貧乏時代

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大人になっていくにつれて、
実は自分の家が『貧乏』であったことを徐々に感じるようになった。
私は宮崎県の生まれだったが、一応一戸建ての持ち家に住んでおり、
クラスの中にはいわゆる『公団住宅』に住んでいる人もいたため、
さすがに医者の家庭とまでは行かなくても、クラスの平均以上の家庭だと思っていた。
しかし、よくよく分析してみると、
・色鉛筆は手で握れなくなるまで使っている
・靴下に穴が空いたら、糸で縫ってそれをはいている
・靴は常に1種類
・服は常に兄のお下がり
・大学は『私立には行かせられない』と言われた
・大学は、国立で育英会系の奨学金を2個使って生活費に充てていた
・大学は、『授業料免除』してもらえたので入学金しか払っていない
ということから、実は家庭の収入レベルでいくと、地元宮崎の中でも平均以下ではなかったのか、
と感じるのである。
兄弟は男3人だったが、母は常に朝は早朝から新聞社で新聞の仕分けや新聞配達の仕事をし、
昼間は別の仕事を掛け持ちしてやっていた。
父は30歳で独立したようだ。
小さい時はわからなかったが、父の収入も独立したことによって、
毎月安定していなかったのではないかと思う。
母の推定月収は、この2つを掛け持ちしても、地元の水準からすると、
13万円以下ではなかったのではないか。
母はかなりの倹約家で、私達が欲しいというおもちゃも、
めったなことが無い限り買ってくれなかった。
但し、外向けには『持ち家』『マイカー』『大学進学』といった、
『平均以上の生活』を私達に提供することで、

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