僕がF1に興味を抱いたきっかけ

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■スポーツ推薦で入学
大学に入学!これからはお気楽な学生ライフ!
・・・・とは残念ながら行かない。
何せ大学には、受験勉強などは一切せずに、形だけのテストと面接のみの「スポーツ推薦」で入学してしまったのだから。
■体育会下っ端人生のスタート
昨年までは高校3年生。
悠々自適な生活から、辛く悲しい体育会1年生。
その下っ端生活を「体育会用語とルール」として書きつづってみます。


■体育会用語とルール
挨拶:
後輩は遠くにいる先輩を発見した場合、どんなに離れていても「チェッ!」と大声で言わなければならない。そしてその先輩が近づいてきたら、その場を動いてはいけない。先輩が去って行く時は「シマッ!」と大声で言わなければならない。


しでかし:
部内の下っ端の立場において、様々なミスや失敗をしてしまう事。
「しでかし」をすると先輩の指示で何らかの判決が下る。


集合:
1年生の誰か一人でも「しでかし」をすると「集合」の号令がかかり、連帯責任として全員部室に呼び出される。そして冷たいコンクリートの床に正座させられ、永遠叱られる。ときにはグーやキックが飛んでくる。


タバコ:
誰か先輩がタバコを口にくわえたら、1年生は火をつけなければならない。しかも、自分の足元でライターの火を付け、風で消えないようにもう片方の手をかざし、そのまま上に持ってきて先輩のタバコに。火がついたら、また消えないように足元まで戻し火を消す。先輩が口にくわえるのを見逃してしまったり、万が一、火が消えてしまうと「しでかし」の対象となる。
ごっつぁん:
先輩が食事や酒をおごってくれる事。
先輩より後に食べ始め、先に食べ終わらないといけない。
箸を使う時、醤油などを使う時、必ず断らないと行けない。
「◯◯先輩、箸を使ってもよろしいでしょうか。」「◯◯先輩、醤油を使ってもよろしいでしょうか。」と。
さらに、先輩がこれ食うか?のポーズで差し出してくれたものは、それがたとえ「ワサビの塊」だろうが「魚の骨」だろうが「ごっつぁんになります」と言って、先輩の差し出した箸で食べなければならない。
しかも、食べるに至るまでは、3回断らなければならない。
先輩「これ食うか?」
後輩「いえ、結構です」
先輩「食えよ」
後輩「いえ、結構です」
先輩「遠慮すんなよ」
後輩「いえ、結構です」
先輩「いいから」
後輩「ごっつぁんになります」
おごってくれるのはありがたいが、面倒くさ過ぎる。
アカペラ:
大学生ともなると、新人歓迎会や試合の打ち上げ、卒業式後など飲みの席も多々ある。
1年生は、やはり上記の「ごっつぁん」ルールを守らなければならないが、それと同時に、アカペラで歌わなければならないという仕事がある。部屋の一番下座で起立し、大声&アカペラで歌う。そしてその横には必ず2名正座して次に歌う準備を待たなければならない。
「ごっつぁん」ルールは、酒の席にも適用されるため、「アルコール度数の高い酒」だろうが「ちゃんぽん状態の酒」だろうが、3回断り一気飲みする。これを守らなければならない。
ただし、酒に弱い1年生は、歌を歌い続ければ逃れる事ができる。
ということは、酒を飲まされ続けるか、歌い続けるか。どちらかである。
僕はいつも歌い続けていた。
上記は数あるルールのほんの少し。・・・今考えると、よくそんな事に耐えられたな、と思ってしまうが、人間慣れると意外と出来てしまうのが不思議だ。

■大切な時期に事故、骨折
高校1年生の新人戦当日、僕は腹痛により欠場となってしまったが、大学ではもっとヒドかった。
毎年夏にはインカレの予選が始まるが、スポーツ推薦の僕らは、試合に出場しながらも下っ端1年生なので先輩方のお手伝いや試合の準備をしなければならない。
休憩中に先輩方が飲む冷たい麦茶や試合会場に立てる校旗の準備、得点表の書き込みなど。多岐に渡る。
そんな超重要な予選を前に、僕は半年前に購入したバイク「NSR250」で単独で転んでしまったのだ。さらに最悪な事に右手首を骨折。全治2ヶ月。
折れた右手以外も体中が痛い。しかし、そんな痛みも何処かに行ってしまうほどの恐怖。そう。先輩に報告をしなければならないのだ。
事故をした日は部活はオフ。先輩に電話をしようにも手が震えて電話がかけられない。電話の前で立ち尽くすこと1時間。ようやく報告を行った。
「大丈夫か?」
いや、そんなに優しくはない。
「テメー!なにかんげーてんだー!」が第一声。
「今すぐ来い!」
電車に乗り継ぎ先輩の家に到着。なぜか他の先輩方も集まっている。
「どんな仕打ちが待っているのだろうか」
ところが、キプスを巻き、片足を引きずる僕の姿を哀れに思ったのか、少し怒られただけ。
ただし「卒業までバイク禁止」の判決が下ってしまった。


■試合会場にて
さすがにインカレの予選ともなると、高校時代から知っている他校の有名選手も多数出場している。
皆僕の姿を見て、なぐさめの声をかけてくれる。
片手を骨折し足をひきずりながら、先輩のお茶をくみ、永遠と校旗を片手に掲げ、先輩方の荷物運びをする。
もちろん試合での入賞を狙っていた僕は、惨めで惨めで仕方がなかった。しかし自業自得。全力で部の仕事を行っていた。
■ケガから完治
秋になると僕のケガの痛みも治まり、後遺症もなく以前のように練習に打ち込むことができた。
2年生から卒業まで、昼は部活。生活費を稼ぐために夜はコンビニでバイト。試合の成績も良く、忌まわしい事故から立ち直り、先輩や同期からの信頼も得られて、日々充実していた。
だがしかし、下っ端でコキ使われたこと。バイクで自爆したこと。
あまりにも変化の激しい1年生の記憶が濃すぎて、今はあまり覚えていないのだ。
1年生という下積み生活、今となっては本当に良い思い出だ。


■再度F1に熱中
セナ亡き後、F1から2輪に興味の大半が移っていたが「バイク禁止令」が出たこともあり、またF1に熱中しだしていた。
ベネトンを駆るシューマッハ、ヒルやハッキネン。
やはりF1は面白い。その後のフェラーリ最強時代へと続いていく。
当時から特定のドライバーは応援していなかったが、世界に通用する日本人を待ちわびていた。
■就職
大学生活もアーチェリーがメインだったが、残念な事に時代は不況の始まり。そして就職氷河期。実業団でのアーチェリー部は殆ど廃部になってしまっていた。
その為、卒業後は普通のサラリーマンの道を歩むことになる。

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