はじめて原点から意思を伝えたあの日

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前話: はじめて原点から意思を伝えたあの日

でもあの頃、

「自分のお母さん」である、ということも

「自分が、自分である」ということも分からなかった私にとって、

母が泣くことすら、心にとっては窮屈だったのでだろう。




『わたしは、わたしを強く感じたい』


そう思うようになる。

いつしか、自分自身を確かめたい、と思うようになっていった。


その感覚を言語化できたのは、

その事実を受け入れた今だから。


でも、あの時はとにかく、

「おぼろげなじぶん」がこの国で、この世で消えてしまわないように…


そう必死だった。


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そんな気持ちを背負って、

父のもとへと引っ越しをし、新しい3人での生活を三重県ではじめた。


「おぼろげな私、という存在を確かめたい」

という内なる衝動は、父との生活がはじまることで

拍車がかかっていく。

父はしつけが厳しい人だった。


家に帰ってからの一つ一つの行動を、

丁寧に紙に清書し、

字が少しでも汚ければ書き直し。

守らなければ、時には手や足を出されることもあった。


全てを捨てて異国にやってきたひとだから、

自分のストレスの管理方法さえ、掴む余裕も無かったのだろう。


エレベーターから降りた人が、こちらまで歩いてくる数十秒のうち。

最初の2秒だけで、わたしは父かどうか、はっきりと認識することが出来た。


そこまで、父のことを、

「私の存在を、脅かす人」だと思っていた。





カツ、カツ、カツ、カツ、、、、

あの音を聞くと、今でも身体がこわばる。


これはきっと、もう条件反射なのだろう。

あのマンションの、あの一室に今戻って、

父に歩いてもらうだけで、

わたしはきっと、一瞬にして

「12歳のわたし」に戻るに違いない。


躊躇の無いリズムでズカズカと歩いてくるその音は、

わたしの行動を一瞬にして変化させるチカラを持っていた。

全身の筋肉が、いっせいにしてこわばる感じだ。



まず、鞄を見る。

提出物は、全て机に出さないといけなかったから。

テレビの主電源を切る。

夜しかテレビを見てはいけなかったから。

机の上に、宿題を広げ、えんぴつを置く。

それこそが、「うちのスタイル」だったから。

約15秒ほどの時間の中でわたしはそれを全部こなす。




最後に確認するのは、

出口に並ぶ靴のそろい具合。

そして、扉がひらく。

あやしいから、ドアの前には立たないようにする。


父が帰ってくると、私は「こども」になった。




それ以外の一人の時間は、

「誰でもない、おぼろげな人間」だったから。

だから、私はとことん「演じた」

誰かの子どもである、という自分を。

良い子である、という自分を。


泣くことも、喚くことも無かったし、

子どもながらに「ルール」を覚えた。


感情を押し殺せば、ルールはへっちゃらだ。

その無意識のクセは、残念ながら、今にも引き継がれているようだが。


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このままだと何も変わらない、と思った。

変わる必要も無い、と思った。


ただあの日、目に飛び込んできた

「ある一コマ」は、

父の「足音」に匹敵するくらい私を突き動かした。





13歳のとき、わたしが盲腸で入院をしたときのこと。


その頃には、それなりに友達もしたし、

それなりに「普通の中学生」をしていたし。

恋もしたし、

いけないこともした。

泣いたり、笑ったりも、以前よりたくさんあった。



入院した私に、

誰かがある雑誌を持ってきてくれた。

いや、、、雑誌ではなく、

マンガの雑誌だったかもしれない。


それくらい曖昧な印象の一冊だったが、

あるページにこう書かれているのを見て

わたしは、病室で一人

時間が止まったかと思った。




『タレントオーディション開催!』





私を知っている人は、どう思うだろうか。

私を知らない人は、何か感じるだろうか。


ただ、今の私にとって、実はこの日のことは、

あまりにも大事なきっかけ。


恥ずかしながら、

テレビもほとんど見ない、アイドルなんて知らない、

スポーツばかりやっていたワンパクな少女が、

入院中に、「オーディションを受けた」のだから。





変な話だな、と今になって思う。

あの出来事は、本当に大切な思い出なのに、

23歳になる頃まで、忘れかけていたのだから。

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書類が合格するまで、

誰にも言えなかった。


こっそり書いた書類審査用のプロフィールと写真は、

看護婦さんに送ってもらうことにした。


書類は、無事合格。

次は、「歌」か「演技」で審査がある。



わたしはそのとき、初めて

「自分の意思」をそのまま父と母に伝えた気がする。



彼らは快く応援してくれたの!

…そう書けたらいいのだけど。


残念ながら、そうではなかった。

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