一生忘れられないものになった。


「お前は俺の近くにいたらあかん。
 俺はお前の可能性をつぶしてしまうから。
 はよ出て行って、自由にやってみろ。」


そうして、わたしは2009年の4月めでたく(?)
東京に上陸することとなった。


入社時研修で言った爆弾発言は


わたし「3年で辞めて起業したいです!キリッ」


まわり「ええw」


1年おくれたものの、本当に4年後に起業することになったのは
もしニーズがあればまた別途記載していこうと思う。

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今のわたしは28才社長みならい。社会人1〜4年目。

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