元極道の下で働いてた16歳が、後に日中英精通の国際IT起業家になった話(起業編)

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前編: 元極道の下で働いてた16歳が、後に日中英精通の国際IT起業家になった話(台湾編)
後編: 元極道の下で働いてた16歳が、後に日中英精通の国際IT起業家になった話(IT Startup/最終編)

STORYS.JPで読めない方はこちら:http://danielzenidea.blogspot.tw/2013/11/16it_15.html
(これは台湾編の続きです)

「日本社会大学社会科」というトリックによって、学歴重視の台湾就職市場でもサバイバル出来た僕は、順調にしょっちゅう出張が出来る仕事についた。日本市場の開拓という職務だったため、出張先は日本のみだったが、それでも良かった。何故なら、一定時間内に台湾を出なければ、兵隊に行かなければいかないからだ。
          台湾スペシャルフォースのユニフォーム


台湾男性は兵役が義務付けされている。通常は大学や大学院卒業後に徴収されるのだが、僕は13歳から日本で15年過ごしていたため、日本華僑という名目により、異なる兵役条件が付けられていた。それは台湾において、連続滞在が120日を超えると、徴兵されるという30過ぎの男にとって悪夢のような規定だったので、台湾を頻繁に出られるための仕事についた方が、都合がいいのである。
給料も台湾の平均以上にもらっていたため、生活は安定していた。恋にも落ち、当時の彼女とも一緒に新台北市で小さなお家を購入した。英語の勉強は毎日していたが、その他のプライベートの生活はかなり充実していた。サルサやボールルームダンスを習ったり、ヨガ教室に通ったり、ロードバイクで郊外行ったりという甘ったるい生活を送っていた。そんなある日、友人の紹介で、僕の人生を変える女性に知り合った。
僕は浮気していたわけでもなく、「不倫は文化だ」を支持してたわけでもない(ちなみに、台湾は通姦罪があるため、不倫は違法)。彼女と電話で経歴や学歴について語った際に、僕が中卒だという事知った。彼女は驚いたと共に、2年で学歴を大学院卒にしたくないかと持ちかけてきた。
普通は9年かかる学歴を2年で?いかにも胡散臭い話に僕は半信半疑だった。色んな質問をぶつけた後にも、ネット上でも出来る限り関連情報や該当の大学について調べた。結果、詐欺ではなく、実際に存在している「進学」コースだった。カラクリはこうだ。台湾にある教育代行機構がまずフィリピンにある金出せば誰でも入れる大学に申請(高卒でなくても良い)、そして半年間で卒業に必要な学科全てをオンラインで取得。その卒業内定を持ってアメリカのアラバマ州にあるUniversity of North Alabama(UNA)のEMBAコースに申請するという流れ。
しかし、UNAの入学条件は割りと厳しかった。職務履歴6年以上、管理職経験2年以上、TOEFLスコアが100以上、そして面接に受かって、初めて入学出来る。半分の授業はUNAが選んだ台湾大学教授が担当するが、残りの半分はUNA教授がアメリカから台湾に来るという変わったシステムだった。必要な費用は合計で2万アメリカドル。なんとも魅力的な話だったので、住宅ローンを払い続けていた僕にそんなお金はなかったけど、教育ローンを組んで申込をした。
半信半疑で始めたが、実際UNAの授業内容は結構良かったと僕は思う。「中卒の人間にとって、どんな授業内容でもいいだろう?」と言われればそれまでだが、仕事に使われる営業、マーケ、マネジメントを勉強してきたし、僕を雇う企業もバカじゃないから、それなりの知識とノウハウはあったつもり。それにアメリカの教授と直接質問出来るってのもよかったし、授業後の食事などにも誘ってくれた。起業についても色々アドバイスをもらった。
そうだ、起業の話をしなくては。
自ら起業するきっかけは大まかに二つあると僕は考える。お金のためか理想(夢)のため。しかし、僕のきっかけはいずれでもなく、ある遭難のお陰で起業に繋がった。それは2012年6月23日に、知人と一緒に山登りをした日だった。
当日の天気は台風が去った二日後だったので、郊外にいくには最高の晴天だった。台北の郊外にある満月圓という場所から登山道に入っていくのだが、ちゃんとした道がない代わりに、森林、蝶々、毛虫と川に流れる音が大自然の心地よさをもたらした。この光景に思わず僕は「これこそが冒険だ!」と叫んだ。
川を渡ったりすることもあったので、靴が濡れないためにスリッパに履き替えて、蛭に襲われながらもみんなと一緒に自然の恵みを楽しんでいた。

みんなの読んで良かった!