僕がF1に興味を抱いたきっかけ

1 / 3 ページ

F1に出会った中学生時代


そんなFacebookページを立ち上げてみたものの、これまでプロフィールらしきものを全く書いていませんでした。
僕がF1を好きになった過去や経緯を書いてみたいと思います。
まずはF1に出会った中学生時代を思い出しながら書いてみます。

■部活は卓球部。
ほとんどの部員が『遊べる』という理由で入部。
部活とは名ばかりで、日々体育館の半分を使い『卓球遊び』をしていた。
卓球=根暗のイメージは全くなかった。
上下関係もなく、自由な放課後を過ごしていた。
そんな自由な体育館はやはり、ヤンキー達のたまり場になっていた。
他の生徒からは恐れられているヤンキー達。
しかし僕ら卓球部はなぜか、いつも一緒にいる普通の友達として関わっていた。
問題児であるヤンキー達と、健全な僕ら卓球部員。この関係性のおかげか、校内には荒れた雰囲気は全くなかった。


■習い事は習字のみ。
両親は『勉強しろ』と口うるさく言うタイプではなく自由に育ててくれた。ただし、字だけは上手になって欲しかったようだ。
当時、書道のコンクールでは『金賞』や『特選』を取っていたので、親の考え通り字は上手な方だった。
しかし、今となっては変なクセがついてしまい『女の子みないな字を書くね』とよく言われる。
■勉強やテスト。
いつもテストの点数は中くらい。
得意な科目は社会。嫌いな科目は物理や科学。
全く理系ではなく、時には赤点を取ることもあった。
しかし、親に怒られるわけでもなく緊張感はなかったので、勉強はもちろんする事はなかった。

■F1との出会い
中学1年。1989年の事。
ある日、友達の家でファミコンのスターソルジャーをしていたところ、その友達の母親が隣の部屋で録画していたF1を見始めた。
そう。友達の両親は根っからのF1好きだったのです。
もちろんその友達も両親の影響で大のF1好き。
僕も、一発で虜になってしまった。そして友達の母親に頼み込み、録画してあったビデオを片っ端から借りた。
それからというもの、毎戦テレビで見て、翌週末発売される雑誌『GPエクスプレス』や『GPスポーツ』を両方購入し読みまくる。更に録画してあるレースを復習するかのように何度も何度も見返した。
レースのある日は、夕食後すぐに眠り、深夜にまた起きてフジテレビのF1中継を見ていた。隣の部屋で寝ている両親を起こさないように暗闇&イヤホン装着だったな。
ゲームもした。ゲームのお陰でコースを覚えることができ、知識も深まったのではないか。
本当にとにかくゲームの中で『走り込み』をしていた。
ヒューマングランプリやF1サーカス、エキゾーストヒートなどなど。
更にハマったのが、アーケードのスーパーモナコGP。フェラーリ640のセミオートマよろしく、ハンドルの裏にパドルシフトがついていた。当時としては驚きだったし、マンセルやベルガーになりきっていた。
■自転車レース
当時はセナやプロスト、マンセル、ピケなどスタードライバーの名前は誰もが知っていた。
F1ブームと呼ばれた80年代後半から90年代前半。
中学生だった僕らは、F1ドライバーになりきり、自転車レースをしていた。
近所の公道でコースを決め、ストップウォッチでタイム計測を行い予選を行う。予選結果でグリッドを決め、決勝レース。
本物のF1と同じく1位から6位まではポイント獲得。
自転車でも皆アウトインアウトのライン取りで凌ぎを削った。
僕は、7段式のチャリに乗っていたので、きっちりギヤを使いこなしコーナーの立ち上がりからストレートまで速く、どのコースでも最速だった。
毎週末、近所のあちこちでテクニカルコースから高速コース、バラエティにとんだコースを作り、20人位で走り回っていた。ところが友達の一人が近所のオヤジさんの運転する車にぶつかりそうになり大問題に発展。
学校にチクられ、各クラスで学級会の議題になってしまった。
結果、校則で自転車レースは禁止になってしまったのだった。


■ラジコン
ウチはどこにでもある中流家庭。裕福でもなかったため、なかなかラジコンを買ってもらえなかった。
自転車レースを『卒業』した友達たちは、次々にラジコンに移行。
近所の潰れたファミレスの駐車場でパイロンを立てラジコンを走らせまくっていた。
僕も『ラジコン買ってー』『ラジコン買ってー』と毎日泣きながら親にねだっていた。
じゃあ、次の中間テストで学年順位が良ければ買ってやる。という事になり、普段は全くしない勉強をしまくった。
親も何か条件をつけたかったのだろう。
結果、許しを得た僕は、タミヤのウィリアムズホンダFW11を買ってもらった。ウィリアムズかロータスしか選択肢が無かった様な記憶がある。
中嶋悟のロータスはキャメルカラー。あまり好きではなかったのだ。
■高校受験
中学校3年生になっても、僕は相変わらず勉強嫌い。
通知表はどの科目も10段階中、4~6、何科目か7とか8もあったが、とことん平均的だった。
まわりの友達との空気を読み、塾には通っていたが、最後までロクに勉強もせず、偏差値『51』の地元の県立高校に合格し、無事中学を卒業した。

部活漬けの高校時代


■スポーツに打ち込む
偏差値『51』の地元の県立高校に入学した僕。
中学時代からの友達の誘いで入部したのは「アーチェリー部」。
日本の弓道とは違い、型や作法は関係ない。
ただただ的の中心を狙い点数を競う、れっきとしたオリンピック種目だ。もちろん的の中心が高得点。
ナンパなイメージだが、かなりの体育会系だ。
小学校の時にサッカー。
中学校の時に卓球。
それなりに部活としてやっていたスポーツはあったものの、どれも何となくやっていただけ。
ところが、このスポーツに何故か心惹かれてしまい、高校生活をスポーツ漬けにしてしまったのだ。
3年間、このスポーツ「アーチェリー」を中心とした生活を送ってしまった。
■マイナースポーツゆえ
この「アーチェリー」、確かにマイナーなスポーツだ。
殆どは高校生になってから始める人ばかり。
しかも県内には「アーチェリー部」がある高校はたったの13校しかない。
日々の練習の成果を発揮する試合は、いきなり県大会からだ。
「アーチェリー」は個人戦。僕のライバルは100名たらずだった。
そこで上位3位に入れば、関東大会に行けた。
さらに関東大会で5位に入れば、全国大会に行けた。
どちらかというと運動オンチな僕。球技は苦手、走るのも速い方ではない。
もしかして、この「アーチェリー」を極めれば、かなりの確率で上の大会に行けるかもしれない。
■新人戦
皆高校から始めた各校のライバル達。
始めての公式試合が10月に行われる「新人戦」だ。
的までの距離は50メートルと30メートル。それぞれ36本ずつを打ち、その合計点を競う。
それまで数々の練習試合に出場して実は気づいていた。
僕と僕をアーチェリー部に誘ってくれた友達。僕らはかなり上手い。
しかも圧倒的に他校のライバル達を凌駕する程の高得点。
これまでになく、一つの事に打ち込んだ成果があった。
迎えた新人戦。当然僕らは、ワンツーで優勝/準優勝を狙っていた。


しかし。


普段はチャリ通学だった僕。

著者の関口 龍生さんに人生相談を申込む

著者の関口 龍生さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。