貧乏時代

大人になっていくにつれて、
実は自分の家が『貧乏』であったことを徐々に感じるようになった。
私は宮崎県の生まれだったが、一応一戸建ての持ち家に住んでおり、
クラスの中にはいわゆる『公団住宅』に住んでいる人もいたため、
さすがに医者の家庭とまでは行かなくても、クラスの平均以上の家庭だと思っていた。
しかし、よくよく分析してみると、
・色鉛筆は手で握れなくなるまで使っている
・靴下に穴が空いたら、糸で縫ってそれをはいている
・靴は常に1種類
・服は常に兄のお下がり
・大学は『私立には行かせられない』と言われた
・大学は、国立で育英会系の奨学金を2個使って生活費に充てていた
・大学は、『授業料免除』してもらえたので入学金しか払っていない
ということから、実は家庭の収入レベルでいくと、地元宮崎の中でも平均以下ではなかったのか、
と感じるのである。
兄弟は男3人だったが、母は常に朝は早朝から新聞社で新聞の仕分けや新聞配達の仕事をし、
昼間は別の仕事を掛け持ちしてやっていた。
父は30歳で独立したようだ。
小さい時はわからなかったが、父の収入も独立したことによって、
毎月安定していなかったのではないかと思う。
母の推定月収は、この2つを掛け持ちしても、地元の水準からすると、
13万円以下ではなかったのではないか。
母はかなりの倹約家で、私達が欲しいというおもちゃも、
めったなことが無い限り買ってくれなかった。
但し、外向けには『持ち家』『マイカー』『大学進学』といった、
『平均以上の生活』を私達に提供することで、
私達もひもじい思いをしていなかったのではないかと思う。
私が大学を卒業して半年間、起業を模索していた時に、
ふとアメリカに留学したいと思った。
当時の自分の全財産は50万円以下。
母に電話をして、聞いてみたところ、
『そんなお金は無い』
と厳しく言われた。
私も、成長して父と母の経済状況がなんとなくわかる年頃だったので、
『確かにそうだな』と思い、
それから一切、親に頼る気持ちを捨てた。
それから数年後、私が既に上京していた時、母から1本の電話が。
『3人のためにやっていた郵便貯金が満期になったから、200万円ずつ送っといたからね』
これが、母からもらった最後のお金だ。
月収10万円ちょっとの母が、私達子供3人のために、合計600万円の貯金をしていたのだ。
私だけでも月収の20ヶ月分。
ビジネスを知らない母なので、少ない給料を倹約して貯めることしかできない。
これを貯めるために、どれだけ倹約してきたのだろうか。
200万円の内訳を書いた手紙も送られてきた。
これを見た時に、目頭が熱くなった。
母親に心の底から感謝した。
その手紙は今でもとっているし、
この200万円は今でも使っていない。
<追伸>
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